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「遊星、お前なにやってんだよ……」
銀髪の天使が眦を吊り上げて遊星をにらみつけた。遊星は黙ったままだ。そ知らぬ顔でぐ、と3枚の羽を伸ばす。「拾った」伸ばし終えたあとぽつりとそう付け加えた。勝手だ!銀髪の天使は叫んだ。
「だめ。絶対却下。浄化しろ」
「断る」
「せめて捨ててきなさい」
「断る」
遊星と会話をしているとほんと発展性がない、と銀髪の天使はため息をついた。「鬼柳」遊星は銀髪の天使をそう呼ぶとようやくその色づいた稲穂のような金の目を見て「捨てたら、こっちの命が狙われる」と言った。なら浄化しろ。そう言ってやりたいが先ほど見事に断る連打をされたばかりである。鬼柳は頭を抱えたくなった。
「悪魔とは思えない」自分でも語弊があると思ったのか「……ように見える」と付け足す。それが本音だと思えた。天使は美しいものを好む。それがたとえ悪魔だろうが人間だろうが関係ない。でなければネフィリムのように天使が人間と契りを交わすことなんてない。天使とは思えない黒い髪を持つ遊星のように、容姿にコンプレックスがあるものなら尚更だろう。不憫なやつだと鬼柳は思う。
「あのなあ、どれだけ見た目が綺麗でも、あいつらは悪魔なんだよ。お前ならわかんだろ!?」
遊星はしかし揺るがない。そして鬼柳は遊星の青い目に弱かった。語調を少し弱める。
「…まぁ、拾ってきちまったモンはしょうがねーけど」
「すまない」
鬼柳は遊星の後ろにまわって羽を掴む。遊星が抗議するように羽を動かしたが、「聞きたいことがあるんだけど」鬼柳は遊星の後頭部を見ながら囁いた。
「その悪魔に、痣があるって本当か」
鬼柳はその言葉で、遊星の心が動揺したことを羽越しに感じ取った。遊星はわかりやすい。感情が顔に乗らないだけで、実は体のいたるところからサインを出している。遊星が反論する前に鬼柳は素早く遊星から離れた。
「痣なんてない」
「そっかそっか。じゃ、その悪魔はしばらく任せるな」
鬼柳はそういってひらひらと手を振る。遊星は更なる反論を重ねようとして、無口な自分が言葉を重ねるのはおかしいと思われないかと思いとどまった。痣のことはいつかはバレると思ったが、まさかこんなに早いとは。さっさと消すつもりだったのに。遊星は己の不手際に、鬼柳の見えないところで唇をかんだ。その動作でさえ付き合いの長い鬼柳は承知だったのである。悔しそうな顔をして部屋をでていく遊星を鬼柳はみおくった。そして独り言のようにこぼす。
「能天使は、堕ちやすいんだよなあ……」
だが、みすみす仲間を悪魔なんぞにくれてやる義理はない。鬼柳は誓った。消さなければこっちがやられる。遊星もそれは解っているだろう。それが、ますます彼を闇に近づけるだろうなあと鬼柳を憂鬱にさせた。



ユーセイ。ラリー。
この二日間でジャックを訪ねたものはその二人しかいなかった。当然のように悪魔を囲っていることは知られていないらしい。当たり前だ。悪魔を殺さないなんて神に対する冒涜である。そんなリスクまで犯してジャックをかくまうその理由はいまだ解らなかったが、なんとなく遊星のほうはこの右腕の痣を消したがっているようにみえた。幾度となく浄化の光を痣に浴びせるのでジャックはそのたびに抵抗したが、幸いなことに痣はまだ消えていない。しかし、そのせいでジャックの体力はなかなか回復しなかった。それどころか浄化の毒がじわじわと体を蝕んでいく感覚さえする。まさに生殺し状態だ。
もう一人の天使、ラリーは明るい子供だった。ジャックが悪魔だということを知ったうえでいろいろと世話をやいてくれるその姿に始めは気味の悪さを覚えたが次第に慣れた。慣れたが、あの子供が金の髪に注ぐ好奇心まるだしの視線が苦手だった。どうにもこそばゆい。この容姿で同士から嘲りはされるものの、このような尊敬の眼差しをうけることはなかったからだ。そんなときジャックは、いくら羨まれようと、相手は天使だぞ、と自らを叱咤する。次代のキングとなるものが、なんと情けない!ジャックは唇を噛んでじっと耐えていた。そんなジャックの葛藤もしらず、ラリーはジャックを退屈させまいとした気遣いからかよく喋った。たんに自分がお喋りなだけかもしれない。自らも多弁なジャックはその言葉にいちいち頷いたりしてみた。暇だったからである。そしてあの遊星の弱点を知りたかったからである。
「俺たちは、はみ出し者なんだよ」ラリーがすねたように頬を膨らませる。「俺はこきつかわれてばっかだし、遊星は危険な悪魔を退治する仕事しか与えられない」
「能天使とはそういうものだ」
「でも遊星は強い。しかも優しいんだ。お前、運がよかったよ」
自慢げに遊星の事を語るラリーの表情はいつもきらきらと輝いている。ほんとうに遊星が好きなんだろう。ジャックはさらに一歩踏み込んでみた。
「俺を殺さない理由を知っているか?」
「……知らない。遊星は教えてくれないんだ」
ラリー、と小さく呼んでジャックは手招きをする。ラリーは一瞬硬直した。あまり悪魔に近づくなと遊星辺りから釘を刺されているにちがいない。だが「教えてやろうか?」と甘く囁いてみればラリーはぐっと唇を噛み締めて一歩一歩近づいてきた。それでいい。この子供の柔肌を少しでも傷つけてやれば、そこから力を流し込める。特に修行を積んだわけでもない見習い天使など簡単に操ることができるだろう。「耳を貸せ」そうしてラリーはそっとジャックに耳を近づけた。

「内緒話か」
いつの間にか戸口に立っていた遊星は「楽しそうだな」と口角を吊り上げた。「ゆ、遊星!」とラリーは慌ててジャックから離れる。ジャックは歯噛みした。もう少しだったのに。タイミングが良すぎる。まさかバレたか?
「ごめんなさい、遊星…」
「いい。それよりも、ナーヴたちが呼んでいた」
「わかったよ。あーあ、また仕事の手伝いかなあ…」
ラリーはそうぼやきながら足をぱたぱたとならし部屋を出て行った。ジャックは黙ったまま遊星をじっと注視していた。先ほどの笑みは消えてまた無表情に戻っている。いや、怒っているようだ。遊星はジャックに近寄ると不躾に言った。
「あまりラリーに変なことをふきこむな」
「俺は少しあの小僧をからかっただけだ」それとも、俺を殺さない理由をお前が教えてくれるのか?ジャックはそう挑発したが遊星はすまして取り合わなかった。遊星はいつものように痣に手をかざす。
「何度やってもムダだがな」
ジャックは痣に固執する遊星を嘲笑った。遊星はぎゅ、と痣のある腕を握る。とたんにジャックは苦しみ、身をよじらせた。
「くっ…ぅ、……」
触れられただけというのにものすごい熱量だ。「あああぁ……ッ」ジャックは耐え切れず絶叫する。無駄だ、と遊星が呟いた。そっちこそ無駄な抵抗だ、と。
「ユーセイ、お前が俺を殺さない理由をあててやろうか!」
苦し紛れにジャックが吼えるとぴたりと遊星の動作が止まった。その隙にジャックは遊星の手を振り払う。そして叫んだ。
「お前は悪魔を苦しめるのに快楽を覚えるいやしい天使だ。こうやって俺を痛めつけるのに興奮しているのだろう。今のお前の顔はまるで悪魔だ。その髪の色が証拠だ」
黙れ、と遊星はいらいらした様子でジャックの言葉を遮ろうとした。しかしジャックの無駄口はやまない。
「天使の皮を被った悪魔め。可愛そうに、ここの連中はお前に嫌な仕事ばかりおしつけるのだろう?影でお前を悪魔の手先などと陰口を叩く奴らもいるのだろう?もう聖人ぶらなくてもいいのだぞ。なにせお前は悪魔なのだからな!」
ばしっ、と肉を叩いた音が響いた。遊星がジャックの頬を殴ったのだ。随分強く殴られたジャックはシーツの上に倒れる。遊星ははっとした。「……すまない」早口にぼそりと謝ると拳を握り締め、ジャックの後の動きを想像した。殴られるかもしれない。だが、悪魔は怒鳴りもしなかった。ただ哀れんだだけだ。
「かわいそうに」
ジャックはうっすらと目を開ける。
「……俺の元に来い」
ジャックはそう言って上体を起こしベッドに座りなおした。金の髪を振る。そして笑った。遊星はその動作に呆気に取られた。こいつは何を言っている。
「同胞よ。俺は、お前を歓迎する」
「……同胞、だと?」ぴく、と遊星の眉が潜められたのをみるとジャックはああそうだ、と同意した。
「天使にもなれず、悪魔にもなれず…同胞から疎まれ、敵からは嘲弄され……」そうしてジャックは自分の胸をおさえた。「俺もお前と同じ痛みを抱えている。お前と同じだ」
遊星が息を飲む。ジャックは更に声を震わせた。遊星の同情を誘うためだ。天使はやさしくて、おろかだ。ジャックの演技にもうすっかり頭を働かせることを忘れているようだった。闇は、毒である。ジャックを浄化するために幾度となく触れたときにもらった毒が、遊星を蝕んでいこうとしている。誘惑と言う甘い毒に。
「ユーセイ、取引をしよう。お前と、あのラリーとかいう天使も連れていってもいい。ここをでて、俺の元へ来い。もうじき俺の国となるべきところだ。お前達に害をなす者はいない。俺が王になるからだ」
「やはり、その痣……」
「フ、やはり知っていたのか。俺はキングになる。そのときには、お前達に贅沢をさせてやる。悪くないだろう」
「俺に、堕天しろというのか」
ジャックは遊星の手を取った。焼けてしまいそうな熱にジャックは一瞬意識が眩んだ。遊星は慌てて引き離した。「死ぬぞ」「どうせこの取引が決裂したら、俺は死ぬしかない」ジャックの紫の視線は遊星を射抜いた。「どうせ浄化されるなら、お前の手で消されたい」とも言った。遊星がごくりと息を飲む。迷うように揺れているその目をしばらく見つめていた。あともう一押しでいけると踏んだジャックはさらに遊星をそそのかす言葉を付け加えようとした。

「残念だが、そこまでだ」

冷たい声が二人の鼓膜を震わせた。数人の兵士を連れた天使がそこに立っていた。鬼柳、と遊星が絶望に大きく顔をゆがめた。鬼柳は淡々と兵士に命令した。
「連れていけ」
「鬼柳、待ってくれ!!」
「遊星。俺は、お前が堕天させられるのを黙って見逃すわけにはいかねぇんだ」
兵士が遊星を押しのけ、ジャックを取り囲む。ジャックは抵抗しようとしたがあっさり組み伏せられ、浄化の光を流し込まれて気絶してしまった。「鬼柳!」遊星は止めさせようと鬼柳の腕を掴む。
「遊星、まだ殺さない。こいつは次の王だ。審問にかけて…浄化する」
「だが!」
「お前がいくらやったって、悪魔は天使になれねぇ」
遊星は黙った。それは痛いほど痛感している。いくら悪魔に浄化の光を流し込んでも、悪魔が闇の力でできている限り存在を浄化しきってしまう。後にはなにも残らない。だからこそ遊星はジャックを浄化しきれないでいた。
「遊星……」
「…もう、わかった……」
遊星は鬼柳の横をすり抜けると廊下の奥へと消えてしまった。鬼柳はそんな痛々しい親友の背中を見送った。自分は正しいことをしたつもりだった。天使の中でも人一倍やさしい遊星が、今の悪魔を屠る立場に疑問をもっていることは知っていた。だからこそその遊星の気持ちを利用し堕天を促す悪魔をどうしても許すことができなかった。しかしいくら止めても、遊星はぐらぐらと闇の世界へ足を向けているような気がしてならないのだ。鬼柳はそこが不安で仕方がなかった。ごめんな、遊星。鬼柳はそうやって見えなくなった背中に謝罪するしかなかった。









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