もし遊星が偽ジャを連れ帰っていたら。



「夕飯はいい」
不動遊星が飯も食わず作業にのめり込むことは、サテライト時代からあったからなにぶん不思議なことではない。もはや習性と言ってもよかった。別にジャックの関心をひくことでもない。ただし頭にそれだけならという言葉がつく。これがDホイールの調整といってガレージに引きこもっているだけなら、ジャックはここまで不安になることはなかっただろう。そうか、と無関心を装って、後で腹をすかしている遊星のところにつまみやすいサンドウィッチなどを持っていけばよい話だ。だからジャックはその通り冷蔵庫に残っていた根菜を挟んだだけの固いサンドウィッチ(彼に勿論調理なんて二文字はない)と暖かいミルク(これは普通に飲めるものだった)を持って顔を真っ黒にしているであろう遊星のためにガレージへと降りていった。そしてその汗臭い額を拭くためにわざわざ持ってきたタオルをぱたりと落とした。もぬけの殻だった。



「おい遊星」
あれから結局遊星は帰ってこなかった。そして朝食の席にのこのこと姿を現した遊星をジャックは鋭く問い詰めた。「おい遊星、昨日どこへ行っていた」しかし遊星から返ってくる答えはひとつだけだった。「俺はどこにも行っていない」そんなはずはないとジャックは一歩踏み出した。遊星はその分だけ後ずさりジャックの勘違いじゃないかと話を切り上げた。不器用な遊星は嘘をつくのにわざわざ一番わかりやすく嘘をつくから友人としては楽だった。だが、わかりやすいからといって素直に吐くとは思ってはいけない。ハリネズミが栗に擬態するより明らかだったが、それをこじ開けるのには針にささるわ強情だわでなかなか大変なのだ。ジャックは仕方なくもういいとだけ言って遊星に背を向けた。遊星がわかりやすいのと同じ境遇に育って感化されたのか、ジャックもまた遊星と同じくわかりやすい頭を持っていた。
だからその日は一日中遊星を監視していた。
ジャックはガレージ上の階段まで椅子をひっぱってきてずっと遊星の行動を見ていた。ガレージには発散されない熱がこもる。電子機器を休ませず動かしているのならなおさらだ。暑いのか彼は上着を脱いで作業に没頭していた。久しぶりに見る友人の肌身にジャックは一瞬妙な気持ちを抱いた。あの頃よりまた逞しくなったというのがジャックに浮かんだ感想だ。体格ではとてもジャックにかなわないが、浅黒い色はますます男らしさを感じさせる。そういえば昔は遊星のあの肌の色が羨ましかったなと思考をゆるやかにシフトさせた。周りに白人がいなかったせいもあったが……男はみんなあの遊星のように逞しい色をしていて、だから幼いジャックは自分の、女のように白い肌を好まなかったのだ。そうやってうじうじとしていた自分に「肌の色がなんだ」と言い放ったのも、遊星だったような気がする。ほんとうにあんなサテライトで遊星のような友人にめぐり合えたことにジャックはしずかに感謝した。だからこそなのだ。遊星の不審な挙動にジャックは黙っていられる男ではない。ここにクロウがいたならば、「遊星もお年頃なんだよ察しろよ」と冷たい目で言われてジャックははっと我に返ったのかもしれないが、あの遊星ならばたとえ十六夜となにかしらあったとしてもこちらに話してくれるだろうという確固たる自信をもっていた。あの遊星が自分達に、そして自分に隠しごとをするはずがないと。
遊星はジャックの視線を知ってか知らずか、一日中Dホイールの前に陣取って動かなかった。ジャックもまた獲物を狙う肉食獣のようにぴたりとも動かなかった。クロウが何事かと若干引き気味になりながら仕事に出かけ、ブルーノが困ったようにちらちらとこちらを見る以外、いつもと変わらない風景だった。その日は夕方までなにもなかった風に見えた。しかし帰宅したクロウに「いい加減に働け!!」と殴られまた喧嘩が勃発し、ようやくおさまったかと思っていたら遊星はもう消えていた。いよいよジャックの疑念はつもりにつもって、一人では振り払えないほどになっていた。


ジャックは考え付く限りの対策を練った。だが、その網目をするりするりと通り抜けて今日も遊星は姿を消してしまう。遊星は完全にジャックの監視に気づいていた。そしてわざとジャックを避けていた。まるでサテライトの頃に逆戻りしたみたいだとジャックは得も知れぬ焦燥にかられる。ただあの頃は逆だった。遊星の視線をかいくぐりジャックはよくサテライトの夜へ飛び出して言った。やがてサテライトを出て行った。今度は遊星がそうなってしまうのではないかと不安なのである。約束があり、使命がある今は仲間の傍から離れるなんてことはないと思いたいが、あれは一度きめたら鉄のように硬い男だ。そして石のように思いつめてわざわざ重いものを背負う運命にあるようだ。それを思うとただただ不安なのである。
遊星も、あの頃同じ気持ちだったんだろうか。まるで化かしあいだとジャックは結論づける。


そんな釈然としない日を過ごしていたある日、ジャックはゾラから買出しを言いつけられた。そしてやっぱりカップラーメンに始まるインスタント食品を買ってきて叱られている最中だった。「まぁ、遊星ちゃんこのごろ熱心だからねぇ。こっちのほうが手軽だろうけど」とゾラが呟くのを耳にしたジャックは妙な違和感におそわれた。ゾラは油くさいからと言ってなかなかガレージに近づかないはずだった。「まぁ、そうだな」と相槌をうつ。
「あの子のものを食べないくせは、いつもなのかい?」
「サテライトにいた頃からわりと…そうだったが」
「そうかい…まるで主人にそっくりだ」ゾラは記憶に目を細めて言った。「しかし顔ぐらいみせてくれてもいいのにねぇ」「顔?」今度こそジャックは問い返した。
「よっぽど集中したいのか、鍵までかけちゃってねぇ。ノックをしないと出てこないんだよ」
「ちょっと待てゾラ!」思わず声を張り上げる。なんだいいきなり大声出して、と文句を言うゾラを気にせずジャックは問い詰める。「遊星は今どこにいるんだ?」
「うちの主人の作業部屋さ」
「作業部屋?そんなものがあったのか?」
ゾラは呆れて知らなかったのかい、とため息をついた。そして「まぁあんたたちは入れさせないけどね。遊星ちゃんだからいいんだよ」と眦を吊り上げた。
「場所は?」
「さぁね。壊されでもしたらたまったもんじゃない」
ゾラはそういって大量のインスタント食品の袋を引っさげて踵を返してしまった。ジャックはしばらく立ち尽くし、考えをめぐらせたあと「おい!ブルーノ聞きたいことがある!」と彼にしては最良の選択を導き出したのだった。


幸運にもブルーノはその部屋を知っていた。ちなみにクロウは知らなかったところをみるとゾラの信頼度は一目瞭然だった。まぁクロウよりかは上だろうとジャックはベッドに横になりながら夜を待った。ガレージから遊星が消えたことを確認して教えてもらった(ほぼ脅した)部屋の前まで移動する。鍵の存在を懸念したが、さらに幸運なことに鍵はかかっていなかった。もしかしたら不在なのだろうか。ジャックは周囲を確認してそっと中に滑り込むように入った。ほこりくさかった。そのにおいをかいでいるうちになぜだか後ろめたいような気持ちがジャックの足元を覆いつくした。周りの闇から誰かがじっとこちらを見ているような気がしてジャックは灯りのスイッチを探す。だが見つからない。ジャックは諦めて目が闇になれるまで少し待つことにした。
やがて目が慣れてくるとさすが時計職人の作業部屋だといわんばかりに周りは時計と、調律や修理に使うような器具で埋め尽くされていた。ぼう、と部屋の奥の扉から灯りがみえるのは、あれはパソコンの光が漏れているのだろうか。ほんとうに遊星はいないのか?ジャックはゆっくりとその方向へと歩を進める。
「……ジャック」
その時、ジャックの耳に入ってきたのは紛れもない遊星の声だった。ジャックはぎくりとして体を強張らせた。遊星の秘密にむりやりおしいった気まずさがジャックの動作を固いものにしていた。だが、ジャックに呼びかけるにしては声はあまりにも遠い。「……おきているか」まるで今の状況と的外れな声にジャックは急に好奇心を刺激された。優しい声だった。それがますます不気味だった。ジャックは部屋に入ってきたときの気持ちをますます膨らませ薄ぼんやりとした光が漏れている扉を覗き込んだ。壁に向かって座り込み熱心に作業をする遊星の丸められた背中がかすかに見えた。遊星が隠し立てするのを無理に暴いたものだから声を掛けるつもりは毛頭なかったが、しかし遊星が明かりもつけずにこんな所でなにをしているかが気になった。ジャックは目を凝らし、そしてようやく遊星が先ほどから触っているものが人の形をしているということに気づき驚愕した。
あいつは何をやっているんだ!?
遊星はジャックの存在など知る事もなく人の腕のようなものを取り上げてなにかぼそぼそと喋っている。ジャックは食い入るようにそれを見つめた。白い。そして痣がある。ジャックの腕に刻まれたものと同じ赤い翼が。何故。ジャックの胸はそれで埋め尽くされてしまった。ジャックの姿を模したデュエルロイド――あの、ジャックでさえ圧倒した力をもつ人形の残骸が壁に背を預けて座っていた。ジャックは一気に混乱の渦に陥った。なぜ、というのがひとつ。なんのために、というのがもうひとつ。後は濁流のように押し寄せる疑問に言葉すら失う。
遊星は役目を終えてただの人形と成り果てた機械の名前を呟く。せめてその目に狂気の兆しが少しでも輝いていればジャックは今すぐこの場から逃げ出しただろう。ただパソコンの光を反射して見えたその目はまったく普段どおりの青さを持っていた。その視線は青白く燃えているように見えた。それを見ているだけで、ジャックはふつふつと身の焼かれるような息苦しさを感じるのだった。
(なぜあいつはアレを持っている?)
そうして浮かび出た疑問を、不動遊星はすぐさま間接的に解決してみせた。遊星はジャックの名前を熱っぽく呼びながらその白い唇に自らのそれを重ねたのだ。あ、と漏れそうな息をジャックは必死に押し殺した。心臓がどくどくと音を立てて脳に多すぎる血液を送り出していく。こめかみが熱く、また頬も熱かった。ジャックはまるでその場に縫いとめられたかのように石化してしまった。
遊星はオレのことをそんな目で?ジャックは寒さで震えるがごとく唇を震わせた。あの遊星が?信じられなかった。だが目の前の映像はジャックの疑いだけをクリアにした。ジャックは遊星の唇から赤い舌が零れ落ちるのを見た。それはそのまま白い首筋へと吸い込まれていく。
「ッ、」
ジャックのものとは違う赤い目が確かにこちらをみてふと笑ったような気がした。体のほぼ半分が今だ金属骨格がむき出しの状態で、顔だけがひとつの傷もなかったように綺麗に修復されていた。その白くて美しい顔が勝ち誇ったように歪に笑うのだ。ジャックは恐ろしさで立ちすくんだ。それから遊星をなんとか引き剥がさんと画策した。だが動かない。足が、なにより唇がまだ石化から開放されていない。そうしている間に遊星はまたジャックの名前を呼んだ。それに答えるように機械の腕をぎりぎりと動かして遊星の背をゆっくりとなでた。「愛しているぞ、遊星」自分と同じ声が友人に愛を語る不快感をジャックは歯を食いしばって耐えた。いや、鉄でできた彼に意思が存在しているはずがない。
これは遊星の意思だ。
「ほんとうか」
「オレがお前に嘘をつくと思うか」
「そうだったな。俺もお前を愛している」
遊星はそういって赤子のようにジャックの胸に顔をうずめた。パソコンの低い起動音の他に何もない空間ではぴちゃぴちゃと何かを舐める音と時折低く喘ぐ音はよくジャックの鼓膜を揺らしていった。耳を塞ぎたくなった。目を閉じたくなった。愛しているという言葉が平生のジャックの余裕を失わせていた。もう不動遊星をただの友人だと思えなくなってしまった。それがより悲しく、また得体の知れない不安にえずきそうになりジャックは口元を押さえた。だが、唇に与えられた感触が遊星のもののように思えてジャックはいよいよどうすればいいのかわからなくなっていた。
友人が自分とそっくりの人形に愛を告白している。それが指し示すのは、紛れもなくジャック・アトラスへの愛だ。それもいやしいまでの肉欲にまみれた愛だった。それを今すぐ捧げられたのなら、ジャックはとてもじゃないが受け止め切れなかっただろう。遊星は友人として尊敬できる。好敵手として認めている。だが、恋人だなんて考えたこともなかった。友人だと思っていた。だというのに、ジャックは裏切られたような気持ちに押しつぶされそうになった。しかしそれでいて、遊星の指先が首を撫でるたびにジャックは奇妙なざわつきを感じていた。ぞわりと背筋が泡立ち、また腹の中の獣が牙を剥いた気がした。そしてそれが低く唸り、吠え立てるそれが負け犬の響きを帯びていると悟ったとき、そのとき始めてジャックは自分が嫉妬しているのだと気付いた。あの遊星の欲望で生きながらえている傀儡に。みっともなくも嫉妬していたのだ。
ジャックはなりふり構わずその場を逃げ出した。がたん、とぶつかった机が大きく揺れる。「誰だッ!?」鋭く叫ぶ遊星の声が鼓膜を突き刺した。一瞬足がすくむ。心臓が脈打つ早さに気をとられジャックは完全に冷静さを失っていた。目を凝らす。出口が見当たらない。そうしているうちにジャックは強い力に腕を掴まれていた。
「離せ!!」
「ッ!ジャック!?」
遊星が怯んだ隙にジャックはその手を振り払い壁を背に対峙した。暗闇に遊星の荒い息遣いが聞こえる。「……見たのか」低く冷たい声だった。目の前の影がなにを考えているのかまったくわからなかった。その恐怖にはやくもジャックは怖気づきそうになる。ジャックは後悔した。自分はパンドラの箱を開けてしまったのだと。そしてその底に希望なんてないことを暗闇がすべて物語っていた。
「見た…よな」
ジャックは固く口を結んだ。今はどうしても遊星と距離をおきたかった。遊星は人に嫌われることをなにより恐れる男だ。だからこんな場合、罪に苛む悲痛な面持ちで黙ってジャックを行かせるのとばかり思っていた。だが遊星はゆっくりとこちらにやってくる。あの褐色の指がジャックの頬に触れた。背筋が凍る。本気だ。遊星は本気でジャックをそういった対象としてみている。ジャックは遊星の青白い目から視線を離せなくなった。「逃げないのか」振り払いたかったその腕をジャックの良心が邪魔をする。「逃げられるはずもないか」く、と遊星は喉の奥で笑った。違う、とジャックは否定したくなった。そして実際、否定しようとあけた唇に遊星の唇が押し付けられていた。
「――!?」
ジャックはすぐ遊星を突き飛ばした。それでも胸倉を掴まれた手は離れてくれなかった。「貴様、自分がなにをやっているのかわかっているのか!」遊星はすぐにぐいとジャックの顔を引き寄せて「わかっている!!」と叫んだ。「でも……仕方ないだろう!!」びりびりと遊星を取り巻く電気のようなものがジャックの言葉を麻痺させてしまった。動きを止めたジャックに遊星の力もまたふと緩む。
「お前は…どうしてそんなに優しいんだ……」
さっさと突き放して逃げればいい。さもなくば反吐が出ると罵倒すればいい。お前そっくりな人形を慰みに使っているんだぞ。言い訳のような述懐を遊星はジャックの胸の上ではいた。遊星の言葉がジャックの胸で消えていくたびにジャックはその部分からうずきが全身に広がっていくのを感じた。自分を矮小だと罵るこの男に、驚くべきことに同情しているのだ。そのおかげでジャックはようやくすがりつく遊星の肩に手を添えられるまでには余裕と落ち着きを取りもどすことができた。
「俺は、優しくなんてない」ジャックは声を絞り出した。「その証拠に、今からお前を傷つける」
「いいんだ、それが普通の反応なんだ」遊星はすべて諦めたような顔をするとジャックから離れた。ジャックの腕が重力にしたがって落ちる。
「もう、友人としては見てくれないのだろう、お前は」
「……サテライトにいたときからだ」
そんなに前からか、とジャックは呻く。遊星は目をそらした。
「………すまない」
ジャックは目を伏せる。遊星は何も言わずに退いた。遊星の視線を避けるようにジャックは手探りで扉を探し出て行った。遊星はしばらくその白い背中を見送っていたが、やがて部屋の奥、もう一人のジャックのところへと足を運んだ。
「……ジャック」
「遊星、どうしたんだ?」
遊星とジャックの間に生まれた亀裂を知る由もない彼は無垢な問いかけとともに赤い目を瞬かせて遊星を見る。その金色の頭めがけて遊星はスパナを振り上げた。そして数秒の後床に振り下ろした。ジャックに軽蔑されたことが悲しかった。勝手ながらも、遊星はジャックに突き飛ばされるまでわずかな希望を持っていたのだ。ジャックが躊躇しているのは、もしかしたらジャックのほうにも少しだけそういう気持ちがあったからじゃないかと。だが結局歪んでいたのは自分だけだったのだ。遊星は最後の呟きを落として床に膝をついた。
「……ジャック。愛しているんだ……」
「俺も愛しているぞ、遊星」
ノイズ交じりのその声がむなしく響いて遊星はうなだれる。だから見ることができなかった。赤く瞳を輝かせた彼がにいと笑ったことに。それは先ほどまで遊星がジャックに向けていた笑みとそっくりだった。歪んだ、悲しい笑みだった。


「俺だけが遊星を愛しているんだ」




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