子ネタ
未完京クロ
かみさまはそこにいる
終わってる。
黄土色に煤けた町を見下ろしながらクロウはそう思った。クロウの眼前には、腐った太陽にからっからにされた街が佇んでいた。強い風が吹き荒れ、墓標のように立ち尽くすビルはどれもこれも建設途中で放り出され、まるで首を落とされたような不格好な低さで佇んでいる。すん、と鼻で空気を吸えば、海風が運んでくる腐臭と赤錆がざりざりと肺を引っ掻いていく不快感。クロウが腰掛けている廃ビルは相当高い位置にあったが、それでも北西から吹いてくる強風は砂を煽り、広範囲に渡ってそれを散布させていた。
本当に、終わってる。
クロウは胸中の思いを唾と共に憎々しげに吐き出した。白く泡立った唾を見るうちに込み上げてきたのは惨めさだった。額に先月初めて刻まれたマーカーがその思いを更に助長させる。ぐずぐずと頭から腐っていくような感覚にクロウはまたも吐き気を覚えた。頭が熱い。ついでに体調も最悪だ。
『天は地なしでは天になり得ないのです』1日数時間に渡って刷り込むように繰り返された再教育プログラムのビデオテープの演説が反芻される。『自らの行いを悔やみなさい。そしてまずは、人に尽くしなさい。平等に贖罪の機会は与えられているのです』それは単にシティの拡張工事に無理矢理付き合わせる謳い文句で、贖罪よりも山羊の名の方がサテライト住人には合っているように思えた。
「なあ」突然、背後から声をかけられ、クロウははっと我に返った。
「お前、最近良くここにいるよな」
振り返ると、そこにはいつの間にか少年が立っていた。ジョンブリアンの眼に知性と野性を兼ね備えたようなその少年は、先走る好奇心を隠しもせず「隣、いいか?」などと聞いてくる。「嫌だ」「それは困る」少年は頭をかいてそこ、元は俺の特等席だったんだけどなー、と未練がましくぼやいた。
「なんかワケありっぽかったら数日間だけ貸してやったのによ」
「………」
「その気になればこんなガキ追い出すのもたやすいのに。ああ俺っていい奴」
めんどくさい奴が来やがった、とクロウは胸中で呟く。クロウの反応を楽しんでいるのか少年は更に嫌みったらしく言葉を垂れ流した。
「シカトと来た。あぁどうしよう。ここは俺が、うん十年前からずっとずっと」
「勝手にしろ」投げやりにクロウは吐き捨てた。
「やりぃ」少年はクロウの隣にどかりと座り込んだ。無遠慮さにクロウは眉を顰める。
「お前何?家出?家出少年?」
「……それが、どうした」
「だからずっとここにいたのか」
家出、という言葉に心臓が跳ねる。世話をしてくれた女性のおおらかな笑顔と、幼なじみの顔が浮かんで消えた。だめだ、思い出したらだめだとクロウは拳を握りしめる。俺はもう彼らに会えない。額のマーカーと、俺の罪が許してくれない。
「……鬼柳」
「は?」
いきなり飛び出した固有名詞にクロウが聞き返すと少年は苦笑し「俺の名前。鬼に柳と書いて、鬼柳」と名乗った。「ま、ここらではちょっと有名だったんだぜ」
「へぇ」
「ほら、俺が名乗ったんだからお前も名乗れよ」
「……クロウ」そういえば名前を名乗るのも久しぶりだ。あの場所では番号でしか呼ばれなかった。
「クロウか。いい名前だな」
「どうも」
ぶつりと会話が途切れる。クロウは居心地の悪さに隣の鬼柳を見て呆れ返った。こいつ、完全にリラックスモードじゃねぇか。クロウには初対面の人間の前でこんなにも緊張を解す人間を見たことが無かった。サテライトの住人は、いつも外敵におびえてびくびくしているか、それとも数を集めて己の力を誇示する2種類の人間ぐらいしかいなかったからだ。例外はいたが。隣の男はそのどちらにも当てはまらなさそうであった。
「なぁ、クロウ」鬼柳が不意に話しかけてきた。「額の包帯って怪我?」自分の額を指差しながら鬼柳は不躾な視線をクロウの額に巻かれた包帯に注いだ。クロウは顔を背ける。「どうでもいいだろ」「そりゃどうでもいいけどさ」鬼柳は中空に投げ出した足先を見ながら言った。
「そんなん巻いてっと、どーぞカモにしてくださいって言ってるようなもんだぜ」
「うるさい」語調がついつい荒くなる。それに釣られて吐く息も熱くなった。ああくそ。クロウは思わず毒づく。
まあ、ここは俺が大人として一歩引くかな、そういって鬼柳は立ち上がって尻についた砂を軽く払った。やっとどっか行ってくれる、と安堵したクロウをよそに、鬼柳はあ、そうそうと言葉を付け足す。
「化膿する前にさっさと家に帰った方がいいぞ」
鬼柳はそう忠告して去っていった。クロウだけが一人取り残される。
バレてた。
クロウは恐る恐る額を触り、包帯を取り払う。ちょっと迷ってから、ガーゼを一気に剥がした。べりべりと嫌な音がして皮膚を痛みが襲う。酷く爛れているのは簡単に予想できた。
「くそ……」
傷口の上から無理に照射させられたマーカーは酷く化膿していたがセキュリティは何もしてくれなかった。ただ虫けらを見るような目でクロウを見下ろしていただけだった。あいつらの目、吐き気がする。だがそれ以上に、自分が許せなかった。
「クロウ!」
ぱしん、と頬をはたかれクロウはようやく悪夢から解放された。心臓が早鐘をうっているのが解る。「よかった、生きてたな」クロウを悪夢から呼び覚ました人物は、開かれた瞼を確認するとほっと息をついた。色素の薄い髪に珍しい黄色の眼。その容姿に数日前に知り合った少年だと思い出す。「オレ…」呟きかけた言葉は鬼柳の手のひらによって遮られた。
「栄養失調だ。だから帰れって言ったのに」
そう言うと鬼柳はよっこらせと自分の背中にクロウを背負った。弱って言葉すら告げないことをいいことに鬼柳はどんどん歩を進めていく。錆びだらけの駅の改札を跨ぎ寂れた繁華街を通り横穴を潜り抜け地下に降りていく。死ぬのかな。クロウはひっそり思った。それとも売られるのだろうか。昔、そんな事件が流行ったことを思い出す。子供が次々と消えてしまう不可解な事件だった。あの時はシティの人買いの仕業だったのだが。……あれ、そう言えばコイツ……。
考えを廻らせていたクロウは鬼柳が立ち止まったことで現実に引き戻された。思わず身を固くするクロウに鬼柳は苦笑して「別に取って食うつもりはないんだけど」とクロウをベッドに降ろした。くたりと倒れそうな体を腕を突っ張り耐える。足に力は入らない。反射的に眼を滑らせる。埃とカビ臭さから察するに今は使われなくなった地下街の一角だろうか。未知の不安と精神の限界に糸が切れたように腕から力が抜けた。
あ、と思う頃には湿気たシーツに倒れ込んでいた。大人しく寝とけと優しい声が降ってきた。クロウはまだしこりを感じながらも、ともかく今すぐ相手がどうこうする訳ではないと悟り黙って身を横たえておく。
まずは体力をつけなければ。来るべき時が来たら、恥を晒してでも逃げ出す算段だった。
数分後、鬼柳は缶詰を温めただけの簡易食を手に持ってきた。元はコンビーフ肉であったろうそれは、すり潰され湯でふやかされとても美味そうには見えなかった。「ほらよ」スプーンで運ばれたそれをクロウはしぶしぶ食べた。「流動食が無かったから適当に潰してみたけどなんかゲロみてぇ」とマナーもなしに言い放った鬼柳の頭を叩きたくて仕方がなかったが、腕は相変わらず少ししか持ち上がらない。かわりに睨み付けるとようやく気付いたのかそれとも嫌がらせか「悪ぃ、悪ぃ」と頭を下げてスプーンを持ち直した。二回目以降は眼を閉じて何とか完食する。胃は気持ち悪かったが、吐くほどではない。久々のまともな食事にクロウは今度こそ深い息をついた。
「満足したか?」
「……一応は」
鬼柳はそうかと頷いて缶詰を片付けた。それから少しはクロウを心配しているのかたんにやることがないのかベッドに腰かけてぼんやりし始めた。腹が満たされそろそろ眠くなってきていたクロウにはそれが辛かった。「……なあ」くぐもった声でクロウは呟く。
「……いつまでいるんだ」
「んー、お前が寝るまで」
「ばっ…か……じゃ…ねぇの……」
唇を動かすのも億劫になってきた。なんで助けた。これからどうするつもりだ。聞きたかった質問は結局全て諦め、クロウは睡魔の誘いに手をさしのべることに決めた。ぽん、と子供をあやすように鬼柳はクロウの頭に手を乗せる。他人の温もりが随分久しぶりだということに気がついた。
「……おやすみ」
やがて寝息が聞こえ出した頃、鬼柳は未だに巻かれている包帯を撫でてベッドから腰を上げた。数分後に救急箱を手に持ってクロウの包帯をほどきにかかる。ガーゼをめくり、思っていたより酷い怪我を確かめた。膿を拭き取り、化膿止めの薬を塗る。サテライトで薬は最も手に入りにくい一級品だが、鬼柳はそれを惜しみもなく使った。今治療しなければ、この子供は本当に死んでしまうだろう。
「俺もお人好しだよ、なぁ」
先程の食事に混ぜた睡眠薬が効いて熟睡しているクロウは、鬼柳の呟きにも治療の間にも目を覚ますことはなかった。
一通り治療を終えた鬼柳はその幼い顔を覗き込んで苦笑した。サテライトのストリートチルドレンにしては彼に非行の影は殆ど見当たらない。一日中例の場所でサテライトを見ているか、でなければ野良犬のようにごみ箱から食べられそうな物を漁りかろうじて命を食い繋ぐ生活をしていた。恐らく、このマーカーのせいではないかと鬼柳は考えている。このせいで家を追い出されたか、あるいは自ら家を出ていったか。どっちにせよ、こんな自虐傾向のある子供なんて直ぐにのたれ死ぬのが関の山だろう。だから、そう、彼には仲間が必要だ。
他人ではなく、仲間が。
「うぅ……」
子供が魘されているように唸った。それから小さく名前を呟いた。聞き取れなかったが、それは大事な大事な人のものなんだろう。閉じた目から薄く流れる水を掬ってやる。
「俺に、……できるかなぁ」
鬼柳は誰に言うでもなく呟く。寂しさを共有するようにクロウの髪を撫でた。その時、手元のPHSがけたたましく鳴り始める。鬼柳は慌てて立ち上がると、クロウの目が覚めていないことを確認しPHSを耳に当てながら寝室を忙しく出ていった。
力尽きた。
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