- ナノ -


「そこに掛けてもらいたい。今紅茶を淹れる」
「失礼します……わあ、すごい」

 そんなわけで御剣さんの執務室にお邪魔することになった。法律関係の本が上から下までぎっしりと並べられている本棚に圧倒される。地震の時とか大丈夫なのかな。
 美しいチェス盤や壁に飾られた豪華な服も気にはなるけれど、それ以上に気になるのは、見たことないタイプのトノサマン人形だ。私の知る限り、通常ルートでは出回っていないものだと思う。

「この人形、一体どうやって……?」
「今まで扱った事件で英都撮影所の関係者がいたのでな。事件解決の祝いに貰った」
「写真撮ってもいいですか!?」
「フ……無論だ」

 心なしか御剣さんも得意気な表情だ。だって凄くレアものだし、保存状態もスゴくいい。見せてもらえただけ私もラッキーだ。思う存分写真に収めよう。
 御剣さんに紅茶を準備してもらっている傍らで、私はお言葉に甘えて色んな角度で撮影する。
 ひとしきり撮りためて満足したところで、次に目を惹かれたのは新バージョンのトノサマンストラップだ。
 ガシャポンでの封入確率が低く、早くもプレミアがついていると専らの噂で、私もまだヒメサマンとワカサマンしか引けていないのだった。私が聞く前に、御剣さんが先に口を開いた。

「私は目当てのものが出たのでな。持っていくといい」
「そんな、お金払います!」
「そのような心遣いは不要だ。同じトノサマンファンであるキミに貰って欲しい」
「ええ……御剣さんどこまでもいい人ですね……じゃあ、有り難くいただきます」
「うム。ゆっくりしていきたまえ」

 御剣さんはカップを乗せたトレイを静かに置いて、私に勧めてくれたあと、机の方へと戻っていった。信楽さんの言っていた証拠品を探しているのか、しばらくキャビネットを開け閉めする音が聞こえる。ほぼ同時進行で、御剣さんは本棚から分厚いファイルを取り出しては戻し、取り出しては戻しと仕事モードに入ってしまった。
 せめて邪魔だけはしないように、ソファーにおとなしく座ってカップを両手に抱えた。
 紅茶は美味しいし、お茶請けも大好きなトノサマンクッキーだし、窓から差し込む光はとても暖かくて、居心地が良すぎて怖い。ここが検事局なのを忘れてしまいそうだ……
◇◇◇

 灼けつくような西陽が弱まってきた。
 調書から顔を上げて窓の外を見遣ると、藍色と橙色の美しいコントラストが広がっていた。
 ブラインドを調整し、ソファーの方に視線を向ければ、彼女は小さく寝息を立てて眠っていた。きっとこうなるだろうと予想していたので、あえて彼女に声を掛けないでいたのだ。

 足音を忍ばせて扉に鍵を掛けた後、彼女の座るソファーへ近づく。見慣れた執務室のはずなのに、今日だけは全く違う空間のようだった。募らせていた愛しさがこみ上げてくるのも、今までに無い経験だった。

 それは一目惚れだった。彼女は私のことなど覚えていないかもしれないが、数年前のイベント―映画試写会で、私の隣の席に彼女はいた。
 クライマックスのシーンの中、隣で息を呑む音がしたのが気になって視線を移した瞬間、全身に電撃が走ったようだった。

 トノサマンを見つめていた彼女の表情は、例えようもないほど美しかったのだ。
 同時に、彼女にこんな表情をさせることができるあの男に、私は柄にもなく嫉妬した。私にも、……いや、私だけにあのような表情を向けてもらいたいと、強く願うようになった。

 その後も時間の許す限りイベントに足を運び続けたが、彼女を見つけることはできなかった。私がこの数年間、どんなに焦がれていたかなど彼女には想像もつかないだろう。しかしようやく、数年前よりも更に美しくなって、彼女は私の前に現れた。

 そして彼女が私に声を掛けてくれた時、私達は運命で繋がっているのだと確信した。

 さて、無防備に寝顔を晒されていることを喜ぶべきか、危機管理がなっていないと後で咎めるべきか。
 思いを寄せた女を目の前にして、じっと指をくわえて待つことができるほど耐性があるわけでもない。

 彼女に恭しく唇を寄せた後、ぴくりと瞼が震えるのを見て取って、ふ、と気持ちが軽くなったのを自覚した。彼女の頭が回転しきらないうちに、法廷に立ったときのように畳みかけていくしかない。

「……御剣、さん……? あれ、私……」
「なまえくん、キミに伝えたいことがある」

 焦点の合わない目でぼうっとしている様子に、またしても理性が揺らぐ。ようやく心の堰が切れ始めたようだ。
 数年間抱えていたこの想いを、激流のごとく彼女に吐き出して共に溺れたい。2人分の重みを乗せたソファーが、鈍い音を立てた。

 ああ、こんなにも焦燥が掻き立てられるのは、全て逢魔が時のせいだ。