- ナノ -


 トノサマンの握手会以来、御剣さんと私はたまにメールをするようになった。
 写真のデータを送って数分も経たないうちに、こちらが恐縮する程のお礼が長文で書かれたメールを返ってきて、御剣さんは真面目な人だなあと感心してしまった。それに、ずっとトノサマンファンの友人が欲しかった私からしたら、交流できるのは万々歳だ。

 朝の通勤時間に、お昼ご飯の時間に、夜寝る前の時間。時間があるときに、毎週のトノサマンの感想や、たまに仕事の愚痴を書いて御剣さんに送る。今もお昼ご飯を食べる前に、他愛もない話を返信したばかりだ。
 御剣さんはかなり速筆で、面倒くさがりの私はついつい返信を後回しにしてしまうので申し訳ない気持ちになる。そして今回も、数分もしないうちにメールの受信音が鳴った。

"トノサマンをモチーフにした喫茶店が出来たと聞いたので、一緒に行きませんか"

 私ははっとして、今握りしめたお箸をお弁当の隅に置いた。公式サイトで、コラボカフェがオープンするというお知らせは確かに私も見た。オープン日をスケジュール帳に書こうとした時に上司に呼ばれたせいで、すっかり頭から抜けていた。ありがとう御剣さん。

"行きたいです、是非! 再来週の土曜は空いてますか?"

 メールを返信したあと、ようやくお弁当のおかずにありついた。
 このところ忙しかったから、誰かと出かけるなんて久しぶりだ。それに男の人となんて、なんだかデートみたいだな……あれれ?でも2人で出掛けるんだからデートなのかな。御剣さんと私が、デート。

「え、えええっ」
◇◇◇

「御剣検事、今日の法廷もカンペキだったッス! 追究がスルドすぎて、被告人がちょっぴり可哀想だったッス」
「ム、そうだろうか……」

 無意識に力を入れ過ぎていたのだとしたら、随分タンジュンな構造をしているものだと内心自嘲した。
 再来週に彼女と会える事実があるだけで、世界がこんなにも色鮮やかに見えるとは。

「検事オブザイヤー、今年も取れるといいッスね! いや、御剣検事なら間違いなしッス!」
「ああ、待ち遠しいな」

 気持ちが自分の制御に反して口から溢れ出るのも、生まれて初めての体験だった。しまったと口を噤んだが、糸鋸刑事の表情は先ほどと変わらないままで、自然な会話であったようだと安堵した。……そもそもそのような心配は無用か、糸鋸刑事が相手なら。

◇◇◇

 待ち合わせは午後一時、カフェに現地集合だった。
 その日はいつもよりメイクを丁寧に、仕事ではつけないトワレなんかも上品に振りかけてみたりして。余所行きの服にブラシをかけている途中、少し恥ずかしくなった。なんか私、すごい張り切ってる人みたい。でも、大好きなトノサマンに会うためには身嗜みはカンペキにしておかないと。頭の中で気持ちを切り替えて、心臓を落ち着かせた。
 大丈夫、御剣さんは友人として誘ってくれただけだ。初めて遊びに行くのにすでに自惚れていてどうする。恋愛初心者か。いや、初心者ですけど。ああああ……。このままベッドでのたうち回ってしまいそうだったので、トノサマンのオープニングテーマを脳内でリピート再生したらスンッ……と冷静になった。やっぱりトノサマンって凄い。


【午後1時 トノサマンカフェ前】

「あ、御剣さん! お疲れさまです!」
「なまえく、ん」

 人混みの波を抜けて、近づいてくる姿に見覚えがあった。会った時の目印に、この前と同じスーツを着てきてくれるという約束だったから、すぐに彼だと分かった。

 数秒遅れて私に気づいた彼―御剣さんが、目を見開いたような気がした。ど、どこか変だったのかな……ビルの自動ドアに映る自分をちらりと見る。

「なんと言えばいいか、その、凄く……見違えた」
「あ、ありがとうございます」

 なんだろう、このこそばゆい感じは。気合が入ってしまっていることを彼も薄々勘付いたみたいだ。
 そうだ、こんな時こそトノサマンの出番だ。

「すっごく楽しみですね! 私、今朝からずっとトノサマンのテーマ歌ってました!」
「……少々はしゃぎすぎだろう」

 御剣さんの反応に墓穴を掘ったかと一瞬焦ったけれど、笑ってくれた。自然と胸が高鳴る。
 時間差で恥ずかしさもこみあげてきたけれど、とにかく今日一日をこの人と楽しく過ごしたいと再び気持ちを切り替えた。
 御剣さんは流れるような動きで入口のドアを開けてくれて、王子様みたいだな、と思った。