- ナノ -



子どもからお年寄りまで、御剣さんの人となりを知っている人はみんな彼のことが大好きだ。バレンタインや誕生日なんかは検事局の廊下を通るたびに声をかけられていて、一種のアイドルみたいだな、って思ったのを覚えている。
でも御剣さんは思わせ振りな態度を取るようなタイプじゃないから、「そのようなアレは困る」とかなんとか言って丁重にお断りするみたいなんだけど。

私にとって御剣さんは、ピンチになったら必ず助けてくれる神様みたいな人だった。アポなしで御剣さんの執務室に忍び込んで、勝手にチェス盤を動かしたり来客用のソファーで寝っ転がっていても最近は注意されなくなった。バレンタインや誕生日プレゼントも、私が渡したらお礼の言葉と一緒に受け取ってくれたし、お返しに素敵なハンカチも貰った。だから御剣さんに心を許してもらっている、一番近い存在なんだって、多少は自惚れていたかもしれない。

そんなある日のこと、私は今日も御剣さんに会いにいくため、検事局がある最寄駅まで電車に乗って改札を出て、見慣れた道を歩いていく。電車がいつもより遅れていたせいか、人の行き交いも多かった。人の波に流されないように、空いている道を探して早足で歩いていくと、よく見知った人が視界に入った。ヒトキワ目立つ見慣れたひらひらの服、ワインレッドのジャケット。
間違いない、御剣さんだ!

「御剣さ、ん」

御剣さんの隣には女の人がいた。ふたりは会話しながら歩いているからか、私には全然気づいていない。普段ならお仕事仲間と一緒だろうと何だろうと構わず声を掛けに行くところなんだけど、駆け寄ろうとした足が固まって動けない。まるで石になっちゃったみたいだ。そのまま私と御剣さん達はすれ違って、ふたりは駅の改札へと消えていった。
何故だか私は、御剣さんはあの人のことが好きなんだって確信した。
だって、とても優しい顔をしていたから。

思い返せばたしかに最近、御剣さんは前より表情が優しくなったと思う。眉間のシワが険しくなっていたり、顔がやつれたりしていたなら、やめておきなよ、なーんてもっともらしいことも言えたかもしれないけど。大好きだから色々分かっちゃうんだよ、御剣さん。
例えば、キャビネットにしまってある大量のガシャポンの景品。ヒメサマンやワカサマンはいっぱいあるのに、トノサマンだけが1つもなかった。きっとあの人のために頑張って当てたんだろうな。好きになってもらえるように、振り向いてもらえるように、見えない努力まで重ねて。イマドキこんなに一途な男の人、あんまりいないんじゃないかなあ。
あとは、執務室の窓際に置いてある写真立て。御剣さんとトノサマンが仲良く並んでいる写真の裏に、実はもう1枚写真があることを私は知っている。本当は見たいけど、私の中で何かが終わってしまいそうで、未だに見られないでいるのは私だけの秘密なんだ。

御剣さんに好きな人がいるって分かったとき、内心少し、ううん、凄くショックを受けた。御剣さんにとっての私は、しょせん沢山の石ころの中の1つだったのかなって……ああ、だめだめ、卑屈になっちゃ。これがヤキモチっていうのかなあ。暗い色のもやが身体の中で渦巻いているような感じは、いつまで経っても慣れそうになかった。
気を紛らわすためにフリーズした頭を何とか回転させてみると、私はあの女の人と話したことがあるのを思い出した。話したことがあるって言っても一度だけで、御剣さんの執務室から出てきたあの人と、入ろうとしていた私がすれ違った時にこんにちはって挨拶しただけなんだけどね。笑顔で挨拶してくれたその人から良い香りがしたのを覚えているんだ。そのまま私は御剣さんの部屋でいつも通り過ごそうと思ったのだけれど、どうしても気になって聞いてしまった。

「今の人、誰ですか?」
「ム、なまえくんのことか……今は、ただの友人だ」

なんだ、つまんないの。そのまま私は持ってきていたマンガを読み始めちゃったから、御剣さんがどんな表情をしていたのかはわからずじまいだった。
そういえばあの時、御剣さんの大切にしているティーカップが珍しくテーブルの上に置いてあった気がする。いつもホテルのボーイさんが紅茶を持ってくるから、ホテルのロゴ入りカップを使っているところしか見たことなかったし。今だからわかることだけど、御剣さん、きっとあの人のために紅茶を淹れてあげたんだろうなあ。一途すぎてなんだか泣けてきた。あーあ。あの時もっとちゃんと、問いただせばよかったな。
例えば、こんな風に。

「御剣さん、好きな人はいますか」
「……悪いがそれについては、黙秘する」

答えを言っているようなものだよ、御剣さん。ただの想像なのに、あまりにも御剣さんっぽくて声を出して笑ってしまった。
私の中のもやもやが、今だけは消えてくれたみたいだ。