- ナノ -



「なまえ姉ちゃん、この子、迷子みたい」

共働きの両親は今日も残業で帰りが遅い。晩ご飯がそろそろ出来上がる頃、年の離れた弟が連れて帰ってきたのは、一人の男の子だった。
どこかのお坊ちゃんみたいな洋服は弟と同じく泥まみれで、年相応らしく遊び倒したのだろうと容易に推測できた。

「どこの子かな? お名前は?」
「……っ」

弟の後ろに隠れるようにして、涙目で私を見つめている。怒られるとでも思っているのだろうか、弟の服の裾がぐしゃりと握られている。
このまま追及してもラチがあかないと判断した私は、お風呂に2人を追い立てて、晩ご飯の準備を続けた。

5分くらいして様子を見に行くと、2人分のはしゃぎ声がお風呂から聞こえたので、ちょっとだけ安心した。
まだまだ出てくる様子がなかったので、男の子の服のポケットの中を探る。洗濯もかねて、何か身元がわかるものが出てこないか確認するためだ。
小石、10円玉、砂が少しとアメの包み紙……あれ、これ、よく見たらメモ用紙だ。
「いちやなぎ ゆみひこ」と書かれた文字の下に、電話番号と思わしき数字が書かれている。とりあえず、この子の親には電話しておこうかな。

洗濯機のスイッチを入れた後、受話器を手に取ってコールするも留守電に繋がったので、自分の名前と電話番号を吹き込んでおいた。
受話器を置いたのと同時に、浴室のドアが勢いよく開かれる音が聞こえてきたので、脱衣所がびしゃびしゃになる前に慌ててタオルをつかんで2人の元へ走る。例の子はさっきのよそよそしさなんて何のその、この子うちの子だったっけ、ってくらいすっかり馴染んでいる。元々人懐っこい子なのか、それともちょっと頭が良くないのかは判断の難しいところだった。
風邪を引かないようにしっかり水分をタオルで拭き取った後、その子には弟のパジャマを着せた。わあ、おそろいだあ!って飛び跳ねてる様子が可愛い。

「ゆみひこくんも、晩ご飯食べてってね」
「いいのか!? やさしいな!」
「お姉ちゃん、なんでこの子の名前わかったの?」
「超能力だよ」

私の周りを「すっごーい!」とぐるぐる走り回る2人に、子どもの体力って底無しだな、と謎の疲労感を覚えた。

晩ご飯をあらかた食べ終えた頃に、玄関のインターホンが鳴った。この時間帯に鳴らすのは宅配の人くらいのものだろうけど、一応用心のためドアチェーンをつけたままドアを開けた。
数センチにも満たない距離で立っていたのはサングラスの黒服の人達で、どうみてもカタギじゃなさそうな雰囲気を醸し出していた。ドアチェーンをかけておいて良かったと、自分の聡明さに今日ほど感謝したしたことはない。

「なななんでしょうか、うちには何も、」
「夜分遅くに申し訳ありません。そちらのお宅で、弓彦様がお世話になっていると思うのですが」
「あーっ! おまえたち!」

私の後ろから様子を見ていたゆみひこくんが声を上げたので、なんとか事なきを得た。ボディーガードの人達なのかな、だとしたら良いところのお坊ちゃん説は、あながち間違いではなかったのかもしれない。

「お父様も心配しています。さあ、帰りましょう」
「ううう……やだ、ここにいたい」
「ゆみひこくん、もっと遅くなるとオバケが出るから帰った方がいいよ。また弟と遊んでね」
「……! そ、そうか。うん、そうする」

本当に聞き分けがいい子だなあ。
私は乾燥の終わったゆみひこくんの服を紙袋に入れて、彼に手渡した。パジャマは今度返してもらえればいいか。

「ほんとに、また遊んでくれるのか?」
「うん、約束」
「……へへ。じゃあなまえ、またな!」
「ゆみひこくん、ばいばーい」

黒服の人と仲良く手を繋ぎながら、もう片方の手をブンブン振ってくれた。弟も彼の姿が見えなくなるまで、笑顔で手を振り返していた。