- ナノ -



成歩堂くんとは高校時代の友達だ。それなりに仲は良かったのだけれど、別々の大学に進学してからは何となく気が引けて連絡を取らなくなっていた。

それでも、最近たまたま駅で会った時に、彼の大学から程近いバーでバイトしていることを話したら、翌日に遊びにきてくれて驚いたのを覚えている。それ以来、彼はここの常連さんだ。

学生だし高いお酒はお互いに飲めないから、安くて美味しいカクテルを勧めつつ、中身のない話をだらだらと続けるのがいつものパターンだった。
……最近の彼の話題はもっぱら、彼女の話ばっかりなのだけど。

「今日のお昼もちいちゃんと食べたんだけど、作ってくれたお弁当がまた美味しくってさあ」

成歩堂くんの彼女はちょっと見ないくらいの美人なのだけれど、女にはキラわれるタイプっていうのかな、彼に写真を見せてもらった(無理矢理見せられた)時の第一印象はそんな感じだった。
でもそんな事を言っても失礼にしかならないし、女のやっかみだと思われて好感度下げるのも嫌だから、そこは胸の内にしまっておくことにした。
まあ、好感度を気にするくらいには、つまりそういうことなのだ。

「今度、彼女連れて来てよ」
「モチロン!」

彼はにっこりと笑って、ビールのお代わりを催促した。胸の奥が、少し軋んだ。

◇◇◇

その日は雨が降っていた。雨の日はお客さんも来なくって、今日に限っては店長も不在だった。お酒の残量をメモしたりキープボトルの掃除をして時間を過ごしていても、壁時計の針の進みが遅い気がした。

最近、成歩堂くん来ないなあ。弁護士の勉強で忙しいのかな。彼女とよろしくやってるのかな。あーあ。
重いため息をついたその時、ぎい、と木製のドアが開いた。

「いらっしゃい……って、傘は!?」

噂をすれば影。ドアの向こうから現れた彼は、服をびしょびしょに濡らしていた。慌ててバックヤードに向かい、掴んだタオルを彼に手渡す。成歩堂くんは何も言わずに、タオルを持ってぼうっと立ち尽くしたままだった。

彼女と何かあったんだ。

口を開けば一言目には、ちいちゃんちいちゃんと惚気話をいつもサクレツさせているのに、全く喋らないのは彼女が原因と考えて間違いないだろう。

やがて我に返ったのか、彼は曖昧に笑ってお気に入りの席に腰を下ろした。
いつもはカウンター越しで会話するのだけれど、なんだか今日は放っておけなくて、彼の隣の席に座ることにした。

「どうしても、なまえちゃんに会いたくなって。来ちゃった」
「は、早く拭きなよ。風邪ひくよ」
「……そうだね。何かあったかいヤツない?」

……オレンジジュースと蜂蜜を入れた温かいワインを啜りながら、彼は独り言のように話し始めた。

ある殺人事件の容疑者として成歩堂くんが告発され、ようやく今日釈放されたのだという。
彼が巻き込まれた事件の結果はあまりに衝撃的で、どう慰めればいいかわからず、瞬時に空となる彼のグラスにワインを注ぎ続けることしかできなかった。
話の最後の辺りになると彼は、細く息を漏らして嗚咽していた。

「彼女が運命のヒトだって、信じてたのに」

絞り出すような成歩堂くんの声に、心臓を掴まれるような感触がした。
"そんなことない""私じゃダメなの?"って喉まで出かかったけれど、この言葉を使うのは今じゃないって、そう思ったのだ。私は黙って彼の手の甲に自分の手を重ねる。彼は拒まなかった。

「ぼく、本気で弁護士を目指すよ。……ぼくを信頼してくれる人を、一番信じたいから」
「私は信じてるよ、いつも」
「ははっ、分かってるって。きみがぼくを裏切ったことなんてないじゃないか」

よかった、笑ってくれた。
さっきまでお酒を尋常でないくらい飲んでいたから、感情のコントロール次第では夜通し泣き明かすのではないかと心配していただけに、安心もひとしおだ。

「なまえちゃん、きみだけは、ぼくを裏切らないで」

彼の縋るような目に、思わず身が震えた。今度は私の手の甲に彼の手が重なる。
この千載一遇のチャンスをどう昇華させられるかを考えながら、私は笑顔で頷いた。

ごめんね成歩堂くん、したたかな女で。本当はずっと待っていたの。
貴方が彼女の毒で弱ったこの時を。