- ナノ -



「久しぶりね、なまえ。元気してた?」

久しく会っていない友人―ユキジからの電話に、心が躍る。同窓会の連絡かな、なんて思っていると、やはり予想通りの言葉が返ってきた。

「同窓会の案内を送るために連絡してるんだけど、まだ実家かしら」
「最近引っ越ししたから変わったよ。新しい住所、今伝えても大丈夫?」
「なにあんた、結婚したの?!」
「この度なんと……一人暮らしを始めました」

紛らわしいのよと小言を一通り頂戴した後で、しばらく昔の話に花を咲かせた。同窓会、せっかくだから行ってみようかな。

◇◇◇

がやがやと騒がしい空間、店員にビールを催促する声、懐かしさを感じる顔ぶれの数々。これぞ同窓会という雰囲気だ。
クラスの中心メンバーや仲の良かった女の子達はそこそこ覚えているものの、やっぱり中には記憶の片隅にも残っていない人もいた。きっとお互い様なのかもしれないけれど、どこかむず痒く感じた。

「全く、世の中の男ってほんと見る目ないわよねっ」

ユキジの声が遠くのテーブルから聞こえてきた。彼女は全然変わっていなくて本当に安心した。でも、それを言っていいのかどうかは判断の難しいところだったので、そこは胸の内にしまっておくことにした。
文集に書いた、華やかな将来の夢とはかけ離れた地味な仕事に日々追われる私を見て過去の自分はなんて思うかな、としばらく感傷に浸っていると。

「久しぶり、なまえ」

ビールの入ったグラスを持って、一人の男性が私の右隣に腰を下ろした。シックなデザインの服を着こなし、穏やかな雰囲気を纏うこの同級生は、果たして何という名前だっただろう。さっきまで隣のテーブルでケンヂと話していたのは、見えていたのだが。
……全く思い出せない。心の中で冷や汗を流しつつ、なんとか話を合わせる。

「ひ、久しぶり! なんだか大人っぽくなったね」
「そりゃそうだろ、何十年も経ってるんだからさ。なまえは全然変わってないな」
「あはは、そうかなあ」

なるべく名前を呼ばないようにして、彼との会話に相槌を打った。彼に下の名前で呼ばれるくらいの間柄だったことも思い出せなかったので、申し訳ない気持ちになる。

「なまえは最近どうなんだ?」
「全然。彼氏もできないし、なんならもらってほしいくらいだよ」
「な、」
「だめだぜなまえ、フクベエは妻帯者なんだから」

隣のテーブルでケロヨン達と飲み交わしていたケンヂがからかうように言った。そうなんだー残念、と当たり障りのないことを言おうとして彼の方を向いた時、目を見張った。彼は左胸のあたりを、指先が白くなるくらい握りしめていたのだ。見るからに上等そうな生地なのに、服が皺になってしまわないか心配になった。

「……大丈夫? 何か頼もうか?」
「……凄いな、本物は」

会話が噛み合わない。しばらく彼は、ぶつぶつと呟いて考え込むような仕草を見せた後、ようやく私の存在を思い出したかのように、元の柔らかな雰囲気に戻った。

「ケンヂも大分酔っ払ってるみたいだな。誰かと間違えてるみたいだ」
「そ、そうなんだ……」
「なまえ、グラスが空になりかけてる。何が飲みたい?」

素知らぬ顔で店員を呼び止める男に、あれ、と私は心の中で首を傾げた。
確か数十分程前、奥さんが新興宗教にはまった、という話を彼がケンヂに打ち明けているのが聞こえていたからだ。彼が何故嘘をついたのか考えようとしたけれど、妻帯者であろうとなかろうと、自分には関係のないことだと思い直して、考えるのをやめた。きっと何か事情があるのだろう。私は店員さんにグラスを片付けてもらおうと、気の抜けたビールを胃に流し込んだ。

日常に不穏な影がすぐそこまで差し迫っていたことに、この時は気づくことが出来なかった。