- ナノ -


ガラスが粉々に割れる音がした。
それを合図に、掃除人の私は道具を持って執務室へ駆けつける。急いで呼吸を整え、被雇用者らしくドアノックも忘れず、雇用主の許可が出るまで待つ。
しばらくすると「さっさと入れ!」と金切り声が聞こえたので、迅速に入室して執務室の鍵を閉める。

そして視界に映り込んだのは、冷たい置物と化した―政界No.2の重臣だった―死体を蹴り上げ、早く掃除しろと言わんばかりに親指を下に向けている私の雇用主―極卒さまだ。
彼は室内をかつかつと歩き回り、口角泡を飛ばしながら大きな声で話し始めた。

「どうしてみんなボクの言うことを聞かないのだろう。ボクはこんなに頭も良いし先見の明もある、国をここまで繁栄させて幸せをもたらしているのは他ならぬボクなのに、皆はどうしてボクに銃を向けるのだろう。しかし、ボクの崇高な演説が全く通じていない者がいるのもまた事実。猿に経を聞かせているようなものさ。それでもボクは、大宇宙の統一を成し遂げるために、支配者として常に君臨し続けなければならない。ボクって凄いでしょお?偉いでしょお?賢いでしょお?……ま、石ころのキミに言ってもしょうがないかあ」

黙々と死体を大きな袋に押し込む私の足をぐりぐりと踏みながら、笑顔で覗き込んでくる。反抗心をわざと抉り出すかのように。それでも入室した時からずっと、私は笑顔を絶やさずにいた。
だって、彼がたまらなく愛おしいから。

父や母を早くに亡くし、一人で生きる術を否が応でも身につけなければならず、彼が信用できる人間はほんの一握り。
それでも、自分の存在を人々の心に刻みたくて、認められたくて、生きている証を残したくて、こどものように承認欲求を振りかざす。ああ、なんて、いじらしい!

「私はどこにも行きません。それに、極卒さまは素晴らしい指導者です。全国民が極卒さまを信奉し、次なる躍進に熱い期待を込めております!極卒さまはこの国の未来を明るくするための唯一の希望です!極卒さまは」
「も、もういい」

極卒さまの踏む力が徐々に弱くなり、やがて決まりが悪そうに足を退けた。別にこのままでも良かったのだけど。

「……父さまや母さまは、今のボクを見て喜んでくれるかな」

ぽつり、と彼が零した言葉に、私は肯定の意味で黙って頷いた。
やがて彼は威厳たっぷりに靴の音を立てながら専用の椅子に腰を落とし、私に出ていけと言わんばかりに手で追い払う仕草をした。
良かった、これで極卒さまはしばらく大丈夫だ。ほっと胸を撫で下ろし、最後にガラスの破片を塵取りで掃き取った後、深々と一礼して執務室を後にした。

待機室に戻る渡り廊下の道すがら、エプロンのポケットに収めていた、手のひらに収まる程の小さなタブレットが振動した。

To. なまえ
全て順調。そっちはどうだ。
From. Mr. KK

To.Mr. KK
No.2が死亡。
追って連絡する。
From.なまえ

彼の周りを一人一人"掃除"するのが私の仕事だ。
邪魔者は消えるし、その度に私は極卒さまに存在を認識してもらえるし、まさに天職なのだ。任務を与えてくれた上司には頭が上がらない。
上司宛に送ったメッセージを削除しながら、また頬を緩めてしまうのだった。


でもいつの日か、上司は彼を×せと私に命令するだろう。その時私は、トリガーを引くことが出来るのだろうか。