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花吐き病
片思いを拗らせると花を吐き出すのが特徴。吐き出された花に接触すると感染する。治療法は見つかっていない。


「花吐き病ですね」

医師から病名と症状を聞いた時、衝動的に自分の首を両手で絞めたくなった。理解した瞬間、死んでも周りに知られたくない病気だと本能で拒絶したからだ。
今朝方吐き出して、医師に見せた赤い薔薇の花びらを握り潰す。

芸の一つだと思われるならまだいい。とにかくケダモノや絶対に父親と呼びたくないあいつに知られたら一生の終わりだ。この病気に罹ったことが知れようものなら、ケダモノは含み笑いの仮面で毎日からかってくるだろうし、あいつに至ってはこう、父親として息子の成長を温かく見守ります、みたいな目で見てくるのが容易に想像できる。ああ、今の時点ですでに殺したい。お望み通りに殺してやろう。鼻息荒く病院を後にした。

それでも病気が病気だけに、判明した後の方が気分が悪かった。帰り道の足取りが自分でも分かる程に重たくて、どうにか気持ちの整理をつけるために学校に戻ることにした。
途端に足取りは軽くなり、人間って単純だな、と思った。


学校に到着し、自席の机で頬杖をつく。
誰もいない教室に何となく居心地の悪さを感じながらも、今後この病気とどう向き合わないといけないか考え始めていた。

原因なんて、たった一人しかいないじゃないか。無意識に喉をかきむしる。
事実を受け入れるということは、俺が、この俺が、嫌だ、やっぱり認めたくない。また体調が悪くなってきた。
食道から何かがせり上がってくるのを察知して、喉に力を入れて押し戻す。不定期に波が来ては寄せ、来ては寄せで埒があかない。
ああ、もう、トイレに行って一度楽になりたい

「大丈夫?」

突然話しかけられたことに驚いて、つい喉の力を緩めてしまった。
しまった、と思った時にはすでに後の祭りで、舌触りの悪い感触がした後、意識が真っ白になった。
◇◇◇

次に目が覚めたのは、保健室のベッドの上だった。仕切られたカーテン、白い天井、特有の鼻につく匂い。
視線をずらすとパイプ椅子に自分の鞄が置かれていて、とりあえず携帯を取り出そうと身を起こす。服に付着した花びらを払い落とそうとした時、はたと気がついた。

あの時、俺に声をかけたのは、誰だった?

思わず手を口に当てる。あの声は、まさか、でも、俺が聞き間違えるはずがない。一度教室に戻って確かめなければ―
勢い良くカーテンが開かれ、驚いて身構える。何故かにやにやしている保健医の姿を認め、苛立ちを覚えた。

「ポピー、体調はどう? 顔色はさっきよりも良いわね。君を連れてきてくれた子は……あら、」
「げほっ、けほ、…ううっ」

保健医が隣の仕切られたカーテンを心配そうに見遣るが否や、俺は居ても立っても居られなくて、保健医を押し飛ばしてカーテンを開けた。
目の前に広がる光景に、あの声は聞き間違いではなかったのだと確信すると同時に、今度こそ思考が混乱した。保健医の咎める声も、もはや耳に入ってこなかった。

なまえの周りに、鮮やかな桃色の花が散らばっている。

俺のせいだ、きっと教室で俺が吐いた花を掃除してくれて、その時に感染させてしまったのだろう。
ただ、なまえがすぐに発症してしまうほど誰かを想っている事実の方が今の俺には重要だった。一体どいつだ、俺が直々にあの世まで送ってやる。一番切れ味のいいチェーンソーでひと思いに切り刻んで、二度となまえに近付くことが出来ない身体にしてやるよ。

「見ないで!」

なまえの悲痛な声で意識を元に戻す。よく見ると彼女の頬は紅く蒸気していて、今にも泣き出しそうだった。彼女から零れる桃色の花は、いつまでも見ていられるほどに魅惑的だ。
伸ばしかけた手をゆっくりと下ろす。彼女の周りに鞄が見当たらなかったので、せめてもの償いに教室まで取りに行こうと踵を返した。後ろにいた保健医がまだにやついているので、ぎろりと睨むと。


「まだ気付かないの? 意外と君も鈍いのね。どうみてもこの花、ヒナゲシでしょう」

言わないでって約束したのに!となまえの焦る声に、ようやく俺は事態を把握したのだった。なんだ、そういうことだったのか。
もう一度足を翻して彼女のベッドに近づき、自分の服に付着したままの花びらを一枚、横たわるなまえの唇に乗せ、人差し指でなぞる。彼女の頬が更に赤くなったのを見て、最悪の誤解はお互いに避けられたのだと安堵した。

口笛を吹いている保健医を締め出した後に、二人きりで話をしよう。言葉という名の花を贈り合いながら。