- ナノ -



わたしの気分は最悪だった。なぜかって?
隣にいる友達が、かれこれ1時間は検事局の入口前でじっとしているからだ。
そのくらい経ってからやっと、別の女の子達も同じように物陰でスタンバイしてることに気がついたわたしも鈍いんだけどね。「あ、牙琉検事の出待ちをしてるんだ」と分かった時の脱力感ったらなかった。
検事局の近くに素敵なパンケーキ屋さんがあるの!と連れ出されただけに、内心とてもがっかりしていた。パンケーキを食べたい気分にさせておいてあんまりな仕打ちだと思った。

恨みがましく彼女の服の裾を軽く引っ張ってみたけど、そんなのは御構い無しといったふうに、エレベーターを熱い視線で今も見つめている。
流石に彼女、いや彼女達も、屈強な警備員さんを振り切って執務室に突撃する勇気はないらしい。

たしかに牙琉検事はわたしの学校の卒業生だし、職種は違えど同じ法曹を目指している人間からすれば、ある意味特別な存在であることは間違いなかった。牙琉検事は留学経験もある超の字がつくほどのエリートで、その頃から凄かったらしい。才能も、女の子からの人気も。
わたしもちょっぴり憧れていたけれど、この前の学園祭があってからは……あ、嫌なこと思い出しちゃったからナシにしよう。
とにかく、わたしは牙琉検事の追っかけの一人だと思われるのが本当にイヤだった。

あーあ、せめてコンビニがあればなあ。
わたしは友達の背中を見るのをやめて、足下に視線を向けた。すると、男性ものの高そうな靴が見えて、疑問符が浮かんだその刹那、肩に手を置かれた。嗅いだことのある甘ったるいムスクの香りが鼻を擽る。

「えっ、がが、牙琉検事……!!」
「しーっ、静かに」

人差し指を立ててウィンクするその人は、たしかに友達が待ち焦がれていた彼だった。一拍遅れて友達も気がついたのか、目をキラキラと輝かせている。
周りの女の子達はエレベーターに視線を注いでいて、まだ彼の存在に気がついていないみたいだった。
友達はポケットから銀色のポスカを取り出すと、にっこりと彼に差し出した。

「あのっ! サインください!」
「ふふ、お安い御用さ」

彼は慣れた手つきでサインと友達の名前を書ききってから、今度はわたしの方を振り向いた。

「きみにも書いてあげようか?」
「……わたしは、いいです」
「そう? 残念。模擬裁判であんなに熱いギグを交わした仲だってのに」

実は、牙琉検事と話すのは今回が初めてなわけじゃなかった。この前の学園祭で催された模擬裁判で、弁護士役のわたしは牙琉検事にこてんぱんにやられてしまったのだった。次の演目が始まるまでのエキシビジョン的な役割だったとはいえ、わたしのプライドを粉々にするには十分だった。
実力不足だと言われたらそれまでだし、牙琉検事相手に勝てる見込みはそもそもゼロだったのかもしれないけれど、簡単に割り切れるものではなかった。
それ以来、わたしは牙琉検事を目の敵にしているというわけだ。

え?逆恨みじゃないかって?返す言葉もございません。

「ぶっつけ本番にしては堂々としていたし、きみのロジックは筋が通っていて良かったと思うよ。あとは、言葉というギターアンプでどう出力するか、だね」
「……ありがとうございます。とっっっても勉強になりました!」
「ははっ、ツレないなあ」

失礼な態度をとっているのは百も承知だ。友達が驚いて目を見張っているのだって分かってるし、なによりも自分の態度に一番腹を立てているのは他ならぬわたし自身だった。もう、こうなることが分かっていたから来たくなかったのに!
検事局に背を向けたその時、急に腕を掴まれて、驚いたわたしは元の方向に視線を投げた。掴んでいたのは牙琉検事だった。

「おや? もう帰っちまうのかい、可愛い未来の弁護士さん」
「……今度こそ貴方をやっつけるために、勉強しなくちゃいけないので!」
「そしたら、連絡先を教えてよ。きみが弁護士になったら、ぼくと熱いギグをいち早く交わすためにね」

ぎりぎりと歯を食いしばりつつ、結局わたしは彼の連絡先を登録した。こんなケンカ腰で連絡先交換する人なんているんだろうか。少なくとも、わたしの周りにはいない。
周りの女の子達がいつ彼に気がつくかハラハラしながらも交換し終えたわたしは、最低限の礼儀として牙琉検事に頭を下げた。そして友達―みぬきちゃんにまたねと手を振ってから、今度こそ検事局を後にした。

絶対に首席でテミスを卒業して、赤いジャケットでまずは戦意喪失させてみせる!

◇◇◇

「もう、牙琉検事ったら! なまえちゃんは負けず嫌いだから、ああいうチョウハツは逆効果ですよっ!」

牙琉検事にお願いされたから苦労して連れてきたのに!と、なまえを検事局に連れ出した張本人であるみぬきは、頬を膨らませて牙琉に詰め寄った。
それでも牙琉は楽しげに歌を口ずさみ、指をパチンと鳴らし続けている。

「これも戦略なんだよ、お嬢ちゃん。それにしてもシビれるね、彼女は! ぼくのハートに火をつけるくらいにね。きっといい弁護士になるよ」
「ふーん。オトナの恋ってやつですね。みぬきにはまだ早いかなあ……あっ!」

思い出したとばかりに、みぬきは手をポンと叩いた。トランプのスートが描かれたマジックパンツを鮮やかな手法で取り出して、ごそごそと中を探る。数秒もしないうちに目的の物を探し当てたのか、それを引っ張り出して牙琉に手渡した。
"大スクープ! 図書室で目撃! みょうじなまえと静矢零の秘密の逢瀬!"と、派手な見出しが躍る学校新聞が嫌でも目に飛び込んできて、牙琉の顔が強張った。

「……誰だい、このヤワそうな男は。それに、ちょっと距離が近すぎるんじゃないか、この2人」
「そんなこと、みぬきに言われてもなあ」
「ま、くだらないゴシップに違いないさ。どうせクラスメイトだろう?」
「そういえばなまえちゃん、今日も図書室で勉強するって言ってたような……」
「それを早く言わないとダメじゃないか! お嬢ちゃん、すぐにバイクで向かおう!」

澄まし顔でいる時よりもよっぽど男前だ。
駐車場へ一直線に向かう後ろ姿に、みぬきは恋のキューピッド役もなかなか悪くないと頬を緩ませて、牙琉の後を追いかけた。