- ナノ -


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ぴた、とお箸の動きが止まった。
王泥喜くんはからっぽになったお皿から視線を外して、じっと私を見ていた。

「…………なまえさんは、オレを恋愛対象としては、見てくれないんですか」
「うーん……どっちかというと、頼りになる弟みたいな感じかな。王泥喜くんみたいな弟、欲しかったなあ」

王泥喜くんと私のお皿にパスタを盛り付けながら、思ったままのことを口にした。
でも、ジョウゼツだった王泥喜くんがそれきり黙り込んでしまったので、何か彼の気に障ることを言ったのだと察した私は、慌てて言葉を続けた。

「だ、だけど、法廷ではすっごくカッコよかったから、ちょっとドキッとしちゃった」
「……でも、弟止まりなんですよね」

陰りのある笑みを浮かべた王泥喜くんは、窓の外に視線を向けて深く息を吐いたあと、信じられない言葉を呟いた。

「また何か、今回みたいな事件を考えないとなあ」

絶句した私をよそに、向かい側に座っていた王泥喜くんは、身を乗り出してじりじりと近づいてくる。テーブルの上に膝をついた拍子にコップが倒れて 、彼のスラックスに染みが広がっていく。王泥喜くんはそれを全く意に介さない様子でテーブルを乗り越えて、やがて私の隣にぴたりとくっついた。近すぎる距離が落ち着かなくて、彼との距離を広げようとしたけれど、体が石になったみたいに動かない。
それでも私は聞かなければ、先程の言葉の意味を。

「ど、」

どういう意味、と私が問うのを先読みしていたかのように、彼が先に口を開いた。

「そのままの意味ですよ」

なまえさん、と掠れたような声で、密着した身体の右側から違う体温が徐々に伝わってくる。
言葉を発しようとしても、気道が張り付いたように呼吸が苦しくて、うまく出てこない。ひゅうひゅうと下手な呼吸音が部屋に虚しく響いた。
やがて彼は、一人芝居を演じる役者のように、淀みなく話し始めた。

「ある日事務所に、名誉毀損で訴えたいと息巻いた一人の男がやってきました。話を聞けば聞くほど逆恨みも良いところだな、と断ろうとしたその時に、アイツの口から出てきたんです。アナタの名前が」
「それで、王泥喜くんは、……こ、殺したの? たったそれだけの理由で?」
「ははっ、本当になまえさんは優しいんですね。まあ、そんなところも好きですけど……動機なんてこれで充分でしょう? それに、まだまだ続きがあるんです」

残酷な現実をこれ以上突きつけられたくなくて、耳を塞ぎたくなった。それでも、少しでもムジュンをみつけたくて、こんなに優しい人が殺人を犯したなんて嘘だと思いたくて、私は次々に質問を重ねた。

「ど、どうやって毒を、」
「盛った方法ですか? 手に入れた方法ですか? でも、なまえさんだから特別に両方教えますね!」

今までの会話にそぐわないほどの明るい声で、彼は言葉を続けた。

「……事件当日まで何回も、無駄な打ち合わせをしていました。打ち合わせする度に、アイツは口汚くアナタを罵っていました。"調書を捏造して自分を有罪にした"だとか、"訴える前に見かけたら俺の毒で殺してやる"だとか…………今思い出しても虫唾が走る」
「…………」
「依頼を受けたフリをしているとはいえ、その日は本当に頭に来て面談を切り上げました。そして、解散する直前に缶コーヒーを渡しました。飲み口にあらかじめ毒薬を塗りこんだものを……プルタブを開けて渡したので、アイツはその場で飲み干さざるを得ませんでした」

自分の部屋のはずなのに、とても居心地が悪い。別世界に飛ばされてしまったかと錯覚するほどの辺りの静けさに、嫌な汗が流れた。

「毒薬を手に入れたのは、事件の日よりも前に打ち合わせた時です。何回目だったかは忘れましたけど……"別の事件でアトロキニーネが使われたので実物があれば参考にしたい"と言ったら、簡単に持ってきました。アイツの依頼なんて、オレ以外誰も耳を傾けなかったのでしょう。機嫌取りに必死なのが透けて見えて、笑えました」

くっくっと思い出し笑いをしている隣の彼は、本当に王泥喜くんなのだろうかと疑う程に冷たい表情をしていた。

「あの日も、アトロキニーネの薬瓶をアイツが持っていることは分かっていました。飲み終わった後の缶はオレが預かっていたので、解散後は早々に現場から離れて処分しました。何処で死のうが自殺として処理されるはずだからと、アイツの行き先を確かめもしなかった。それが最大の誤算でした……なまえさん、アナタがあのカフェにいたからです」

その話を聞いてようやく合点がいった。彼が突然、私の前に現れた理由が。

「だから、私の弁護を……」
「……アナタに容疑がかかったと知った時、とても焦りました。でも、この事件を利用して、アナタを弁護士として支えれば振り向いてくれるはずだ、って……。だから、弁護を申し出たんです」
「で、でも私達、一度も会ったことないじゃない! どうして、私を」
「……ありますよ、一度だけ。別の法廷でね。でも、なまえさんと会ったのはそれきりでした。書記官と弁護士じゃ次も同じ法廷とは限らないし、覚えてないのも仕方ないですけど…………その時から追いかけていたんです。ずっとアナタのことを」

熱い吐息を含んだ声で打ち明けられて、背筋がぞくぞくと震えた。彼が私の内側に侵蝕するのではないかと、たまらなく怖くなった。

「じゃ、じゃあ、私のカバンに入っていた薬瓶は?」
「やだなあ、なまえさんてば意外に忘れっぽいんですね。ふふ……法廷でも主張したはずです、"偶然"だって。オレも現場調査で初めて知って、もう真っ青でしたから! 全く、死んでも迷惑な"被害者"でしたね?」

ムジュンを悉く潰されていく絶望感に吐き気がして、私は口元を手で押さえた。彼は心底不思議そうな顔で私を見ていて、その異常さに目眩がした。

「でも、もうどうだっていいじゃないですか。冤罪も生み出していないし、なまえさんの身に危険が及ぶこともなくなったんですから。それより、これからの話をしましょう。例えばなまえさんとオレの、二人の未来の話……とか!」

王泥喜くんは私の目の前に跪いて、恭しく私の手を取った。暗い海のような瞳の中には、現実に溺れる私の姿が映っていた。
事実を聞いてしまった以上、目の前にいる彼を告発しなければ共犯も同然だ。

今回の事件は、この男が計画した殺人事件だったのだと。
被害者が自殺だと誘導したのも、私に近づいたのも、全て計画の内だったのだと。

身体が防衛反応を起こしているのか、先程から鳥肌が止まらない。今すぐ逃げ出したいくらい怖くて、心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。何を勘違いしたのか、彼は嬉しそうに私の手をきつく握りしめて、熱を潜めた声で耳打ちした。
その時に彼が発した言葉は、あまりにも常軌を逸していて、一生忘れられない記憶として私に刻み込まれる。

「オレが弁護を申し出た時の、なまえさんの縋るような目……本当に、最高でした。今でも脳裏に焼き付いて離れない……」

●thello