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【午前10時 地方裁判所第4法廷】

「それでは、これより開廷いたします。……ところで被告人、以前どこかでお会いしましたかな?」

どこかで見覚えがあるとばかりに、裁判長が被告人席を眺めた。

「裁判長、きっと思い違いだと思うよ。それより早く始めよう。久しぶりに、おデコくんと熱いギグが楽しめそうだからね」
「ははあ、これも年のせいでしょうか。嘆かわしいことです……。では牙琉検事、冒頭弁論をお願いします」

仕事仲間だろ……と呆れた顔で裁判官を見る王泥喜に思わず笑いそうになったが、ぐっと堪えてなまえは気を引き締めた。自分の行く末は、この弁護士に託しているのだから。


「被告人は製薬会社勤務の営業マンで、45才独身。数年前に横領容疑で逮捕されており、最終的に懲役1年の判決を受けている。この事件を機に前の会社を解雇となり、子どもと奥さんには見限られ、離婚した際に財産を全て持って行かれたようだ。そのため、彼は事件関係者に強いウラミを抱いていたと見られている。……被害者の家から押収された復讐計画書を、証拠品として提出するよ」
「どれどれ……"これで、全て終わらせよう。あの時関わったヤツらに、少しでも苦しみを味わわせてやりたい"……なんというか、これぞブッソウ!と言わんばかりの文面ですな」

裁判所が証拠品を確認する傍ら、なまえの身体が自然と震えた。被害者の素性はあらかた王泥喜から聞いていたが、人間の悪意をここまであらかさまに向けられたことのないなまえにとっては、充分すぎるほどの精神的なダメージを受けた。

「そこの被告人も、当時の裁判で書記官として携わっていたためターゲットの一人になっていた。先程提出した復讐計画書によると、名誉毀損で関係者を片っ端から訴えていくつもりだったようだ。ご覧のとおり、関係者の写真や氏名、住所まで記載されている」
「!カンゼンに逆恨みじゃないですか……しかし、身もフタもない言い方ですが、よく被害者は、自力救済に走りませんでしたね?」
「同じ目に遭わせたいという、強い執念の表れだったと検察側は考えている。そして、人の悪意は自然と伝わるモノさ……ぼくも経験があるから分かるよ。被告人はそれをいち早く察して、復讐される前に今回の犯行に至ったんだろう?」
「ちょっと待ってくださいッ!!それは検察の言いがかりです!!」

王泥喜は威嚇するかの如く、机を強く叩いた。なまえが小さく叫び声を上げたことに気づいた王泥喜は、慌ててぺこりと頭を下げた。牙琉はそれに笑みを零しながら、言葉を続けた。

「……オーケイ。じゃあ、熱いファンコールに応えて、最初の証人を召喚するとしようか」
◇◇◇

「……それでは証人、職業と名前をお願いできるかな?」
「うぅ……て、天馬ゆめみと言います。この裁判所近くのカフェで、ウ、ウェイトレスをしています」
「証人は当日、被害者が毒で倒れた場面を目撃している。そのことについて、証言してほしい」
「よろしい。それでは、お願いできますかな」

「は、はい……あれは、確か午後1時くらいのことでした。案内した男性が座って数分後、急に苦しみ始めたんです!……それに、隣に座っていた被告人の持ち物から、毒薬入りの瓶が見つかったんでしょう?きっと被告人の女性が、毒を入れたに違いありません!」
「待った!……でも証人は、被告人が毒を入れている場面は見ていないわけですよね?」
「は、はい、それはそうですけど……でも……」

おどおどと震えるゆめみに、王泥喜は鋭く切り込んでいく。おびえる彼女を一瞬可哀想に思ったが、今は自分の未来がかかっている。同情している場合ではないと、なまえは自分を戒めた。

「毒の成分については、ぼくから説明するよ。被害者の死体から検出されたのは猛毒、アトロキニーネだ。……それに、弁護側は隠し通したいようだけど、被告人の持ち物であるカバンからはアトロキニーネの薬瓶が押収されている。これこそが、被告人が犯人だという決定的な証拠だッ!」

一瞬で法廷がざわめく。お前がやったんだろう、さっさと自白しろと、激しい罵倒や野次が飛ぶ。なまえはすがるように視線を向けると、王泥喜は大丈夫だ、といつもの穏やかな笑みをなまえに返した。

「待ったッ!……その猛毒は法律で厳しく流通制限されており、一般人の彼女が入手する手段はないはずです。彼女の交友関係を、検察側はきちんと洗ったんでしょうか?」
「ははっ、おデコくんこそぼくの冒頭弁論を聞いていなかったのかな?被害者は製薬会社の営業マンだよ」
「ぐっ……!」
「それに、アトロキニーネは使用方法によっては特効薬になるため、被害者が販売ルート開拓を任されていたことも裏がとれている。だとすると事件当日も、被害者が持ち歩いていたことは間違いないと見ていいだろうね。そして、カフェで隣に座っていた被告人がアトロキニーネ入りの薬瓶を盗み、コーヒーに入れたのさ!」
「う、うおおオォッ!!!」

痛い所を突かれたとばかりに、王泥喜の前髪がはらりと顔に落ちる。その様子を見たなまえの額に、じわりと冷や汗が流れた。本当に大丈夫なのだろうか。