- ナノ -


「あ、あの、オレ、王泥喜法介って言います!アナタを弁護させてくださいッ!」
「わ、私の……?」

留置室のガラス越しに映る男性に見覚えがあった私は、間抜けな声を上げた。テレビや雑誌で取り上げられない日はないくらい有名な、成歩堂なんでも事務所の弁護士さんだったからだ。勝率の高さもさることながら、この事務所に所属する弁護士達が参加する公判は必ず大波乱を巻き起こすと、私の勤め先である地方裁判所では大変に恐れられていた。色々な意味で有名なその弁護士さんが、私の弁護をしてくれるのだという。

「それは願ったり叶ったりですけど……これから国選弁護の手続きを取るところだったので。是非、よろしくお願いします」
「モチロンです!あと、敬語は使わなくて大丈夫ですよ。なまえさん」

法曹界入りの年数では先輩なので、とニッカリ笑う弁護士さんに、思わずときめいた。随分と可愛いことを言ってくれるじゃないか。スマートに下の名前で呼ぶところも女の子にモテそうだなあ。
自分の置かれている状況から少しでも逃避したくて、センのないことを考えていると。

「早速ですけど、事件について聞かせて貰ってもイイですか?」
「……うん、わかった」

◇◇◇

まずは自己紹介した方が良いよね。
私はみょうじなまえ、この地方裁判所で書記官を務めているの。事件は昨日、裁判所近くのカフェで起こったの。知ってる?ここから歩いてすぐのオフィスビル一階にある、開放的な感じのカフェ。裁判所内のカフェより安いしメニューも豊富だから、王泥喜くんも機会があれば行ってみてね。そこのお店、カフェメニュー以外にもいろんなサービスがあって、オリジナルのコーヒー豆を販売していたり、自分のタンブラーを持って行くと50円引きになるからとってもオススメなんだよ。ええと、何の話だっけ。
その日私はお昼当番だったから、1時間ずらして休憩をもらっていたわけ。だから、私が行ったのはピークを過ぎたときで、人の出入りは落ち着いていたかな。え?そのとき何をオーダーしたかって?うーん、パスタだったんだけど、あんなことがあったから味はよく覚えてないんだ。あまり思い出せなくてごめんね。
私が席に着いてパスタを食べていたとき、コーヒーカップを持った男の人が隣の席に座ったの。でもその人が座って数分くらい経った頃かな、隣から苦しそうに咳き込む声がしたから気になって横目で見たんだ。
そうしたら、急にテーブルに置いてある砂糖入れやメニュー立てをひっくり返したり、その人のカバンが私に飛んできたりして……の、のたうち回りながら叫び始めたの。いつも賑やかなカフェが、その時だけ空間を切り取られたみたいに静かになったのを覚えてるよ。私もその人に釘付けになっていたと思う。うーん……その人が直前に何をしていたのか、かあ……隣の人が一々何してるかなんて、何もなければ普通気にしないじゃない?だから正確には分からないんだけど、多分飲み物に何か入っていたんだと思う。モチロン私は何もしてない……って、こんな主張が通ってたら警察いらないよね。
◇◇◇

時系列に沿って正しく説明できたはず、と職業柄気にしてしまった。
でも、言葉が洪水のように溢れ出てくるあたり、自分自身もこんなに整理できていなかったんだと改めて実感して、どっと疲れが出てしまった。

「それで、今回なまえさんが逮捕になった決め手はなんだったんでしょうか?」
「私のカバンに入ってた毒薬入りの瓶。死体から検出された成分と一致したんだって。でも、わたし、ほんとにしらないの、こんなの……」
「……なまえさんは大丈夫ですッ!!落ち着いてください!」

王泥喜くんの大きな声で現実に引き戻される。彼の真っ直ぐな瞳で射抜かれて、昂ぶっていた頭の中が冷えていくようだった。

「……そういえば、どうして私の弁護を引き受けてくれるの?」
「実は、……今回の被害者はオレの知ってる人なんです。でも、なまえさんには殺す動機がない。アナタを弁護することで、少しでも真実に近づけると思ったからです」
「……王泥喜くんもご愁傷さまだったんだね。でも、犯人は絶対に私じゃないよ。……信じて、もらえるかな」
「はい!依頼人の無実を信じ抜くのが、オレの信念ですから!」
「あ、ありがと、う……ううっ」

久しぶりに掛けられた優しい言葉に、涙が溢れて止まらなかった。ある程度覚悟していたものの、取調べがこんなに厳しいなんて知らなかった。
公判前に出来るだけ証拠を集めるためだから仕方ないのかもしれないけれど、はじめから犯人と決めてかかるような強い言動、揺さぶりに頭が真っ白になってしまった。検察側にとって不利になりそうな訴えには一切耳を貸してくれなくて、全てから見放されてしまったような孤独感に、取り調べ最初の夜は泣きながら布団をかぶった。
でも、目の前にいるこの人は、私の言うことを信じてくれた。救いの手を差し伸べてくれた。

「お願いします。無実を証明してください。そのためなら私、何でも手伝う、から……」
「!わ、わ、泣かないでください」

ハンカチを差し出されて、私は不意を突かれて笑ってしまった。
遅れて王泥喜くんも気がついたのか、照れ臭そうにポケットにハンカチをしまった。

「ここ、ガラス越しでしたね」

◇◇◇

翌日もその次の日も、王泥喜くんはアイマイな記憶の私から根気強く話を聞き取ってくれた。現場の調査結果や検察が提示してくるであろう見解をこまめに報告してくれて、仕事に取り組む熱心さは見習わないといけないなと思った。
ただ、私にとって有利な証拠はそう簡単に見つからないわけで、明日の裁判も一筋縄じゃ行かないのだろうな、と思っていると。

「……なまえさんは、緊張した時に耳を触るクセがありますね」
「……あ、ほんとだ」
「じ、自覚なかったんですね……でも、なまえさんの無実は明白なんです。大船に乗ったつもりでいてください!」
「ありがとう、頼りにしてるよ。無事に無罪判決がもらえたら、盛大にパーティーしようね」
「はい!絶対にやりましょう!」

王泥喜くんの笑顔を見ていたら、憂鬱な気分が少しだけ晴れたような気がした。