入院してる鈴美さんと露伴 耳鳴り 『わたし一人ぼっちだったけれど、露伴ちゃんが来てくれるようになって、幸せだわ』 お仕事の邪魔はしてないかしら?なんて言う彼女に向かって、君に心配されてるようじゃ僕もおしまいだねと彼は言った。 「露伴ちゃん、また会いに来てくれたのね」 この部屋に入るとまず、彼女はそう言う。こちらを向いて、目を細めて微笑んで、手を組んで顎の位置へ持っていく。それが一連の流れだった。 見慣れたものだ。露伴は背後の扉を閉め、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。 「別に君に会いに来たわけじゃあない。病室の資料が欲しいんだ。スケッチをしに来たんだ」 その返答も、流れのひとつかもしれない。鈴美がクスクスと笑いながら「そんな毎日、同じスケッチが必要なの?」と続けると露伴は言葉に詰まったように、うるさいなとそっぽを向いた。 部屋の隅に置かれた椅子をベッドの側まで持ってきて、足を組んで腰掛けた。 スケッチブックを取り出し目に映る景色をさらさらと描いていく。 昼時、白い病室に眩しい陽射しがよく入る。 個室の彼女の部屋は眺めがよく、覗く木がゆらゆらと揺れて、顔を乗り出せば外で遊ぶ子供の姿が見えた。 無音の時が流れる。特に気まずいわけでもないが、こちらをじっと見続ける鈴美の視線を感じて、まばたきの回数を増やしながら露伴はぽつりと言った。 「花の一つでも持ってきた方がいいものかな」 「そんなのいいのよ」 前持ってきてくれたじゃない、そんな毎回気を遣わなくていいのよ。来てくれるだけで十分だわ。そう続ける鈴美の横顔を眺めながら、フーとため息をつき、次は適当に持ってくるか、と声に出さず考える彼はやはり捻くれた性格である。 「露伴ちゃん、わたしにも紙と描くものを貸してちょうだい」 「何を描くつもりだい」 「露伴ちゃん」 「やめてくれよ、気色悪い」 「酷い言い方ねぇ」 スケッチしてるときの露伴ちゃんのお顔、真剣で、本当に素敵だわ。 岸辺露伴の生活で、こう直球に褒められるということが中々ないため、カナヅチで殴られたように頭がぐらりとする。 こっ恥ずかしい事を言うのはやめてくれ。顔を褒められても、別に自分で分かっているからいいんだ、そんなことは。 赤くなった頬を手の甲で覆いながら、スケッチブックの一ページをバリバリと破り、綺麗に削られた鉛筆を投げるように渡した。 「ありがとう」 「君の絵のレベルなんて分かりきってるさ。せいぜい笑わせてくれよ」 「もう」 こちらをじろりじろりと見ては、鉛筆をまっすぐに立てて、なんだかいかにもな事をしている。コイツ、見た目から入るタイプか。 視線はあさっての方向のまま、フッと鼻で笑ってやると、目をぱちくりさせて、今の笑いの意味を悟ったようにちょっと怒ったような顔をして、唇にきゅっと力を入れた。闘争心に火でも付いたのか。 露伴は手を動かしながら、コロコロ変わる彼女の表情に小さく口許をあげた。 「出来たわ!」 「…どれ」 「でも漫画家の露伴ちゃんに見せるって冷静に考えるととっても恥ずかしいわね…」 「人から物を借りたんだから見せろよ」 「…」 こちらに見えないように何度かチラチラと見比べて、観念したように机に上に広げる。 「酷いな」 「ひ、酷い!!」 「そう酷い。何が酷いって中途半端なんだ。笑えない感じだ。人を勝手に題材にしておいて。もっと面白いものを見せてくれると期待したのに」 「そんな期待しないでよ」 初心者に対してとは思えない、優しさの欠片もない辛辣な言葉の数々に、鈴美は頬を膨らませながら絵の面を裏に向ける。 「君がそれを描いてる間に僕は一冊埋めたぞ」 「本当に?すごいわ」 「僕を描いてる時の君の間抜けな顔だ」 あるページで開かれたスケッチブックが鈴美の前に差し出される。 「間抜けっていうからどんな表情をしているのかと思ったけれど…。すごいわ、とっても綺麗」 自分の絵を綺麗っていうのもどうかと思うけどね。そんな感じでいつものように悪態をつこうとおもったが、どきりとして口が止まる。 ―――何て顔をしているんだ。 「やめろ!」 突然、声が荒々しくなる。 たまにだ。たまに彼女はこの顔をする。全てを見越したような静かな目。 そのとき露伴はいつも彼女の透けるような青白い肌を思い出すのだ。いつもいつも会いに来るのに、いつもいつも忘れたふりをして。 「その顔、やめてくれって言ってるだろ…」 「ごめんなさい、そんな変な顔してた?」 「そうはぐらかすのが嫌だって言ってるんだよ」 はぐらかしているのはどっちだろうか。真剣な顔でそう言っても、全てが自分へ跳ね返ってくるようで、だんだんと嘲笑に変わっていく。 彼女は静かに息を切らしたような露伴を見て、また静かに微笑むだけだ。 「ねえ露伴ちゃん、この絵もらってもいいかしら」 俯いて、顔を上げようとしない露伴に、鈴美は静かにそう言った。 「…いいよ。その代わり君が描いた絵はもらっていくよ」 「ええ、そんなのほしいの?」 「別に欲しくはない」 「ふふ、なぁにそれ」 「…そろそろ帰るよ」 「ああ、ちょっと待って露伴ちゃん」 絵を小さく折りたたんで、スケッチブックの間に挟み、帰り支度を整えると、慌てて腕を伸ばして静止される。 「…なんだい」 「一回、ぎゅっとしてほしいの」 「は?」 呆気にとられる露伴を見て、にこにこ笑いながら、鈴美は腕を広げた。しんとした部屋を傾き始めた日が赤く全てを包んでいく。 露伴はバカなんじゃあないのか、とつぶやいて、唇をキリキリと噛んだり、歯ぎしりをしたり、落ち着かない様子で髪をくしゃりと握りつぶした。 「ッ、クソ」 「ふふふ」 痺れを切らしたように、荒く腕が鈴美の身体に回った。彼女は至極幸せそうな表情で、丸く笑う。 今にも消えそうな小さな鼓動が通じて、嫌気がさす。一体なんだってこんなやつに僕の感情が振り回されなきゃいけないんだ。 さっさと離れてしまいたいのに、嘘をつくのはやめろとでもいうように、腕がそれを拒絶する。 小さな鼓動が通じて、肩が震えた。 「ありがとう」 手を放したのは、鈴美の方からだった。 夢見心地のように満足げに目を伏せて、肺にいっぱい酸素を満たすように、深く呼吸をする。 「ねぇ露伴ちゃん、もうすぐ春がくるわね。ここから見えるその木は桜だから、きっと綺麗でしょうね」 彼女は静かに、外を指差して笑った。 「…そのときはまた僕が絵を描いてやるから」 自分の声が震えているということに、彼は気付いていなかった。 「僕を一人にするのはやめてくれよ」 涙が零れる感覚を、久しぶりに味わった。 君を一人から救ってやってのは僕だ。それなのに、君から離れていくなんて、冗談じゃあない。 ああ、なんて、子供じみた言葉を。 絵を描いてやるから。そう言ったのに、春なんて来なくていい。時が進むのが止まればいい。浮かんでくるのはそんな矛盾と、愚かしい幼稚な考えだ。 sunx 舌 |