耳を塞いで一億年 午前の授業が終わり生徒皆がリフレッシュルームへと昼食へ向かうタイミングを、デュースは今か今かと見計らっていた。 堰から動かず、そわそわと立ち去る様子を伺っていると、不審な動きに見えたのかシンクが行かないのお?と聞いてくる。 ぎくりと動揺した心臓の動きを顔へ出ないようにして、まだしなきゃいけない事があるんです。皆さんお先に行っててください。デュースは慌てて笑顔を作りそう言った。 そお?とシンクはそれならいいやと大して気に留める様子もなく、先に行ってしまったメンバーの後を追って出て行ってしまった。 ほっと胸を撫で下ろす。開いたままの窓が教室に風を運んで、がらんとした空気を際立たせてみせた。よし、とデュースは拳を作り、一人意気込んで、裏庭へと向かった。 並んだベンチの足元にクローバーがたくさん咲いている事に気付いたのはごく最近だった。 いつかそこで休憩していたとき、視線の先でかちりと目が合うかのように、紛れ込んだ四つ葉のそれを見つけたのだ。 わあ、と授業の疲れも吹き飛んだかのように立ち上がって、気が引けるのを感じつつ「もしかしたら踏みつけられてしまうかもしれない、それよりマシです、よね」誰に、とは言わないが、そう自分に言い聞かせそれを摘み取った。 くしゃくしゃになってしまわないように、ノートの間に挟んでおいた。 授業中、それを見ては、嬉しくなってこっそりと笑っていた。それと同時に、自分だけ持っているのは、なんだか自分だけ幸運になろうとしているみたいで、落ち着かなかった。 ならば、みんなの分のクローバーを集めて、プレゼントしよう。などと密かに考えていたのだ。 そんな願いだけは大きく行動し始めたものの、相手はまさしく幸運の象徴だった。あの時のわたしは余程運が良かったと思ってしまうほどに、そうそう簡単に出会えるものではなかった。 せめて一つでも見つかれば、心のどこかで、そう考えていた。一番最初はあの人に渡そう。もし見つからなければ、あの人にだけでも渡せたらなあ。 しゃがんだままの姿勢がいい加減辛くなってきた頃、背後から「おい」と低い声がした。デュースはあまりの驚きに、足の疲れと相まって、盛大に尻餅をつく。 「何をしているんだ…」 「キ、キングさん」 その場に立っていたのは、まさしく「あの人」だった。吠える心臓か、打った腰を優先すべきか、驚きで頭が回らない。呆れた声でこちらを見るキングに、デュースは彼の名を呟くことで精一杯だった。 こちらの様子を伺うためにか、少し腰を曲げていても、自分がいる場所が影になっている。 彼の身長の高さを実感していると、骨ばった手がこちらへと差し出された。身長が高いと手も大きいんだなあ、とまじまじと見つめていると「さっさと立て」と言われて、ああ、その為の手だったのか。と慌てて彼の力を借りて立ち上がる。 驚きの大きさにその驚きさえ麻痺してしまっていたのか、土にまみれたスカートを払うと、ようやく戻ってきた。それと同時にやってくる恥ずかしさに、顔が赤くなる。 「す、すみません、キングさん!どうしてここに?」 「このタイミングに飯に行くと落ち着いて食えんのでな…」 「はあ」 「皆がリフレに行く中一人で意気込んでいるかと思ったら裏庭に行って、いつまでも何をしているのかと思ったが…」 「え、え?そ、それ、どうして知っているんですか!?」 知っているも何も俺の目の前でお前がそうしていただろう。デュースの問いにキングはしれっとそう続ける。 デュースは唖然として、一人考えだした。まさか、皆いなくなったと思ったのに、残っていた彼の存在に気付いていなかった? その事実に気が付いた瞬間、さーっと血の気が引く。顔がどんどん青ざめていくのが自分でもよく分かる。 「ごめんなさい!ごめんなさい!違うんです!気付いていなかったんじゃなくて、キングさん、存在感がありすぎて、逆に気付かなかっ…、ああ、違うんです!気付いていなかったわけじゃなくて!ご、ごめんなさい!」 「さっきから何を言っているんだお前は…」 「ご、ごめんなさい…」 「もうそれはいい」 止めなきゃ何十分でも謝り続けるだろう。キングはため息をついて、続く謝罪と墓穴の連鎖を切り捨てた。 わたわたと落ち着かなかったが、深呼吸を繰り返して、ようやく我に返る。腕を組んで、怪しげにこちらを伺う視線がデュースの汚れた手に向いていた。語らずとも表情で何をしていたのかと聞きたがっているのがよく分かる。 言うか言わないか迷ったが、言わなくてはこの場の空気の終わりが見えそうになかったので、事の経緯を説明すると、細い目で瞬きを二回ほど繰り返して、彼は再びため息をついた。 眉間の辺りを手で覆って、俯く。その仕草がぐさりと心を刺した。 「やっぱり、無謀、ですかね」 「そうだろうな」 「そ、そうですよね…」 「それに、仮にお前が13人分のクローバーを見つけて、突然俺にくれたとしても、反応に困る」 その言葉に、心の奥底がぱっかり割られるような気分だった。出来れば一人で泣きたい気分だったが、彼はどこにも行ってくれない。 それどころか、先ほどまで自分がしゃがんでいた場所に、同じように腰を下ろし、何かを探すように視線を動かし始めるので、デュースは気が気じゃなかった。 その何かが、四つ葉のクローバーを指すことぐらいはいくら自分でもわかる。申し訳なさが先立ち、赤い顔に涙が浮かぶ。 「すみません、ありがとうございます」 「こんだけ咲いているのなら、一つや二つあるだろ、さっさと見つけて行くぞ」 「行く…?」 「飯だ、何も食わずに午後を過ごすつもりか?」 その言葉に、空腹が目を覚ましたようで、小さく腹の虫が鳴く。なんというタイミングなのか。 戦いで鍛えられた反射神経を発揮して後ずさった。聞かれていたら、恥ずかしさで死んでしまいそうだ。 そろそろと表情を伺うと、無表情で四つ葉を探し続ける彼の顔に、ほっと胸を撫で下ろす。しかし、ほんの一瞬だけ、口と目元に小さく笑みが浮かんだような気がして、不安を煽る。 「き、聞こえました…?」 「何のことだ」 「聞こえましたよね…?」 何度聞いても、同じ答えが返ってくるので、本当に聞こえてなかったのか、それとも気を使ってくれているのか。もしかしてからかわれているのかもしれない。 もしもそうだったとしたら、続ければつづけるほど、おかしいのかも。これ以上蒸し返すのは得策ではないと考えて、何事もなかったかのように自分もクローバーを探すことにした。 「ありがとうございます」 「何に対しての話だ」 「さ、探してくれていることに関してです!」 「そうか」 やっぱり、聞こえていたのではないか。知らずにいた方がいい事もあるというが、まさしく今がその時だ。からかうつもりで言っているのか、そうではないのかも分からないが、何にせよついつい墓穴を掘る自分の口をどうにか塞いでしまいたい。 焦ってばかりだ。逃げ出したいくらい恥ずかしいのに、泣き出しそうなほどに嬉しい。 もしも今彼がクローバーを見つけたら、誰かの手に渡ってしまうのだろうか。本当は、わたしが欲しいな。なんて、そんな事を考えてしまう。それをください、なんて言えるだろうか。言えないかもしれない、だったら、見つからなくてもいいかな。 何にせよ、隣でこの時を過ごせる機会が訪れた事が、いつかに見つけたクローバーの幸運だと思わずにはいられないのだ。 sunx 告別 |