紫暗の奥底に眠るもの



君の笑った顔が何よりも、誰よりも好きだ。そんな陳腐な愛の言葉は、僕の全力であったが、彼女は聞く耳一つ持とうとしなかった。
笑った顔が素敵な君は、僕に対してだけ、言葉に詰まった時に現れる透明な仮面を被ってみせた。笑って誤魔化すのもとても上手だったのだ。
その不自然な表情が見抜けられないほど僕は愚か者ではなかったが、だからといってめげたりする事もなかった。諦めが足元に落ちていても、いくら逃げ腰な自分でもそれだけは拾う必要がないという自信があった。
僕と彼女は必然的に共に居られる立場だったから。僕はいつでも、全力だった。

「アービン」

乾いた網膜は景色を切り取るどころか、目を開く事さえも時間を奪った。
視界の一つ一つがドットのようにちかちかと瞬いている。窓から入る強い光のせいでもあった。大きな黒い影となっている部分の色彩がようやく落ち着いてくると、罪悪感が顔を出す。

「やあ、セフィ…おはよう、良い朝だね」
「もう昼」
「はは、どうしたんだい、顔が怖いよ。可愛い顔が台無しだ」
「うるさい、アービン」

覗き込まれた眼差しと視線がばっちり合っても、そんな顔じゃあ僕も哀しくなってしまう。
そこら中に漂う、肌にひしひしと襲いかかる辛気臭さを打ち消すためのユーモアを交えて挨拶したつもりだったが、見事滑ってしまったのかキツイお言葉が返ってきただけだった。

彼女の個性を担うといっても過言ではない明るさは今は何処にもない。
それは言うまでもなく自分のせいであった。ベタな話だ。敵の攻撃が彼女の死角を狙った為、慌てて庇うように自分が受けたら、このザマだ。そんな事このセルフィが喜ぶはずがない事ぐらい分かっていたが、気より足が先に動いていたので仕方がない。
普通の女性なら一瞬で心臓を打ち抜かれるであろうこの行動、僕の弾は百発百中だから、なんて。だけど彼女の心臓は何重にも覆われているから、そんな言い訳を説明しても、彼女の噛み締められた奥歯の力を緩めさせる事は、とても難しいのだけれど。

「カッコ悪いよ」
「そうかな、うっかり惚れちゃうかと思ったんだけど」
「ない」
「そ、即答か…残念」
「ふざけないでよ。本当にカッコ悪いよ」
「…ごめん」

キツイお言葉はどんどん刺を増していく。僕の繊細な心はあっという間に砕けて冗談も吐けなくなったが、その砕けた破片の一部のどれかが喜びを感じている。君の笑った顔が好きだった。
だから、そんな顔をさせてしまった僕は君を愛する人間として当然失格だけれど。

丸い翠の瞳から、硝子が溶けて零れ落ちていくようだった。

それを見て、感情を隠さないでいてくれる事がとても嬉しい。と思うのは酷い人間だろうか。そんな思いがけず頬が緩んでしまった僕の顔を睨みつけて、がうがうと怒っているのも、外側にいっぱいいっぱい跳ねた髪が揺れているのも、嬉しかった。
参ったな、怒られて嬉しいだなんて、自分はマゾなのだろうか。

「ごめん。君の顔がまた見れて良かったよ」
「当たり前だよ、その程度で死ぬわけないよ」
「そう言ってくれると、安心だね、ありがと」
「…」
「しかしセフィ、しばらく笑ってはくれなさそうだねえ…」
「アービンなんて嫌い」

"嫌いと言われても、僕は君が好きだからさ。"
…そんなイケてる告白は出来やしなかったが、何故だか自信は湧いて出てくる。君の辛辣さは、優しい。僕は君の笑顔に生かされている。だけど自分に限って中々向けられない。しかしそれは、僕にとって途切れない希望でもあったのだ。


sunx 薄声
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