03. 奏でる不協和音は
その日の渋谷は騒然としていた。
相次ぐ渋谷周辺のみの群発地震によって、渋谷区近辺の交通機関は麻痺し、渋谷区と渋谷区に隣接する区域の住民たちには避難勧告がだされていた。
避難民たちに提供された避難場所は、都内の各所にある私立学校の体育館だ。その一つである、私立学園の体育館に神原拓也はいた。震える弟を慰めながらブルーシートに座り込み、慌ただしく動き回る大人たちを眺めている。脇に置かれたラジオからは絶えずに渋谷の情報が流れていた。
「兄ちゃん……」
「大丈夫。すぐにおさまって家に帰れるさ」
腰にまとわりつく弟の頭を撫でながら、拓也は確証もない言葉を放ち続ける。弟を慰め、不安が募る自分に言い聞かせるために。
そんな拓也の顔は心なしか少し赤く、時折小さく咳をしていた。
3.奏でる不協和音は
マグニチュードも震源地も機械で特定できないおかしな地震が、渋谷区周辺を襲い始めたのは三日前からだ。
最初は小さな揺れが何回か。ほんとうに小さなもので、学校で退屈な授業を受けていた拓也はあまり気にもともめなかった。だが、直後に起こった大きな地震は学校が授業を終わらせるぐらいの規模だった。
それからは交通機関以外の被害はあまり出ていない。しかし地震は絶えずやってくる。政府が住民の安全を考え、避難勧告をだしたのは今朝のことだ。
渋谷区や目黒区から離れると夢みたいに地震が全くなかった。
『この渋谷区周辺群発地震は、昨年夏に起きた渋谷駅を中心とした怪奇現象となんらかの関係があるとみて、政府は特別対策本部を設置するとともに――………』
「あいつら……大丈夫かな」
ラジオからの情報を聞きつつ思い浮かべるのは、一年前の夏にした不思議な体験と、そこで出会った仲間たちのことだ。
此処ではない世界、デジタルワールドに行って自らがデジモンに進化して悪と戦い、デジタルワールドを救った。なんともファンタジーな話で、拓也はときどき全て夢だったのではないかと不安になる時がある。だがそこで一緒に冒険した仲間たちとの繋がりが、あの出来事が現実であることを唯一証明していた。
かけがえのない仲間たちだ。無事であってほしいと祈るように、買って貰ったばかりの携帯電話を、携帯充電器ごと握りしめる。先程仲間たちに送ったメールは返ってくる気配はない。
この騒ぎの中ではメールに気づくのすら遅れしまうことは当たり前といっても、拓也は気が気ではなかった。奇跡的にこの群発地震による人の死亡は誰一人としてでていないが、不安は拭えない。
『まず、本日の夕方五時、震源の中心と見られている渋谷駅に特殊部隊を送り――……』
「渋谷駅で何が起こってるんだろうね?」
弟の何気ない疑問に拓也はハッとして携帯を見る。
(もしかしたら、デジタルワールドに何かあったのか?)
一年前の夏、拓也と仲間たちは渋谷駅の地下に存在していた謎のターミナルでトレイルモンと言う生きた電車に乗りデジタルワールドに足を踏み入れた。
今回の群発地震も渋谷駅。もし、関係があるとしたら……?
――これからは俺達がデジタルワールドを守る。
ともに戦った、赤き闘士の言葉を思い返す。
あの戦いが終わった後、渋谷駅の地下ターミナルはルーチェモンに破壊されて全てなくなった。人間界とデジタルワールドを繋ぐ場所はもう機能しないはずなのだ。
「人間界とデジタルワールドでは世界が違う……」
胸に何か引っ掛かりを感じた。
世界、繋ぐもの。
「世界の、境界線……」
「兄ちゃん?」
眉間の裏側が締め付けられるように痛む。いつか見た夢の時のように。
弟の呼び声は拓也には届かない。
あの変な夢を見たのは何時だった?
確か数日前だったはず。
脳裏に鮮明に写し出されるのは数日前にみたおかしな夢。なぜ忘れていたのだろう。たぶん忘れたかった。自問自答。
込み上げる吐き気と悪寒に、拓也は口を押さえた。冷や汗が頬を伝う。
「兄ちゃん!? 顔が真っ青だよ!? 風邪が悪化したの!?」
信也が心配して母親を呼ぼうと立ち上がるのを拓也は手をつかんで止める。
「大丈夫だから」
安心させようと咳き込みながらも笑顔を向けるが、それが空元気であることぐらい幼い信也でもすぐにわかった。
もう一度言い聞かせるように「大丈夫」と声を絞り出すと、信也は渋々と拓也の隣に座り直す。
――〜〜♪
鈍く続く痛みを受け流そうと細く息を吐いた時、音楽が体育館に響いた。
最近よくテレビで見る人気歌手の歌だ。そう思ったら別の方向からこの前やっていたドラマの主題歌が、また別の方向からはアニメソング。少し古めかしい演歌。無機質な電子音。
四方八方から聞こえる音楽は体育館で響きあい、不協和音のオーケストラと化した。その中から微かに耳に届く幾重もの機械の振動音に、拓也は携帯の着信だと確信する。
携帯くらいマナーモードにしろよと頭の隅で思う。ふと拓也はこの状況に既視感を覚えた。
「兄ちゃんの携帯もなってるよ」
信也にそう指摘され、拓也はやっと握りしめていた携帯が震えながら音を出しているのに気づく。
「マナーモードにしてたはず……」
折り畳み式の赤いそれについているサブディスプレイは、メールの着信を知らせるためにチカチカと点滅していた。
先程のメールの返信かと思い開いて確認すると、何故か送り主どころかメルアドすら表示されていないメールが届いている。
目を細めつつそのメールの文面を見て、拓也は心臓が鷲掴みにされる感覚に陥った。
――
世界の命運を決めるゲームです。
スタートしますか? しませんか?
→YES
NO
――
携帯を持つ手が震える。
やはりデジタルワールドで何かが起こっているようだ。
「ふざけてる……」
一年前、拓也がデジタルワールドに行くきっかけになったそれとはまた違う文面。
「世界の命運だって? 誰のイタズラだ!」
隣のブルーシートに座る見知らぬ高校生の言葉が耳に入り、拓也は少なくともこのメールがこの場にいる人間の携帯全てに送り込まれたのだと確信した。
不協和音を奏でていた携帯の着信音は体育館から消え去り、代わりに怒声がちらほらとあがる。
かつて拓也たちに同じようなメールを送ってきた大天使を思い浮かべるが、このメールは彼女から送られてきたものではないような気がした。根拠はまるでないが。
ためらいつつ、YESを押す。
もし、本当にデジタルワールドで何かが起こっているのであれば、自分が行かなければならない気がした。
気付けば頭痛は収まりかけていたが、気持ち悪さと身体の怠さは消えてくれない。
YESを押してすぐに画面が切り替わる。
――
本日の夕方五時までに渋谷駅の地下までおこしください。
――
今の時刻を確認する。丁度午後一時を回ったところだ。
立ち上がると、ずっと座っていた反動と風邪の気持ち悪さでよろけたが、なんとか踏みとどまる。
拓也を信也が不安そうに見上げる。
「どこ行くの?」
そんな弟に胸を痛めながら「トイレ」と嘘をついた。じゃあ僕も行く、と言い出しそうな信也に「すぐ戻るから」と宥めて体育館の出入口に向かう。
「信也……ごめんな」
途中で知り合いや同級生に呼び止められた気がしたが、気にせずに体育館から飛び出し見慣れない校舎の出口を探す。見張りの人間がいる正門ではなく、裏口のだ。
それはすんなり見つかった。校舎の出入口にも見張りがいたために、人目のない廊下の窓を飛び越えて着地する。ここが一階でよかったとつくづく思う。
裏門には鍵がかかっていたが、持ち前の運動神経でフェンスをよじ登り、人気のない道路に飛び降りる。
着地の際に体調の悪さも合間ってふらついたが、立てないほどではない。
拓也は道路に立て掛けられた自転車を手に取る。おそらくこの学校に非難している中学生のものだろう。幸い鍵はかかっていなかった。またがるといささか高い気がしたがしかたない。
今、渋谷周辺は交通機関が止まっている。ここから目黒区を横断して渋谷駅まで歩いていくには距離が遠すぎる。
ペダルを踏み込む。込み上げてくる罪悪感を振り切って、拓也は渋谷駅に向けて自転車を走らせた。
奏でる不協和音は
少年を再び戦いへと誘う
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