48.悲鳴を辿って


 こちらが熱帯雨林だとすれば、あちらは原生林だろうか。
 そんなことを思いながら少年は一つの小さな機械を片手に、薄い膜の向こうにある暗い森を見据えている。足元の地面には先が見えなくなるほど長い、一本の亀裂が走っていた。その亀裂から沸き上がるようにこの薄い膜がある。その亀裂を境に、大地の持つ色は全く異なっていた。
 大地の境目。二つの異なる世界の欠片が交わる場所。
 それは未だ境目同士のデータが上手くかみ合わず、互いの土地のデータをバグ≠ニ見なしている証拠だ。この膜は一種のセキュリティープログラムであり、互いの世界の影響を防ぐ役割を持っている。
「戦えるのはいいけど、面倒だな」
 そんなことをぼやきながら、少年は轟く爆発音につられて空を仰いだ。デジタマが天へと昇っていく様子が微かだが伺えた。爆音と悲鳴と咆哮。さして遠くない場所で響くそれに顔色一つ変えず、鷲色の目を細めた。
「派手に暴れてんな。憤怒≠フやつ」
 現時点で一番力があると言っても過言でない同志を思い浮かべ、「羨ましいな」とだけ呟いて視線をおろす。その間も爆発音は止むことなく、絶えずこの蒸し暑い空気を震わせていた。
「パートナーがいる連中は暴れられていいよなぁ」
 空から様子を伺っていた一体のデジモンが、少年の元に戻ってくる。赤い服と帽子に黒いマントを纏った、魔女の姿をしたデジモンだ。それは軽やかに地面に降り立つと箒から降りて、退屈だと言いたげな表情で少年を見る。
「あちらさんはまだまだかかるみたいよ。別のエリアに派遣した部隊もまだサイドコア≠ヘ発見できず、ですって」
 もともとアンデットは昼間は役立たずですものね、と鼻で笑う魔女に少年は大して興味なさ気に「そうか」とだけ返した。
「でも、何故あんな暑苦しい男と一緒の戦線にいるのかしら? ともに行動する必要はないのでしょう?」
「マサル≠ヘほっとくと俺の狙ってる獲物まで狩りかねないからだ」
 マサル≠ヘ基本的に他の仲間の言うことなど聞かない。感情のままに暴れて、あとになって獲物は全ていなくなっていたなんてオチは勘弁してもらいたいのだ。
 幾重もの木の層が重なるこの熱帯雨林エリア、そして隣の原生林エリアはもともとマサル≠フ行動管轄だ。あちらはあちらで、マサル≠フ部下が戦いを始めているのだろう。もうすでに制圧し終えて、サイドコアを探しているかもしれない。魔女は「ふーん」と頷いてから、立ち上る膜に視線を向けた。
 すると、膜が揺らいだ。
 波打つように揺れるそれに少年たちが視線を向けると、膜の向こうに黄緑色のデジモンがいるのが見えた。長く伸びたツタと大きく開かれた口を持つ食虫植物型デジモンだ。「ベジーモンか」と呟くのと同時に、少年は膜へ向かって機械をかざす。機械の画面が光を放つのと同時に、少年の眼前にある膜の一部がどろりと溶け落ちたように開く。彼が余裕で通れるようになった穴の先から、こっちの空気よりはひんやりとした風が流れ込んでくる。ほぼ木々のせいで真っ暗なそのエリアだからこその空気だろう。
「同じ森でもこっちの方がマシだな」
「やだ、じめじめしすぎてて陰険じゃない、こっちの森は」
 彼の言葉に魔女は顔をしかめて抗議する。少年はそれをスルーして開いた膜から境界を越えた。魔女が続くように境界を越えた後、膜は何事もなかったように元に戻る。
「で、お前マサルの配下だよな? 何か用なのか?」
 尋ねると、ベジーモンは怯えた様子で「あの、マサル様にお伝えしたいことが……」と、しどろもどろに話し始める。
「いいよ。俺が伝えておくから」
 気が向いたらだけど、とは心の中でだけ呟いた。ベジーモンは一刻も早くここを去りたいのだろう。対して疑う素振りも見せなかった。そして、その口から語られた情報は、彼をその気に向かわせないようにするには十分だ。
「へぇ……ドクグモンがねぇ……」
 彼がにやりとあくどい笑みを浮かべた瞬間、ベジーモンの体を鋭利な水の槍が貫いた。
 間髪入れずに浮かんできたコード状の光に向かって、少年は小さな機械の一辺を滑らせる。
「デジコードスキャン!」
 光が機械に吸い込まれ、消えていく。それと同時に一つのデジタマが、魔女の足元に転がり、魔女はためらいもなくそれを踏み潰す。それはバラバラに砕け散り、ぬるい風に浚われて消えた。
「こんなことしていいの?」
「どうってことないさ。こんな弱いのを従えているマサル≠ェ悪い」
「ごもっともね」
 膜の向こうの世界から物音は何も聞こえない。こちらの音も向こうには聞こえない。要は、バレなければ無問題だ。









48.悲鳴を辿って









 出口を探していたイクトの耳に届いたのは、二人分の悲鳴だった。
 唐突に梢を踏みしめて立ち止まったイクトに、ネネが怪訝そうな顔で振り返る。
「イクト君、どうしたの?」
「……悲鳴、聞こえた」
 ネネには何も聞こえなかったが、ファルコモンも「微かだけど僕も聞こえた」とイクトに同意した。彼らは特別耳がいいのだろう。
「誰の悲鳴?」
「知らない声」
 デジモンか、それとも人間だろうか?
 どちらにせよ仲間を探している以上、確認しなければならない。もし危険が迫っているのなら、なおさらのことだ。「こっちだ」とイクトとファルコモンが駆けだす。ネネもそのあとに続く。
 生い茂り、道を塞ぐ木々はファルコモンが切り開いてくれる。やはり体調はすぐれないようだが、いくらか動きはマシになっていた。イクトも負けじとブーメランのようなもので蔦を切り裂いている。どうしたらブーメランであんなことが出来るのかは謎だ。
「悲鳴が止んだ」
 走り出してから少しして、イクトはそう告げる。間にあわなかったのかと嫌な予感が渦巻いたが、イクトはすぐに「別の声が聞こえる」とまた立ち止まった。耳を澄ますと、今度はネネの耳にも声が聞こえた。子供のような甲高いそれは、頻りに誰かを呼ぶように声を上げている。ついで複数の足音と、鳥の羽ばたく音が近づいてきているのが分かる。
 しかし、それは先程感じた嫌な気配ではなかった。
「人間とデジモンの気配」
 軽く身構えつつ様子を伺う。そう遠くもない距離から「そら――」と声が聞こえる。聞き覚えのないそれは、誰かの名前だろう。よくよく聞くと、甲高い声が二つと、声変わり後の少年のような声。どの声にも余裕がないように思える。程なくして近くの茂みがカサガサっと、音を立て始めた。
「空っ!」
 茂った草を掻き分けて出てきたのは、緑色の制服を身に纏った、タイキたちとさして変わらない年齢の少年だった。そのすぐ後には、青と銀の毛皮を被ったデジモンと、ピンク色の羽毛をもった鳥型デジモンだ。それらはネネたちを見るなり警戒心をあらわにして身構える。
「何者だ!」
「そっちこそ!」
 口火を切ったのは、毛皮のデジモンとファルコモンだ。
 イクトと少年も互いに小さな機械を構える。しかし、そのどちらの機械の画面にも、ネネのクロスローダーと同じようにノイズが走っていた。
 ネネはそれを見止めると、イクトとファルコモンを制して少年の前に立つ。
「私は天野ネネ。貴方は?」
「……石田ヤマトだ」
 名乗られたから名乗り返し、ヤマトと名乗った少年は警戒心を消すことなくネネを睨みつける。そんな彼の様子に、ネネは「人間同士でいがみ合っている場合かしら?」と真っ直ぐにヤマトを見つめ返した。
「人間同士だからって信用できるという訳じゃない」
「ごもっともだけれど、今はどちらも戦う術はないんじゃないの?」
 ノイズが走る二つの機械を指差して、ネネは淡々と告げ、自身のクロスローダーをヤマトに見せる。
「見たことないデジヴァイスだな。ダークタワーの影響を受けるのは一緒か」
「そうね」
 ヤマトの言った言葉は聞きなれない物だったが、クロスローダーとあの黒い塔のことを言っていることだけは理解できた。どうやら、ネネたちが知りえなかった知識を、この少年は持っているようだ。
 置かれている状況は一緒。ファルコモンがそうであるように、デジモンの力を押さえつける力があるのなら、今は戦闘を避けるべきだ。今はネネも戦闘員のデジモンがいない状況で、見方はイクトとファルコモンだけ。相手のデジモンの力量はわからないが1対2という不利な戦闘はどうしてもネネたちにとって痛手なだけで何の利益もないのだから。
 ここは決して安全な森ではない。誰かの悲鳴が聞こえた以上は尚更だ。
「信用は必要ないわ。私の仲間を見つけるまででいい。休戦しましょう。その後のことはまた考えればいいわ」
「……俺も仲間をさがしている。互いの仲間が見つかるまで≠ネら休戦しようじゃないか」
「わかったわ」
 表情を変えぬまま、ネネは安堵した。
「いいのか?」
 こそっとイクトが尋ねると、ネネは「大丈夫よ」とだけ答える。キリハに聞かれたら「タイキの性質が移ったか」と言われてしまいそうだが、ネネは彼が敵だとは思えなかったのだ。
 イクトと再会する前にネネが感じた気配は、決して一つではなかった。置かれている状況は間違いなく良いものではないだろうし、ここは人間同士で争っている場合ではないと、ネネは確信に近いものを抱いている。
(敵の規模がわからない以上、戦力は大いに越したことはないわ)
 もしこの段階でタイキそっくりのあの少年と出くわしてしまえば終わりだろうと、ネネは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
 敵は間違いなく彼らだけではない。スカルグレイモンの軍を見たところ、かつて戦ったデスジェネラルたちの軍勢と同じかそれ以上だと考えるべきだろう。ルーチェモン以外にも七大魔王と言われる強力なデジモンたちが控えていることも視野に入れなければならないのだ。
「ヤマト、空を早く探しましょう」
 話がついた所で、ずっとそわそわしていたピンクのデジモンが訴える。ヤマトもはっとしたように「そうだな」と言って踵を返す。
 先程のように息を吸って大声を上げようとした二匹と一人を、ネネは慌てて制する。
「この森に潜んでいるデジモンに居場所を教えてどうするのっ」
「じゃあどうやって探せと言うんだ」
 冷静な性格に見えたがどうやらそうでもないらしい。確かにただ歩いて探していたら永遠に見つからなそうだが……。
 そんなネネとヤマトを尻目に、何かを感じ取ったイクトは再び臨戦態勢をとる。
 直後、森そのものがざわめくように、風が吹き荒れた。



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