44.夢と幻想と現実


――俺は、自分の運命を変える。

 三年前の色褪せない記憶と、同じ顔をした自分はそう言った。運命とはなにか、霧のようにふわふわとした思考でいくら考えても太一にはわからない。ただ、光の灯らない瞳が、強い切望を携えていたのだけは理解できた。
 水が滴る音がする。その音に合わせて、見えている世界に波紋が広がる。一回二回、と波紋が重なり、水面にできた波が霧を掻き消していく。クリアになっていく思考に合わせて、肌に感じる感覚が正確に脳へと伝達されていく。ひんやりと湿った岩肌。ぬめっているのは苔だろうか? 最後に感じたのは、頬を一定のリズムで叩く水だ。耳に音が流れ込んでくる。水の激流の音。
 太一はやっと、重たい瞼を持ち上げた。
「ここは……?」
 洞窟のようだ。太陽の光はあるが、奥は暗い。しかし、所々に緑の発光体が蛍光色に光、ぼんやりと奥の闇を照らす。幻想的でもあるが、不気味な場所だ。
 気だるい体を起こして、微かに響く痛みを訴える頭を押さえる。過度な睡眠の後の頭痛に似ていた。湿った岩の上に横たわっていた体は冷えていて、水分を含んだ水は少し重い。自分のすぐ隣で寝息を立てているのはアグモンではなく、退化したコロモンだ。慎重に抱え上げると、太一の体温を感じ取ったのか「たいちぃ……」と寝言を呟いて身を摺り寄せてきた。
「起きたのか」
 ホッと息をつくと、激流の音に混じって落ち着いた中世的な声が太一へ呼びかけた。振り返ると、背後には光があった。壁に明けたような穴の先に道はなく、澄み切った泉があるだけだ。そこから柔らかい太陽の光と、白い飛沫を上げて大量の水が降り注いでいる。滝だ。滝壺もあった。
 そして、その泉の淵には、見慣れぬデジモンが立っている。
 金色と純白の毛皮を持った、狐の姿を持つ獣人型のデジモン。どこか神々しさを感じさせる雰囲気と、造形の美しさに太一は驚いた。見たことのないデジモンだ。鋭い青の瞳は、眼前の澄んだ水と同じ色を持って太一を見据えている。
「お前が、俺をここに連れて来てくれたのか?」
 橙茶の瞳を逸らさずに太一は問う。デジモンは一つ頷いただけで「ここは安全なようだから」と言って背を向けた。
 ゆっくりと立ち上がって、そのデジモンの隣に立つ。滝が降り注ぐ先を見上げると、筒状の大きな空洞が縦に伸びており、天井にぽっかりと開いた空洞からは遥か上空に空と森が見えた。ここは川の終着地点のようだ。
「とりあえずありがとう」
「礼には及ばない」
 幻想的な光景から視線を離さず、太一とデジモンは短く言葉を交わす。
 太一はこの見知らぬデジモンに警戒心を抱かなかった。このデジモンからは、腕に抱いているコロモン達と同じような雰囲気と眼差しを持っているのを感じたからだ。もしかしたら、選ばれし子供のパートナーデジモンかもしれない。そんな予感が太一の警戒心を拭い去っていた。
「俺は八神太一。こっちの寝てるのはコロモン、俺のパートナーだ」
 デジモンは太一の言葉に少し驚いた様子で「パートナー……」と呟きながら、コロモンと太一を見比べた。
「……私はレナモン。とあるテイマーのパートナーだ」
「テイマー?」
 選ばれし子供の事だろうか?と首を傾げる。しかし、それよりも重要な事を太一は思い出す。
「そういえば、デジタルワールドはどうなったんだ……?」
 気を失う前の記憶が蘇る。あの光に包まれた後、仲間たちは、世界はどうなったのだろうか?
 レナモンはそんな呟きを聞いて、太一の疑問に簡潔に堪えた。

「五つの世界は統合に失敗して、バラバラに分離した」







44.夢と幻想と現実






 デジタルワールドの根源は、人間世界のネットワークにある電脳空間だ。今や人間はネットなしに生きることはできないと言っても過言ではない。そんなネットそのものと言えるデジタルワールドが分離したとなれば、現実世界に大きな影響がでるのも、ごくごく自然な流れだ。
 ジェンから伝えられた山木の言葉を思い出して、留姫は眉をしかめた。そして、先を歩いている少女二人を一瞥する。
「イタリアからの帰国子女なんだー。なんかカッコイイ!」
「アメリカもカッコイイじゃないですかー」
 きゃいきゃい。そんな擬音まで聞こえてきそうなほど、盛り上がって話し込む金髪美少女と、派手な髪色をした年上美人。そして、足元で会話に混ざっている、頭に大きな花を乗せたデジモン……パルモン。留姫が苦手な、いかにも女子らしい&オ囲気がこの狭い洞窟内に広がっていた。
 緑に光輝く不思議な苔を頼りに進む二人と一匹に迷いはない。そして緊張感もない。
(なにがそんなに楽しいんだか……)
 光に包まれた後、気が付けばこの洞窟の中にいた。この別世界の少女二人とともに。
 金髪の少女は織本泉、年上美女は太刀川ミミ。どちらも、違う世界の人間界から来たテイマーだと留姫は解釈している。しかし、それよりも驚いたのは、目の前にいる太刀川ミミだ。留姫の世界では、デジモンは広くメディア展開している。カード、ゲーム、漫画、小説、はてはTVアニメや映画まで。
 そっくりなのだ、この太刀川ミミは。留姫がデジモンにのめり込むきっかけを作ったTVアニメの登場人物≠ノ。
 名前も、声も、口調も、姿も、性格も、なにもかも一緒。まるでキャラクターが液晶画面を越えて、実体化したような、それほどまでにキャラクターそっくりなこの少女。現実主義者の留姫にとっては、なによりも信じられないものだ。しかし、デジモンの存在についても同じことが言える。
 別世界のデジタルワールドの一つが、アニメの世界と全く同じものではないと言い切れないのも事実だ。もちろん、その自分の世界のことは欠片も彼女に言っていないし、言うべきでもない。留姫が彼女の立場だったら、確実に不愉快な思いをするからだ。
 泉のほうは全く違うのだろう。とこさら驚いた様子もなかった。何があったのかはわからないが、無理に明るく振る舞っているように、留姫には感じられた。
 かと言って仲良くする謂れは留姫にはない。だが、一人別行動をとろうとした矢先、否応なしにミミのペースに巻き込まれて一緒に歩いている。最初こそ不満があったが、今ここは一人で歩くよりは安全だろうとあきらめて行動を共することにした。仲間を探しているのはこの三人共通の目的だったというのもあるが……。
 結構な時間、この洞窟内を歩き続け、ここにすむ小さなデジモンたちに2回は襲われていた。パートナーがいない留姫と戦う術を持たない泉は、揃ってミミとパルモンに守られている。
 泉の心情は留姫にはわからない。しかし、留姫は歯がゆくて仕方ない。今自分の傍にパートナーがいないことが、戦えないこの状況が。
(なんか、深くなってる気がする……)
 湿度の高くなってきた空間。岩肌に触れると、壁は先刻よりもずっと湿っていて水を含んでいる。
「ねぇ、本当に上の出口に向かってるの?」
 留姫の問いに、二人は足を止める。そして周りを見回して、ミミは首を傾げた。
「さぁ?」
「さぁ、って! じゃあなんでそんな迷いなく歩いてんのよ!」
「んー、直感かな」
 あまりにも迷いなく進んでいくものだから、道を理解しているものだとばかり思っていた。だが、ただ適当に進んでいただけのようだ。
 全く悪びれるようすのないミミに、留姫は疲労と怒りがごちゃ混ぜにされていくのを感じた。
「危機感がなさすぎる……」
「それがミミだもの」
「まぁまぁ、もしかしたら出口に向かっているかもしれないわ」
 肩を落とす留姫をパルモンと泉が宥める。しかし、なんの慰めにもならない。
 はたして自分は無事に此処を出て、啓人たちに合流できるのか。その可能性は、時間が過ぎる程低くなっているように、留姫には感じられた。




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