二話
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 沖田さんは泣き止むまでなにも言わず部屋に置いてくれた。
 とは言っても一夜を過ごすわけにもいかず夜半お礼を言って部屋を出て自室へともどった。お春さんも居るからと気持ちも重くなったがいつまでもそんなことは言っていられない。
 私の居場所は此処だけなのだから。
 部屋に戻ってみると夜半だけあって寝静まってる自室に今はお春さんと言葉を交わさなくて済んだと心底ほっとした。
 斎藤さんへの想いは沢山の涙と共に忘れてしまおうと井戸で濡らした手拭いと一緒に布団へ潜り隣で眠るお春さんにだけは気取られないように声を必死に押し殺した。

 手拭いのお陰か翌朝目覚めた時には幾らかはましだと思えたのは目を開けたときの重さが軽かったから。そうは言ってもやはりいつもよりは幾分重い其処に悲しみで胸が支配されてしまう。

「なまえちゃん調子悪そうだよ?辛かったら部屋で休んでて?」
 心配だといわんばかりに瞳を揺らして茶碗を拾う私を覗き込んだ千鶴ちゃんに申し訳なくて小さく唇をかんだ。そう言われてしまうのも仕方のないことだと思う。朝餉の準備を始めて二個目の茶碗を落としてしまったのだから。
「ありがとう、大丈夫ですよ。」
「そう…?」
「千鶴ちゃんの言う通りよ?部屋で休んでいたらいいわよ。私たち二人居れば十分だしね」
 一緒に茶碗を片付けてくれていた千鶴ちゃんに同調してくれたのは女中仲間のお春さん。お味噌汁を作りながら振り向きざまに微笑んでくれた笑顔は綺麗で…
 普段から美人だけど顔の造作だけではない、斎藤さんと想いが通じ合って幸せが滲み出ているようで痛む胸を悟られないように目の前の茶碗に意識を戻した。
「それにまた落したら茶碗が勿体ないわ」
 そう言ってくすくす笑うのを背中に感じると隣の千鶴ちゃんが気遣わしく目で大丈夫?と訴えてきたので小さく笑った。
 お春さんは偶に棘のある言葉をなげかけることがあるのだけれどそれが私だけに対してだったことから正義感の強い千鶴ちゃんが抗議してくれたことがある。
 それでも言われてしまうのは私にも至らない部分があるからだと思う、現に不注意で茶碗を割ってしまったのは私だから。
「すいません、気を付けて作業しますので」
 そういって膳を持って広間へと向かうために台所を出て、もう失敗は許されないと膳に乗っている朝餉に集中した。そのおかげだったのか悲しみに支配されることもなく目の前の仕事をこなすことが出来た。
 近藤さんの挨拶で食事が始まると順にお茶を配り出した私は藤堂さんに渡し終えてその横の斎藤さんに一瞬戸惑った。
 反対側から配り出したお春さんはまだ斎藤さんまでは程遠く、昨日言われたことを思い出して…
 またお春さんに入れてもらいたいと言われてしまったらと、痛む胸に顔をしかめそうになって慌てて下を向いた。
 、けれど斎藤さんに渡さず席を立つのも不自然だと震える手を押し隠して盆に乗った湯飲みに手を掛けたところで、抑揚のない感情を読み取ることが困難だと感じる声を掛けられて湯飲みを持ち上げることが出来なくなった。
「お春に貰う」
 淡々と口にした斎藤さんの言葉は鋭利な刃物で胸を抉られたような衝撃を持って私を痛めつけた。
 上手く息ができなくなった私はやはり一度も此方を見ない彼に、なにも言うことができずに居るとなんとも言い難い空気が広間に広がった。
「なんだよ、斎藤!名指しかよ〜。お春ちゃんと出来たのか」
 色恋に対しては滅法疎い永倉さんがやじを飛ばしだして居たたまれなくなった私は揺れる瞳を悟られないように盆を持って立ち上がると斎藤さんの隣の沖田さんの隣で腰を落とした。
「なーに言ってんだよ、一君にはなまえが「なまえは僕と付き合ってるんだから変なこと言い出さないでよね、平助」
 ますます静まり返った室内に沖田さんの膳に置こうと湯飲みに伸ばした手を止めて目を見開いた私は彼の言った言葉を理解するのに時間が掛かってしまった。
 昨日だって落ち着くまでなにも言わず部屋に置いてくれた沖田さんは、口では嫌なことを言ってきたり千鶴ちゃんをからかったりと掴み所がないけれど、実はとても優しい。
 きっと藤堂さんの言葉を否定しなければいけない私の変わりに先手を打ってくれたんだと思う。
「そうか!総司!いや、目出度いな」
 良かった良かったと言って人のいい笑みで嬉しそうにしたのは近藤局長だった。
 広間は近藤局長と永倉さんの二人だけの声で一気に活気に満ちたけれど、気遣わしげな視線を向ける何人かの組長達に気づいてしまって居たたまれなくなった私は気づかない振りをして沖田さんに湯飲みを渡すと広間を出た。
「総司はなまえちゃんとで、斎藤はお春ちゃんとかよ、狡いよなー」
 広間からは永倉さんの残念そうな声が聞こえてきて斎藤はお春ちゃんと言った永倉さんの言葉に、胸の前に持ったお盆をぎゅっと抱き締めるしか出来なかった。

 女中の私とお春さんは勝手場横の少し広い物置の部屋を片付けてそこで食事を取っていた。
 いつの間にか千鶴ちゃんも私たちと同じようにそこで食べるようになっていて逃げるように広間を出た私は砂を噛んでいるような朝餉を早々に食べ終えて井戸で片付けをしていた。
 なにかを楽しそうに話すお春さんと沈痛な面持ちで此方を見てる千鶴ちゃんに気づきながらも自分を保つことで一杯だった。
「なまえちゃん、手伝うね」
 目の前の盥に浸けた器を見詰めて耽っていた私は可愛らしい声に現実へと引き戻された。
 ただいつもの可愛らしい其に少しの曇を乗せていたのは私のせいだと思うと居たたまれなくなった。
「あ、ありがとう」
 そう言うのが限界だった私の震える声は千鶴ちゃんに届いていたのだろうか。一方的に好いていただけ、その相手が違う誰かを選んだだけのこと。
 自分じゃなかったのだ、斎藤さんが求めていた人は。
 互いに思いを告げていたわけでも裏切られたわけでもないのだから私が胸を痛めて泣いていても其を彼に悟られればこの想いは迷惑以外のなにものでもなくなってしまう。こんな動揺している態度をとってはいけないんだ。
「なまえちゃん、大丈夫?」
「ん、なにがですか?」
 核心をついてくる問いに動じないように極力心を沈めて視線は手元の洗っているお椀を見ながら笑った。上手く笑えていたかな、そんなことを思っていると鼻を啜る音が隣から聞こえてきて驚いた私は横を見ると目からぽろぽろと涙を流した千鶴ちゃんが沈痛に顔を歪めていた。
「私、斎藤さんはなまえちゃんと良い仲だと…みなさんだって…周知の仲だったのに、なんで、」
「千鶴ちゃん……」
「私なんかが泣いちゃって、でもなまえちゃんの顔みてたら、我慢できなくて、ごめんねっ、」
 そう言って涙を流す千鶴ちゃんに手を止めて近くに置いてあった手拭いを差し出した。私の為に泣いてくれる彼女に暖かいものが心の中を満たしてくれた。
 斎藤さんとのことは仕方のないことだと分かっていても心が痛くて仕方ないけど私が辛い顔をしていたら悲しませてしまう人が居るのだとしたら…

 私は笑っていたい、

「ありがとう、千鶴ちゃん。辛いけど、もう大丈夫ですよ」
「でも、」
「私じゃなかったんです。辛いけど、彼が幸せだったら私はいいんです、それだけで」
 そうだ、好きな気持ちは誰にも止められない。だったらこの気持ちは私のものなのだから…
 叶わないと分かっていても大事にしたい。いつか、彼への想いを笑って幸せだったと思い出に変えられるときまで。確かに幸せな刻はあったのだから。

 今の辛い気持ちで塗り替えられたくないもの。




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