Stand By Me.

20


ピリリリ、と滅多に鳴らない着信音が鳴ったのは午後9時前。バイトを終えて帰路に付こうと駅に向かって歩き始めた頃合いだった。

普段からラインさえ平気で数時間(既読すら付けず)放置する私に、好んで連絡を入れる人間はそういない。
バイト先か学科仲間か?どちらにせよ急用か緊急の可能性もあると、素早くスマホを引っ張り出す。
しかし画面に浮かんだ名前に、私は一瞬呆気にとられた。

「…花巻?」

登録ナンバーは早い割に連絡頻度はそうでもない友人の名を目にして、怪訝さを隠せず首を捻った。
花巻が電話してくるなんて滅多にない。鳴り続けるスマホを前に、すぐに通話ボタンを押す。

「花巻?いきなりどうした?」

呼び掛けるも返ってきたのは雑音と遠くでざわめく話し声。一体どこからかけて来たんだろうと耳を澄ませた。

「花巻?もしもし、聞いて…」
『…んで…ねーの』
「え?」

低く届いた声が雑音に埋もれてぶつ切りになる。くしゃくしゃに丸められたような言葉は不明瞭で意味を掴めない。
私はスマホをぎゅっと耳に押し当てて、静かな通りを目指して進みつつ尋ねた。

「ごめん何って?ちょっと聞こえないんだけど」
『…なんで白崎はいないんですか』
「…、は?」

やけにキレが悪いくせに不機嫌な調子の台詞に、一瞬ぽかんとした。これは本格的に状況が読めない。どうしたいきなり、ていうか私がいないって何だ。

「イヤいるじゃんここに。電話してんでしょーが」
『嘘つけ。いねーじゃん』
「はあ?」
『白崎はー、俺がいるとこに絶対いるんですぅー…オマエが来なきゃ帰んないかんな…』
「……花巻アンタ酔ってる?」

なんだこれ会話が成り立っていない。知らない人がさらっと聞き流せば声だけは素面っぽいかもしれないが、どう考えても普段の花巻じゃ有り得ない台詞の連続。そもそもそのテンション何。
軽いショックで棒立ちになった私が必死で頭を回していると、電話の向こうから聞き覚えのある声がした。

『あっははははマッキーまじで電話してんの!?超ウケる!』
『うるっせえクソ川耳元で叫んでんじゃねぇよ!』
『お前もうるせーわ岩い…っおい、』

ガッチャーン。バタバタッ。ガヤガヤガヤ。

「…オーケーわかった。とりあえず花巻、岩泉に代わって」
『…なんで』
「あんた酔ってんでしょ、全然話にならん」
『酔ってねーしー!ぜんっぜん酔ってませんからー!』
「それが酔ってんでしょうが、ほら代わんな!ちょっと岩泉?聞こえる?」
『…やだ。代わんない』
「じゃあ今すぐ切って岩泉にかけ直…」
『おい花巻ちょっと代われ。話つけてやるから』
『白崎はぁ、おれよりいわいずみの方がいいんですか』
「『はあ?』」

電話越しに岩泉と完全にシンクロした。なんだコイツ死ぬほど面倒くさい。

「キャラ崩壊すんな花巻。そのウザさは及川で十分だ」
『ちょっと玲ちゃんどーいう意味!』
『…いわいずみのがいいわけ』

聞いちゃいないとかコイツどんだけ。
酔っ払いに真正面投球がいかに無意味か思い知る。受話器越しの拗ねた声に溜め息が出た。これは間違いなく重症だ。誰だここまで飲ませたやつ。

呆れた声が遠くで何かを言うのは間違いなく岩泉のものだろう。彼とは多分今確実にシンクロしてるんだろうな。溜め息のタイミングまで同じの自信がある。

「…わかった、わーかったから。今からそっち行ってやるから」
『…』
「岩泉よりあんたのが私と友達歴長いだろ。違うの?」
『…んーん…』
『よかったな花巻、お前の大事なダチ取ったりしねーからいっぺんスマホ貸せ。…悪いな白崎、今大丈夫か?』

ようやく電話主が変わり、岩泉の声がはっきり届いて一息ついた。青城の双翼、大黒柱の土台を成した副主将は相も変わらず頼りがいがある。

「平気、もう帰るだけだから。今どこ?」
『俺の大学近くの居酒屋。わかるか?』
「岩泉の?…いくつかあるね。どれ?」
『あー…、いいわ、面倒だしついたら連絡くれ。迎えに行く』
「オーケー、ついでにそのバカ連れて帰るよ。お母ちゃんもいろいろお疲れ」
『誰がお母ちゃんだシバくぞてめぇ。…まあ松川もいるしそこまでじゃねーよ』
「そ?あーあと事情説明よろしくね」
『事情説明?』
「アイツがあそこまで潰れるって普通じゃないでしょ。バレーでスランプか、女絡みか、サークルでよっぽどイザコったか…」
『…説明要らねぇだろ、ほぼ正解だ。相変わらずすげぇな、お前ら』
「アンタらには負けるよ」

岩泉の苦笑まじりの声に放り投げるように応じる。男同士の友情は、女には不可侵たるものだ。今も強い絆で結ばれる彼らの方が私より花巻の多くを知り、共有してきたに違いない。

ただ不思議と男に生まれればよかったとは思ったことは余りない。それはきっとこの程よい距離間と、私の良き女友達たちのおかげだろう。

「大体15分あればそっちに着くから」
『わかった』

いったん電話を切り、私は元来た道を引き返し始めた。仕方がない、なんだかんだとアイツを優先するのは私の悪い癖なのだ。



駅前で落ち合った岩泉に連れられてやってきたのは、学生御用達のチェーン店だった。騒がしい店内を進み、岩泉たちが陣取っている奥の席に向かう。区切り越しに顔を覗かせて二秒で帰りたくなった。

「あっ玲ちゃんだー!おっひさー!今日も可愛くないなーもったいない!」
「おっひさー及川。あと二年くらいは会いたくなかったわ。それからお前の言う可愛いに適合するくらいなら剃髪を希望する」
「まさかの尼デビュー希望とかどんな…!」
「そこ笑うな松川、表出ろ」
「えーひっどー!及川さんはー、玲ちゃんに会えてー、超嬉しいのにー!!」
「頼んだ岩泉」
「任せろ白崎」

刹那の連携プレーで岩泉が及川を床に沈めた。感謝。多分しばらくは大人しくしてるだろう。まあその様子をけらけら笑って見ている松川も多分相当飲んでる筈だが。なんだこいつら総じて面倒過ぎる。

「やっほー白崎、久し振り」
「やっほー松川、久し振り」
「花巻のお迎えにきたの?」
「花巻のお迎えにきました」
「いいなーお迎え。俺もほしいなー」
「彼女に連絡しな。いるだろどーせ」
「えー」

えーじゃねぇわ、えーじゃ。アンタもアンタで面倒くさいな松川。
松川が酔うとタチが悪いのは普段隠れている色気が全開ダダ漏れになるところだ。あと、話す分には存外問題ないのに、時折信じられない奇行に出るところ。
及川のようないかにもイケメンたる整った容姿じゃないが、こういう時に女を骨抜きにするのは及川より俄然松川だと思う。そして松川は酔うとわかってて酔いにゆく節があるからさらにタチが悪い。

その点及川はわかりやすい酔い方をするから対処にはさして困らない。ただウザさ80パーセント増量なだけである。
岩泉が酔ったところは殆ど見たことがないから未知数だ。彼はかなり強い方で自制も利くタイプである。問題児共のお目付役として酔ってる暇がないというだけなのもあるだろうが。

で、まあ、問題はこいつだ。

「ちょっと花巻、来たんだけど」

返事がない。お前はアレか。酔いつぶれるタイプか。
実のところ私は花巻が泥酔したところも殆ど見たことがない。こちらの理由は岩泉と同じく、いつも一人で帰れる程度にセーブして飲むからだ。結果周りにはさして面倒をかけないのが通常スタンスなのだが、…今回ばかりはその限りじゃないらしい。

なかなかない光景だなと思いつつ、テーブルに伏せたままの色素の薄い髪を軽くシバいた。その前に群生するグラスの森に軽く目眩がする。どんだけ呑んだんだ一体。

「はーなーまーき。ちょっと、来たんですけど?アンタが呼んだんでしょうが」
「…ん゛ー…」
「…何、どうしたのさ」

駄々っ子か。意識があるには間違いないがぐずる花巻は顔を上げる気配を見せない。これは強硬策じゃ無駄骨かと諦めて、仕方がないから隣に座り、しばらく短髪の頭を撫でてやる。
ちらり、岩泉を見ると、焼き鳥を頬張っていた彼は通常運転の顔をしてこちらを見た。この男も気心知れた相手には存外マイペースだからわからない。

「俺も詳しくは聞いてねーけど」
「うん」
「ちょっと今スランプで」
「うん」
「面倒な女に好かれて」
「…うん」
「断ったらしょうもねぇ噂立てられて」
「…」
「ちょっとゴタった、的な」
「……松川には、」
「ギリギリんなるまで隠してたんだよ、こいつが」
「……」

この馬鹿。
一発ひっぱたいてやろうかと思ったが、手の下で潰れたピンクブラウンがどうにも憎めなくて、結局広くて逞しい肩をぺしゃんと力なく打ってやめた。

花巻貴大という人間は、基本的に人並み以上に器用だ。
人のことをよく見ているし、自分の感情の手綱を握るのにも長けている。拗れた人間関係や面倒な恋愛事に巻き込まれようと、努めて冷静に現状を分析し、最善の決定を選び出す慎重さがある。

けれどそれ故に汚れ役を負うことも悪役になることもあるわけで、恐らくそこに負荷がないかと言えば嘘だ。なのに大抵のことは誰にも言わず自分の中で勝手に処理して、戻ってくる時にはヘラッとしている。すべては事後報告。この男はそういう男なのだ。

「はなまき」
「…」
「おつかれ」
「…」
「頑張ってんだね」
「…うん」
「でもちょっと頑張り過ぎたんじゃない」
「……そう?」
「うん、きっと」

横に並んで、机に突っ伏した短い髪の頭を撫でる。私が凹んだ時いつもそうしてくれる手を思い出しつつ、小さな子どもが信じてするみたいに、元気が出ますようにと念じながら。

長い腕に埋もれた顔が半分持ち上がった。普段の食えない鋭さが溶け落ちた瞳が、緩慢に瞬きこちらを捉える。酔って潤んだ朱い目元を擦ってやれば、徐に花巻が言った。

「白崎がいる…」
「今更か。ていうか呼んだのアンタだろ」
「ほんもの…?」
「いや偽物がいるならむしろ会いたいわ」
「…」
「もういいだろ、帰るよこの酔っぱら、」

言葉が事切れる。穴が空くほどこちらを見詰めていた花巻の手が、突如私の腕を掴んだのだ。

あっと言う間に傾く身体。手をつくより早く暗くなる目の前と、全身にかかる体温と圧迫感。
ぴし、とフリーズした左心房がひび割れる。何だこれどういう状況だ。

「んーー…」
「っなにす、」
首筋に触れる短い髪が、押し付けられた柔らかい何かがくすぐったい。そこからこぼされた呻きは肌が直に震わせ、一気に全身を凍り付かせた。
待てそれ唇?ちょっと待て。いやちょっと待て!

「ごふっ…!?っお、おい花巻、」
「うぇっ?」

岩泉が吹き出す音がした。続く困惑と驚愕の声に、及川の気の抜けるような声が続く。瞠目した松川が視界の端に映った。いやフリーズしたいのは私の方なんだけど。

「ちょっ花巻、放しっ…!」
「…やだ」
「はあ!?…っの、」

何がヤダだふざけんな。だが背骨が軋むような力で拘束され、まるで抵抗出来ない。嘘でしょこいつこんな力強かったの。そりゃ高校時代は強豪のレギュラーで、大学でもバレーしてて、背丈も体格も人並み以上なのは見りゃわかるし当たり前かもしれないけど、こんな力で接されたことなど今まで皆無。

「は、なまきってば!」
「…玲、」
「っ!!」

吐息混じりに呼ばれた名が全身の動きを止めた。身体が熱い。すり寄るように寄せられた唇の感触が、その間から覗いた熱い舌先が、ぬるり、首筋からうなじへと這い上がってきた瞬間、冷静の二文字がログアウトした。

追い討ちをかけるように腰を滑る手に背筋が粟立つ。声を上げる間もなく、その指先はするりとシャツの下へ忍び込み、素肌の腰回りをなぞるように行き来する。
刹那、一気に吹っ切れたリミッターが、私のフリーズを急速解凍した。

私を誰と間違えてんだコイツは!

「…ちょっといいから花巻ほんといいからそういうの需要ないからつーかふざけんな殺すぞ!!」
「うえっ!?ちょっタンマ玲ちゃん一升瓶はダメ!!一升瓶は!!マッキー死んじゃう!!」
「むしろいっぺん死ね、話はそれからだ!!」
「嘘でしょ何その男気」
「言ってる場合か松川!!白崎押さえろ、こいつなら殺りかねねぇ!」
「私の前にこのバカ止めろ!!」

賑わう週末の酒場で勃発した乱闘騒ぎが、店員の仲裁が入るまで続いたのは言うまでもない。





「ホントに一人で平気か?」
「他に割ける人員なんていないでしょうが」
「まあそうだけどよ」
「安心して、次があったらマジで殺す」
「安心する要素じゃねーべ…」

店の前、帰りタクシーを待つ白崎の胡乱な瞳に宿る殺意が本気を語るのを見て溜め息をつく。送ってやりたいのは山々だが俺にも連れ帰らねばならないバカが1名いる。
まあ及川もさっきの乱闘騒ぎで酔いが覚めたらしく、今は別の意味でぐったりしているが。

「…まあなんかあったらマジで連絡しろよ」
「悪いね岩泉」

くたびれた半眼で応じる白崎を横目に見る。半分襲われかけたにも近いのに、随分落ち着いてるな、と思う。
無論一升瓶を振りかざし花巻に殴りかからんとする姿には本気で焦ったが、そのすぐ後でさえビビったりとか警戒したりとかいう方向にならない白崎のスタンスには改めて恐れ入る。

「お前らってマジでダチやってんだな」
「、…何、いきなり」
「いや、さっきの今で平然としてっから」
「…」

白崎がちらり、店の前のベンチでぐったりする花巻・及川と、その横で存外普通にスマホをいじる松川を見やる。それから頭を掻き、やや歯切れ悪く「まあね」と応じた。

「なんていうか、アレだよ」
「?」
「結局私は女だし、花巻は男じゃん」
「、…」
「あーだからなんていうの?男同士の友情と同じカテゴリーには入れないわけ。私と花巻じゃ」
「…まあ、そりゃあな」
「でも間違いなく恋人とかそんなんじゃないし」
「おう」
「だから友達って呼んできたんだよ、自分たちのこと。だって周りが煩いから」

周りが煩いから。
何気なく付け加えられたそれが酷く印象に残った。白崎らしい言い方だ。
言葉に苦労しながら話す白崎に、少し新鮮な気持ちになる。コイツが自分について話すのはそうよくあることじゃない。

二人の関係が周りの目に留まり始めたのは高一の冬頃、一番面倒な噂が飛び交ったのは高二の夏だったか。何を勘違いしたか知らないが、及川の彼女が一方的に白崎とイザコって、花巻と二股だの何だのと根も葉もない噂を立てられたのだ。

あの時の白崎はいつ見ても酷く苛辣な瞳をしていた。愛想はないが元々それなりに綺麗な白崎の横顔はいつも険を孕んでいて、けれどその冴え冴えとして峻厳な頑なさがむしろ美しく、見る者の目を引いたのは不思議だった。

元が器用な花巻が目に見えて神経を尖らせていたのは印象に残っている。あの頃は元凶たる及川ともギクシャクして、いつもならヘラっと躱せるような他の男子からの詮索にも苛立ちを露わにすることがあったっけ。

「でも、『今までと全く』じゃいられないことはわかってきたから」
「…どういう意味だ?」
「…上手く言えないんだけどさ。『大人』じゃん、もう。だから、高校んときと全く同じは無理なんだなって」
「…」
「だから模索中。今までと同じに拘るんじゃなくて、一番良い関係だったらそれでいいやって」

それが友達でも恋人でも、私と花巻のどっちもが一番しっくり来る形ならそれでいい。
名前が関係を決めるんじゃない。関係が名前を決めるんだ。

「…そうか」
「うん」
「なんか安心したわ」
「なんで?」
「最近お前らちょっとおかしかったから」
「…岩泉ってさ、ホントよく気付くよね」

ため息まじりに言った白崎に対して苦笑する。俺から言わせりゃお前だって相当目も鼻も利くヤツだぞ。

ここのところ白崎と花巻の距離感がどことなくおかしかったのは多分気のせいじゃない。月一に顔を合わせる程度だから確かじゃないが、微妙に歯車が合わないというか、危なっかしいというか、そんな感じだった。
まあ高校時代から綱渡りするような危うさで周りにハラハラさせておきながら、当事者は平然としてるような奴らだったから、今更自分らの足元見てビビったのかよってモンだが。

原因は知らないが花巻が何か言うことはなかったし、それならばと余り心配はしなかった。そもそもちょっとやそっとでどうにかなるようなコンビじゃないのは高校時代を見てりゃわかることだ。

「ま、お前らなら大丈夫だろ」

明るいヘッドライトが近付いてくる。タクシーが来たようだ。照らされた白崎の顔が純粋な驚きに染まって俺を向く。
ちらり、相変わらず潰れたままのダチを見やった白崎が呆れを含んでニヤっと笑った。女子らしからぬ笑みだが、それを抜きでもずいぶん穏やかに笑うようになったなと思う。
そんなことを言えばこいつはどう答えるんだろう。

「…岩泉が言うと心強いよ」

ほら起きろバカ巻、帰るよ!


体格も背丈も一回り以上小さな白崎が花巻を支え、タクシーに乗り込むのを見送りながら思う。
なんつーかコイツらってアレだ。確かに恋人とかそんなんじゃねーのはよく知ってっけど、むしろそれを通り越してこう…

「…いっそ夫婦?」

窓越しに手を振り走り去ってゆく白崎に手を上げて応じながら、口に出したその単語の適切さに一人吹き出した。あいつらがいつか友達期間ウン年で結婚シマスっつっても驚かない自信が俺にはある。


友達以上、夫婦未満。

150315
アイデア募集キャンペーンにて頂きました楽しすぎるテーマ「青城3年レギュラー+玲ちゃんの飲み会で酔うとマッキーは実は…!!」を遅ればせながら使用させて頂きました。案の定の拡大解釈。ご協力有難う御座いました。

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