劇場型玉突き事故



きゅきゅ、と高く鳴るシューズの摩擦音が磨き上げられた床を滑る。ボールの打突音、見上げた天井の照明を一瞬遮る三色のボールを追い掛け、息するように体が動いた。

「岩泉!」

鋭く飛ぶトスは位置は良いがやや低い。咄嗟の判断で助走の勢いを殺し、高さを合わせて宙に舞う。目測打ち込めるのはネットすれすれ、伸びてくるブロックの腕は当然はるか上になる。力尽くで押し込むか―――否、

「ブロック二枚!」

走り込んできた長身が視界を遮る様に、本能が力押しという選択肢を投げ捨てた。捕まる。刹那の邂逅、ネット越しにぶつかった切れ長の瞳に散った好戦的な光に、しかし怯んだわけでは毛頭ない。

力一杯振り抜くと見せかけ、最後の一瞬、手首だけで軽くスナップしたボールがブロックの手首に―――はたき落とすことが出来ない位置だ―――バウンドした。軽やかに着地して、素早く退き助走距離を確保する。
不意を突かれた顔を晒した黒尾の唇の動きはさしずめ「ヤロォ、」というところか。高揚する気持ちのまま要求する。

「オープン!」

一学年上のセッターが一瞬こちらを見る。驚きと迷いを含んだ視線を真っ直ぐ見つめた。部内でも180ギリの選手は少ない。決して長身と言えない体躯からすれば速攻が妥当、さっきの高さが適当だろう。

でも違う。まだ跳べる。それを見てから使い方を決めろ。

高く上がったトス、十分とった助走距離。駆け出し、踏み切りの瞬間、親指の付け根に思い切り体重を乗せ、飛ぶ。
最大揚力をもって滞空するこの数瞬が、たまらない。

「ッ――止め、」

駄目だ、"まだ早い"。
自コートからの声にしかし、黒尾は唇をゆがめるようにして確信する。反った背筋、伸びた腕。タイプも体格も全然違うが、思い出したのは黒と橙を纏った宿敵・烏野の10番。
多少経験のあるブロッカーなら多分、皆身をもって知っている―――この類のスパイカーを止めるのは至難の業なのだ。

まァ、

「止めねえとは、言ってねえけどッ!」

ジャストのタイミングを合わせられたのは黒尾だけだ。ほぼ一対一、辛うじて1.5枚。まるで岩泉が"そこ"まで飛ぶことをわかっていたかのようなタイミングで伸ばされた両腕に、渾身の重いスパイクが突き刺さる。
衝撃と共に軌道を変えたボールが黒尾の斜め後方へ弾け飛ぶ。行方を追って仰いだ視線―――やられた、コースアウト。

「―――っはああマジかよ、ここにきて力押しか!」
「そうするしかなくしたのは黒尾だろ。あんだけ合わせられりゃ逃げ場ねえかんな」
「そりゃまあ"まだ"跳ぶだろって思ってましたから」

それで突破されりゃ世話ねえけどォ。
悔しげに言い投げて、シャツの裾を引っ張り汗を拭う同寮のMBに、岩泉は思わず目を瞬いた。

黒尾も岩泉もいわゆる「折り紙付き」として推薦で入った選手ではない。選手数の多いチームではないので、新入の平部員も含めて一人一人に目が行き届きやすい環境ではあるが、初見の注目度はそれほど高くなかった。

特に岩泉はバランスの良さを買われはすれど主力候補には挙がりにくく、ある意味で運の悪いことに、最初の練習試合で光ったのは本職のスパイクではなく高校三年間で鍛え上げたレシーブの地力。
今年の春季リーグをベスト16――去年はベスト4だった――で終えた今、チームの再編の気配を見せる首脳陣は、WSとして入部した岩泉にそれとなくリベロへの転向を提示していた。

身長から考えても妥当な話だ。予期していなかったことではないし、それしきのことで腐るほどメンタルの弱い性質でもない。
とは言え中高とチームを引っ張り、何よりあの幼馴染のトスを打ってきたWSの矜持からすれば、承服しかねるオファーであるのは確かだった。

その最中、コーチでもセッターでもない。ともすれば唯一、肩を並べて練習していたこの同輩だけが自分の地力を見抜き、その高さに合わせて止めに来たなら。

「…黒尾、お前、すげえ優秀な司令塔だったんだろうな」
「は?いきなり何…つか、俺ゲームメイカーじゃなかったし」
「お前以上のヤツがいたのか」
「…幼馴染だよ、前言ってた一つ下の」

へえ、と感心する岩泉の含みの無い態度に、黒尾はなんとも尻の座りの悪い心地になる。お前以上の、って。なんつーか、コイツこういう、息するように人を買いにくるよな。

敢えて言うなら夜久に似た褒め方だが、健気に努力する後輩(芝山とか犬岡とか)ならいざ知らず、同輩でチームメイトでライバルでもある黒尾に対し、夜久がドストレートな褒め言葉を投げてくることなどあり得ない(大抵は暴言混じりの叱咤激励か、煽り文句で奮起させてくるかである)。
他方、海は実にマイルドに褒めたり評価したりをするタイプだが、思慮深い彼は相手がそれぞれ受け取りやすい言葉を選ぶのが常だ。故にこういう、その二人を上手く足して割ったような対応に、黒尾は正直慣れが無い。

だがまあこの一戦は、岩泉の打点の高さを十分認識していなかったであろうチーム全体に、彼のWSとしての価値と可能性を知らしめる機会となっただろう。ついでにその高さとタイミングに対応してみせた自分にとってもwin-winの結果と言える。概ね不満は無い。
練習を終え、ダウンを済ませ、更衣室へと引き上げながら、黒尾は今後チームの要となってゆくであろう同輩に加え、自身の可能性を思って口角を吊り上げた。

「なあ黒尾、岩泉、このあとメシいかね?先輩らが奢ってくれるって!」
「お、マジ?」
「いいな、それ…ん?」

不意にこちらへ駆けてきた同輩の一人がもたらした思わぬ朗報に、黒尾は乗り気になる。だが同じく同意を示した岩泉は、直後ジャージのポケットで震えるバイブ音に眉を顰めた。どうやら着信らしい。

「悪い、電話―――…汐崎?」
「どした?」

む”ーっ、む”ーっと鳴るスマホの液晶画面を見下ろし、岩泉がいっそう眉間の皺を深くした。チームメイトは何やら嫌な相手からの着信かと怪訝そうにするが、黒尾はこれは不機嫌に見えるだけで、なんなら何かあったのかと心配してる方だろう、とあたりをつける。あのトンデモ思考に振り回されてドン引くなりげんなりするところは多々見るが、岩泉が名前を邪険に思っている素振りを見せたことは一度もないのだ。
そんな黒尾の思索をよそに、迷いなく通話ボタンをタップした岩泉はスマホを肩と耳元の間に挟み、半分着かけたままだったシャツに袖を通しつつ応じた。

「おう、どうした?」
『ああああ岩泉くんんん良かった繋がった今平気!?』
「っせえ落ち着け、声でけえ!」
『わかった小さくするでも無理落ち着くのは到底むむりりりり』

いつの間にスピーカーホンにしたっけかと聞きたくなるほどの声量で飛び込んできた悲鳴に近い叫び声に、流石の黒尾も度肝を抜かれた。両手がふさがっているせいで耳元のスマホから逃げられない岩泉が間髪入れず怒鳴り返す。すっげえ仮にも女子に対してこの遠慮の無さ。そして音量はセーブされたものの待ったなしに繰り出される、緊迫感には混ぜるな危険なコント色溢れるレスポンス。

「えっダンスィ…」と思わず引き気味になる傍にいたチームメイトに次いで、「何だ喧嘩か?」「いや相手女っぽいぞ」という実況、「はあっ!?マジかよ岩泉がリア充とか許せん!」「いやありえるだろ普段の言動考えろ、お前らの三倍は男前だろ」「バッカ言うな悲しくなるから!」というガヤによる、怒涛の男子トークがバックグラウンドに溢れかえる。

お前ら変な期待はやめとけ、後から絶望的に色気の無い熟年夫婦級やり取りを見せつけられて行き場も訴えるべき裁判所もない消化不良を抱え込むことになるから。
目を平たくしてチームメイトの今後の精神衛生を懸念する黒尾をよそに、岩泉は器用に着替えを進めながら電話の向こうへ指示を飛ばした。

「三行で状況を説明しろ」
『待って指令が鬼過ぎて頭の中の汐崎さんが泣いてる!』
「「(頭の中の汐崎さん?)」」
『三行?三行?寮で及川くんが美人さんと修羅場ってんだけど、あと二行で何伝えればOkey?』
「一行で伝わった。十分で帰るからクソ川ブン殴っとけ」

まるで予期せぬ珍事態である。光の速度で返した岩泉の目が完全に据わった。そして無駄に発音がいいのは何故なのか。
クソ川、というのは確か岩泉の幼馴染でセッターだというあの、と黒尾が記憶を反芻したその一瞬で、しかし思わぬ二行目が彼の意識を他人事ではなくさせた。

『アッ待ってもう一行!橘さんとばっちりでちょっと今防衛戦―――ひおッ』

ぱりん、ガシャン。

悲鳴に近い灯からの追加情報を遮った何かが割れる物音に、岩泉に次いで黒尾の顔色も瞬時に一変した。

「悪い、先輩方には丁寧に断っといてくれ!」
「今度ちゃんと詫びに行く!」
「お、おう、それはいいけど…!?」
「大丈夫かー!?」

チームメイトの声を背に、バックパックをひっつかんだ二人は更衣室を飛び出した。どちらも登校は徒歩、走れば寮まで10分足らず。
もし怪我なんか。思った脳裏に浮かんだ板間に散る赤の想像を、岩泉は繰り出す両足のストライドで振り払った。

181026

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