話が違うじゃないですか



マイクを通して響いた声に、ぶわり、肌が粟立った。


一瞬水を打ったように静まり返る立見スペースを、一石投じられた水面の波長に似た衝撃と、ざわめきの波が駆け抜けていく。

古い洋楽だ。音楽全般に疎い亜紀でも耳にしたことのある、映画の主題歌か何かの。今時のJ-POPのようにアップテンポで複雑なメロディではないが、その分純粋な歌唱力と発音の正確さが試される難曲。

それを今、聞き覚えのある声音が、想定外の歌唱力で歌い上げている。

「…いや冗談でしょ…」
「こんだけ萌えねえギャップもねえよな」
「ギャップとかもうそういう次元じゃないんだよねえ…」

全面同意で黙って頷く亜紀の左サイドでステレオしているのは、感嘆を通り越してドン引きした様子で呟いた及川徹と、その隣で愉快げに笑う花巻貴大である。

ステージ端から突き飛ばされるようにして表れ、挙動不審で進み出ながら、音源を耳に腹を括ったのか。スタンドマイクを掴んで2秒、低く滑り出したのはソフトなシルキーボイス。Bメロに入るにつれ声に芯を入れ、サビは腹から伸びやかに。

予定されていた大物出演者(在学生でドラマのEDに抜擢された歌手だそうだが、テレビを持たない亜紀にはピンとこなかった)に代わってステージに現れた“出自不明“のボーカリストは、観衆による最初のざわめきが混乱と不満に変わる前に会場全体を席巻しつつある。

観客スペース半ばからステージまでは数十メートル。目深に被ったキャップで顔は伺えないし、スモークブルーのゆったりしたシャツと黒のパンツにも覚えはないが、靴までは準備できなかったのかもしれない。彼女の祖母から贈られたというネイビーのパンプスが、ステージに立つそれが同寮生、汐崎灯であることを裏付けている。

意外も通り越していっそ別人説が湧いてきそうだ。あのパンプスがなければ灯とは信じられなかったかもしれない。

「…すごいね」

ぽろり、こぼした独り言に返事は返ってこなかった。亜紀はちらり、自分を挟んで及川と花巻の反対隣に立つ青年を伺い見る。
歌い出しから目を見開くなり、一言も発することなく立ち尽くしていた岩泉は、ステージを一直線に見つめたままだ。
そんな横顔は間奏に入って少し、亜紀を挟んでそれをニヤニヤ眺めていた友人二人に気づくなり、真っ赤にした耳と一緒に思い切り歪められることになるわけだが。

「二人もこれ知らなかったの?」

自然発生的に始まった手拍子の中、及川がふと不思議そうに尋ねる。亜紀は首を振ろうとし、はたと止めた。同じく変な顔をした岩泉も同じことに思い当たったらしい。とりあえずは代表して亜紀が答える。

「…こういう感じには、全く」
「というと?」
「キュー○ーの3分クッキングとかは、よく料理中に」
「…」
「掃除の時は徹○の部屋のBGMとか…」
「…」
「あとはジ○リと…なんだっけか、船の。有名なやつ」
「タ○タニック?」
「それだ。よく『あんむずきんのぶざうぉー!』つって叫んでる」
「それなんの呪文???」

真顔で問うた及川に答えるべきか、亜紀の名誉とを秤にかけ、秒で灯の名誉を取った。だって岩泉は亜紀にとってトムなので。もしくはカンタと言ってもいい(ちなみに亜紀の中でネ○バスは黒尾、ト○ロは灯の祖母一択)。

「“I’m the king of the world“、かな」
「岩ちゃんリスニング絶望的じゃん、普段から汐崎さんの英語の何を聞いてんの?」
「うるせえアイツが規格外なんだよ」
「確かにJIS規格ではねえべな」
「工業製品か」

ちなみに灯だが、稀に洋楽の切れ端や昭和の歌謡曲なんかを口ずさんでいる時もある。聞けば曰く、「ばっちゃまの薫陶を受けたんよ」。基本鼻歌なのと選曲のちゃんぽんが深淵すぎて深くツッコまずに来たが、どれも思い返せば音程は抜群だった。なんならビブラートもかかってた。
ついでに機嫌がいいとアレンジと共に謎のダンスも付随する(ただし珍妙かつ絶妙にリズムが合わない)。それも付け加えれば、真顔になった及川は厳かに宣言した。

「俺はもう汐崎さんがブロードウェイでミュージカル女優に内定決まったっつっても驚かねえ」
「本気出しゃ行けんじゃねえ?あいつ好きダロUSA」
「パスポートがねえよ」
「(((そういう話…?)))」

曲が二番に差し掛かる。歌詞の意味は聞き取れないが、一番とは趣を異にする内容なのか、はたまた灯自身が舞台に慣れてきたのか。緩急を切り替えた声色がエッジを乗せる。…驚いた、声質にも幅がある。土壇場でそれを操る技量と胆力も。

安定して歌い切った一番はなるほど、喉と会場の様子を伺いながらの“様子見”だったのか。アレンジする余裕が歌に乗れば、聴衆は一層引き込まれていく。エンターテイナーである。

音楽がラスサビに向けて盛り上がりを見せる。言葉を切った四人を含め、身構えた会場へ、息を継ぐ音がマイクを抜ける。
呑まれた会話も意識も全て、ラスサビまで戻ってこなかった。あれだけわちゃわちゃくっちゃべていた四人全員が、息も忘れて最後まで聞き入った。
曲が切れる。爆発する大喝采。

「…脱帽だね」

及川が半ば呆れたように言った。異論はない。そろりとさすった亜紀の腕には鳥肌がたっていた。

時間にして5分強。歌い切った灯の立つステージへ波のように押し寄せる拍手に倣い、花巻の色の白い大きな手がゆったりと音を重ねる。次いで及川が花巻よりフォーマルに、亜紀は小さく丁寧に、最後にようやく岩泉が、なぜか憮然とぎこちなく。

指笛やら歓声やらが飛び交う中マイクを離した灯がよろり、二、三歩後ずさるのが見える。あれだけ堂々エンターテインしておきながら相当心筋を使ったのか、遠目にもぐったりした様子でそそくさとステージ脇へ引っ込んで──いや、なぜか追い返されている。やりとりはちっとも聞こえないが、明らかに猛烈に追い返されている。

そして容赦なく流れ出す二曲目。アンコールに盛り上がる会場。今度は世界進出も華々しい邦ロックグループによる全英歌詞のロックナンバーだ。

ステージ中央と舞台袖の真ん中あたりで凍りついた灯は右往左往の挙動不審の末、最終的には尻に火が着いたようにスタンドマイクに飛びついた。あの妙な律儀さゆえ、迫り来る歌い出しを無視できなかったのだろう───完璧な歌い出しである。若干怒鳴る風情なのがいい味を出している。

「何だろう、めちゃくちゃ上手いのに自棄っぱちなのが伝わってくる」
「あー、半べそで半ギレしてるやつネ」
「どっちも半分なんだ」
「どっちも半分なのヨ」

楽しげに二曲目を歓迎する様子の及川と花巻に対し、亜紀は再び静かになった反対側の同級生を見上げた。岩泉は黙ったまま何とも複雑な顔をしている。聞くには聞きたい気持ちもあるが、灯が本意でない様子なのが気掛かりなのかもしれない。

平生は灯に無遠慮で容赦のないわりにこの男、存外過保護なところがある。灯が気づいている気配はないが、岩泉は多分、灯の情けないしょぼくれ顔に弱いのだ。亜紀も弱いのでよく分かる。

三曲目が始まるまでには救出に向かおうか。提案すればきっと岩泉は乗ってくるだろう。しかし寮内TOP2の口下手組で、果たして運営から灯を奪還できるのか。
真顔で頭を悩ませる亜紀をよそに、根本的には解決されてない当然の疑問をふと及川が口にする。

「でも、なんで汐崎ちゃんあんなとこで歌うことになってんだろ」
「代役じゃね?目玉歌手の。人選としては正解だわな」

その口ぶりからやはり花巻だけは、脳あるタカが隠したというよりトンビがうっかり持ち腐れていた意外すぎる爪について既知だったらしい。
前々からその気配はあったが、花巻は岩泉とは別軸で灯と仲が深いようだ。愉快そうに口角を上げる彼に、亜紀は思い切って聞いてみる。

「花巻くんは、灯ちゃんとどんな仲だったの?」
「おっ意味深な聞き方するネ」
「…」
「待て待てそんなゴミを見るような目で見ないで」
「ゴミっつうか生ゴミだろ」
「岩泉はヤキモチ焼かないでクダサーイ」
「橘そこどけ、一発殴る」

話が進まないので亜紀は無視した。それを見て「図太くなったねえ」と生ぬるく微笑む及川の心中など知る由もない。

「3年間同クラだったんだよ。うち割とマンモス校でクラス替えも毎年あったから、確率的には珍しいんだよネ」
「…歌は知られてなかったの?」
「知ってるやつは知ってたんじゃねえかな。でもあいつ、それで目立とうとか思わねえヤツだし」

それはわかる気がした。灯は多分、人の注目を浴びるとか、名声とか人気というものに根本的に関心がない。
「選択科目で音楽取ってなかったの?」という及川の疑問には花巻曰く、灯の高校時代の選択は美術だったという。その腕前は“画伯“。断じて褒め言葉ではない。
周囲に「世紀のエラーチョイス」「画材の無駄遣い」「青城音楽界の損失」とさんざん言われた灯は涙目になっていた。ちなみに音楽にしなかったのは「楽器全般が苦手だから」。

「へー意外、器用そうなのに」
「な。今の曲なんかギター持ってりゃスターだべ?」
「あっ今更だけど動画とっとこ。あとでまっつんにも見せてやんなきゃ」
「青城ラインに投下しとけばいいんじゃね?」
「採用!」

亜紀は黙って考えた。肖像権。プライバシー。それから苦虫を噛み潰したような顔をする岩泉と、嬉々として録画する彼の同輩二人を見やり、灯に静かに同情した。

「これ後でクロオくんにも送っとく?今日別行動なんだろ」
「ああ…まあ、そうだな」
「もったいないよねー。まっつんは用事だし仕方ないけど、せっかく同じ大学なんだからクロくんも見に来れたらよかったのに」

屋台そんなに忙しいんかな。
俺らも後で食いに行くべ。

録画に気を取られる二人に気づかれなかったのは幸運だった。歯切れの悪い返答を寄越した岩泉が、ちらり、亜紀の様子を伺う。亜紀は反応するか迷い、結局黙ってステージを見遣った。Cメロ、緩急の緩。ロックンロール適正あり。

さて、二人は別行動と言ったが、黒尾の不在は正確には、バレー部の出店のためではない。では何ゆえかと問われると実のところ、亜紀も岩泉も正しくは把握していない。

亜紀はポケットからそっとスマホを抜き出した。メッセージアプリの通知はない。「メインステージに行っています」という短い吹き出しの下には、さらに短い「了解」の二文字のみ。
それ以降の彼の足取りがわからない。

「…まあ、なんだ。あんまり気にすんなよ」

ぼそり、降ってきたそっけないフォローに、亜紀は目を瞬いた。岩泉はどうやら、黒尾の不在と、その寸前の女子たちとのツーショット(スリーショット?)を、亜紀が気にしていると思ったらしい。
灯からはデリナシー、及川からは朴念仁と呼び声高い岩泉から出たは思えぬ(灯に言わせれば千年に一度の)気づかいに、亜紀は軽く肩をすくめてみせた。

怪訝そうにする岩泉は違和感を感じなかったようだ。だが亜紀は黒尾の不在の理由に、何かの事情が絡んでいる気がしていた。少なくとも、彼個人の事情ではない何かが。


時計台の近くで上回生と思しき女子学生と話していた黒尾は、いつの間にか姿を消していた。シフトの交代間際で、屋台から数十メートルの広場まで戻って来ていたのに、持っていた看板を通りがかった仲間に託してそのままその場を去っていたのだ。

なにぶん灯の拉致とほぼ同時多発だったので確証はない。だが彼が人混みの向こうに消える寸前、亜紀はその横顔に何か真面目な色を見た気がしていた。少なくとも、上回生の誘いに機嫌良く付いていっただけには思えない何か。

絶対零度の微笑みを浮かべた叔母に、「多分そういうのじゃない」と(言葉は足りないが)冷静に言えたのはそのためだ。
楓は亜紀の言葉がその場しのぎのフォローでないことを読み取ったようだが、問いただす前に突如入った電話のために一時離脱することとなった。英国に残してきた部下が何かしでかしたらしい。
「1時間…ううん、45分で片付けるから!」と言い残し、楓は猛烈な勢いで英語のやりとりを開始しながら屋台を去っていった。通話のために車に戻ることにしたのだと思う。ハンカチを噛みしめん勢いで悔しがっていた。

一方強制徴用されていった灯を見送り、「何だかわからないけど、灯ちゃんが離脱するならお前らも遊んできたら?」と提案してくれたバレー部主将の配慮に甘え、呆気に取られていた岩泉と亜紀も、ひとまず灯の後を追うことにした。そうして辿り着いたステージ前で、遊びに来ると言っていた及川と花巻と早めの合流。今に至るというわけである。

黒尾にはその道中、ラインで居場所は知らせてある。彼からの返事もあったし、用事が済めばそのうちふらっと現れるだろうと思っていたのだが、

「!」

ポケットの中でスマホが振動した。同時に二曲目が終わり、一曲目を超える大歓声が爆発する。
振動は鳴り止まない。着信音など聞こえない状況だが間違いなく電話だ。亜紀は慌ててスマホを引っ張り出した。画面は点灯している。黒尾鉄朗。

咄嗟にあたりを見渡すも、静かな場所など当然ない。亜紀は諦めて通話ボタンを押し、スマホを目一杯耳に押し付けた。会場のざわめきに捩じ込むようにして、前置きをすっ飛ばした黒尾の声が何とか鼓膜にたどり着く。

『亜紀サン今一人?』

亜紀は一つ瞬いた。周囲の喧騒に負けないよう、声を張って短く返す。

「岩泉と一緒。及川くんと花巻くんもいる」
『その感じだと、まだメインステージだな』
「うん」
『汐崎さんは?』
「、ステージで…あの、歌ってた。今もステージ」
『!…わかった、岩泉に代わってくれ』

意図して冷静を押し込んだような、端的な声に滲む微かな緊迫。
亜紀は一瞬間をおき、スピーカーをオンにした。音量を最大にし、その上で岩泉の袖を引く。怪訝な顔をした彼にスマホを差し出した。

「…黒尾?お前、どこに──」
『岩泉お前、今すぐ汐崎サンの傍につけるか』
「は?」

『出演予定の歌手に脅迫が届いてる』


歓声から取り残された一瞬の沈黙が、二人の間を走り抜けた。
亜紀は耳を疑った。岩泉も言葉を失くしたようだった。

『運営はイタズラだろうってタカ括ってたらしいが、雲行きが怪しい。俺も行きがかりでたまたま知ったとこで、何がどうなってるのか全体はわからねえ。けど、』


今汐崎サンが立ってンのは事実上、脅迫された人間が立つはずだったステージだ。


『イチから説明されて納得の上で代役を引き受けたってんなら構わねえけど、…だとすりゃお前が今そこで呑気に観客やってるわけねえわな』

聞き慣れた食えない口調に滲む、皮肉混じりの笑みと怒り。電話越しに唸るエンジン、ウィンカーのカチカチという音に紛れて、何事かを言う女の声がした気がした。まるっと無視して黒尾が言う。

『すぐ戻る。頼めるか』
「──任せろ」

亜紀の手にスマホが戻される。応じた岩泉の声は冷静で、動作も決して手荒いものではなかった。
だが、肌を掠めたひりつく気配に、亜紀は思わず身を固くする。
憤怒。

「岩ちゃん、今の話───」
「お前ら悪い、橘頼む」
「私も行く」
「あ?」

踏み出しかけた足を止めた岩泉がほとんど威嚇に近い返しをした。逆立った気配もそのままに見下ろされながら、及川たちの驚いたことに、しかし亜紀は少しも怯まなかった。

「私も行く」
「却下だ」
「私も灯ちゃんのともだちよ」
「理屈でモノ言え。お前になんかあったら伯母さんにも、北にも南にも合わせる顔がねえだろうが」
「特別扱いせんといて」
「勘違いすんな、お荷物扱いしてんだよ」
「…!」

心外だ。珍しく顔を険しくさせた亜紀が、しかし二の句を告げない間に岩泉は背を向けて雑踏の中へ消えていく。

当然ながら及川と花巻に問われ、亜紀は電話の内容を簡潔に説明する。説明と言っても今聞いた話で全部だ、状況を把握するには色々不足が多い。
せいぜいわかるのは及川の総括通り、

「つまり、汐崎ちゃん本人が知らないうちに、キケンな替え玉になってるってこと?」

おおむねそういうことである。及川と花巻は顔を見合わせた。黒尾が言うことが正しければ、脅迫はイタズラでは済まない可能性があることになる。
しかし、灯がステージに出てすでに10分近く。何か起こるならもっと早くに起きていても不思議でない。その彼女も、二曲目を終えてさすがに舞台袖に引っ込めたのか。興奮冷めやらぬアンコールの中いったんライトを落とした舞台上では、装置の配置換えが行われているようで、灯の姿は確認できない。

「そんじゃ、俺らもステージの方行ってみる?」
「え?」
「そうだねえ。ホントに何かが起きるとして、ここでのんびり眺める理由なんてないし」
「橘サンのこと任せたって言われたけど俺ら、ここにいろとは言われてねえし」
「…!」

いかにもわざとらしい、息もぴったりの茶番である。驚く亜紀を意味ありげに笑って見やった及川と花巻の、「お荷物だってさ。ホント失礼しちゃうよね」「あのオトコマエ見返してやろうぜ」という言葉に、亜紀は大きく頷いた、

その矢先だ。


どん、がしゃん。


「!?」

舞台の入れ替え待ちのため流れていたBGMの合間、否、それでは誤魔化せない明らかな異音。

会場前方、ステージ右側だ。舞台袖か舞台裏か、なんであれ重量のあるものが落下なり倒れるなりした不自然な騒音と、それに紛れて漏れ聞こえた悲鳴や怒号の混合物。

ざわり、前方の観客にどよめきが広がる。さっと顔色を変えた及川と花巻が、反射的にステージに顔を向けた。平均以上の上背のある二人と違い、人の頭の間からステージを見ていた亜紀だけが、一瞬反応に出遅れる。

BGMは途切れていない。ステージは相変わらずライトを落としたままだ。知らず、やや身を乗り出していた及川の前を、会場を出ようとしてだろうか、数名の学生が通り過ぎていく。

灯はもちろん、岩泉の姿も見えないし、MCも中に引っ込んでいて運営側の動きも掴めない。もう少し前まで行かないと状況判断がつけられない。


そんなことを考えた。
目を離したのはものの数秒だったはずだ。


「橘さん、とりあえず───橘さん?」


見下ろした先、ついさっきまで腕2本分離れた隣に佇んでいたはずの、艶やかな黒髪が見当たらない。

及川ははっとして周囲を見渡した。花巻が異変を察知する。
だがもう遅かった。

亜紀は二人の視界から、忽然と姿を消していた。



220903

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