類稀なる人選ミス



どうにも妙なことになった。

「ごめんね鉄朗くん、バレー部の出し物もあるのに」
「いや、休憩入るとこだったんで」
「そう?ならいいけど」

一部の隙もない化粧を施してにっこり笑った笑顔の目元には、薄い色付きの縁メガネ。ウィッグらしき地味な黒髪は珍しくないボブカットだが、滲み出るオーラを消せているかと問われると微妙なところだ。助手席に乗り込んだオフホワイトのショートパンツ、淡いグレーのとろみブラウスは、脚線美とデコルテを惜しげもなく強調している。ピアスとアンクレットにはゴールドを、足元は黒のピンヒール。

ハマってはいるしプライドもあるんだろうが、もう少し危機感に即した地味な装いでもよかったんじゃないかと思う。まあ、聞いた限りの状況じゃオシャレを楽しむ余裕がある方がマシなのかもしれないが。…否、新進気鋭の歌手ともなればむしろ、それくらいの度胸がないと務まらないか。

「これ、ミオの言ってた大学の車なんだよね?」
「らしいですネ」
「じゃあ鉄朗くん、マニュアルも持ってるんだ。カッコイイ」
「それが理由で呼ばれたんで。…じゃ、出します」
「うん、お願い」

楽しげに車内を見回す様子を尻目に、周囲を一瞥、人影はなし。クラッチを踏み込みギアを入れる。乗り慣れないが嫌いじゃない、借り物のスカイラインがゆっくりと滑り出す。
助手席から注がれる含みのある視線を左頬に受けながら、黒尾は口には出さず再び思った。

どうにも妙なことになっている。




予定よりかなり早く作り置きが完売したため、宣伝役も一足早く戻るよう連絡を受けたのがシフトの終わり10分前。
面識はあるが連絡先を交換した覚えはない女バレの先輩から突如通話がかかってきたのは、屋台に戻る道すがらのことだった。

連絡先とシフトは男バレの同期に聞いた、この後一つ頼みがあるから広間で落ち合えないか。なんで俺?と正直首を傾げたが、男バレ同期ということは誰であれ自分には先輩になる。強いて断るだけの理由もない。…ついでに屋台には汐崎さんと一緒にお好み焼きを焼いているはずの彼女がいることを思えば、寄り道する口実が降ってきたと思ったのも事実。

とはいえそこで聞かされるのが、今学祭出演予定・話題沸騰中のシンガーの救出作戦とは夢にも思わなかったわけだが。

「ストーカー?」
「元カレがね」

ぎゅっと顔を顰めて言ったのは電話を寄越してきた女バレのMBだ。件の歌手とは学部の同期らしく、個人的な付き合いもあり、相談を受けたという。

構図というか、ことの発端はシンプルだった。歌手である彼女──面倒なので以下芸名のMIHARUと呼ぶ──の元彼がストーカーと化しており、今回のステージも妨害する可能性が高いというものだ。これをシンプルと言える時代に民心の荒廃と義務教育の敗北を感じる。

もちろん実行委員も無策でなく、他の出演者と打ち合わせの上出演スケジュールの情報を偽り、MIHARUの出演予定時刻を撹乱。サプライズ演出と見せかけたゲリラ的ステージジャックを予定した。

だが実行委員は末端スタッフまで含めれば100人超え、出演者も足せばその倍だ。公式情報がブラフであることはどこかしらから漏れた。それも運営に言わせれば“スパイ”によってである。

なんでもこのストーカー化した元彼、無駄に頭の切れるタイプで、実行委員内外になんらかのツテを持っているらしい。その情報をかねてから取り込んでいた一部の過激ファン・アンチに横流し、Twitterの裏垢なんかで凸計画が立てられていると判明した。今日にである。
もう一度言うが、本日にである。

「それで、予定時間を早めて現場入りを計画したんだけど、その話もどっからか漏れたみたいで」
「情報網ガバガバじゃないっすか」
「美晴が家出ようとしたら、何人か張り込んでるっぽくて」
「ワア」

安いスパイ映画みたいな話だな。半眼で首裏をかいた黒尾の呆れは無言のうちに伝わったのだろう、女バレのMBはムッとした顔をした。茶化すなと言いたいのかもしれないが、そんならそうで現実的に対応すれば良いのでは、というのが黒尾の意見である。

「そこまで行ったら普通に警察案件じゃないんすか」
「この学祭も含めて、ドキュメンタリー番組の密着取材の対象になってるんだよね。メジャーデビューも控えてるし、土壇場で大事にはしたくないって」
「本人も事務所も、…大学も?」

返答は頷きひとつ。組織が宣伝と金になる話に弱いのは世の常だ。
黒尾はいろいろ言いたいことを一旦腹に収め、無言で先を促した。

曰く、事態の穏便な収束を期待する大学の協力で学用車を借りれる手筈になったので、彼女を自宅から秘密裏に連れ出しステージへ。ひと段落してから通報も含め、今後の対応を協議するという話にまとまったらしい。
が、そこで判明したのがその学用車、先代学長の趣味だかなんだかの年代もののスカイライン。言わずもがなのMT車、AT限定お断りである。

「それで俺に?」
「そういうこと」

確かに免許はMTで取ったし、そんな会話をした覚えもあるが、他にもそういう人はいた。なんなら普段から親のMT車を乗り回していると言っていた先輩もいたし。そう言おうとして、背後から近づいてくるヒール音。

「あっ、ミオ、このコがウワサの?」
「そうそう、今お願いしてるとこ」
「初めましてー、クロオくん?だっけ?今日はミハルのことよろしくねー!」
「あー、はあ…」

女バレのMBの友人らしき通りすがった見知らぬ先輩が一瞬で腕を組んできて、やんわり解く前に一瞬で解放して去っていった。これなんていう通り魔?

というか今の言い方だと俺への依頼は決定事項らしい。改めてなんでわざわざ俺に、と問えば、「急なことだったし、一番に思いついたのが黒尾くんだったの。それに、美晴とも一応面識あるでしょ?」。
まあ確かに。それこそこの女バレのMBと男バレの繋がりで、たまたま行き合った程度のことだけど。

ふうん、と納得してみせるも、直感は確かな違和感を拾い上げていた。何かある。勘が当たっていれば、深刻じゃないが、面倒な方向で。

最後の足掻きのつもりで先輩に連絡を取れば、「そういうことならシフトはいいから助けになってやれ」と大賛成。なんなら「俺もMT取っときゃよかった…!」とか「あわよくばライブチケット融通とかある!?」なんていうその他大勢の盛り上がり付きだった。

しゃーねえ、ぱぱっと済ませてしれっと戻るか。
そう思い、スマホのナビを頼りに向かったのは大学からほど近いオートロックマンション。指定された裏口周辺に特別妙な人影はなく、MIHARU自身のピックアップもあっさり済んだ。バックミラーに不審な車両はない。念のための迂回どころか送迎自体不要というか、タクシーでもよかったんじゃね?というのが黒尾の感想だ。

「あ、ねえ、鉄朗くん、そこのスタバ寄ってもいい?喉乾いちゃった」
「俺はいいっスけど、出番間に合います?」
「ちょっとくらい平気!安物だけどお礼もしたいし。何がいい?」
「あー…じゃあ、アイスコーヒーで」
「ブラックでいいの?」
「甘いのそんな得意じゃないんで」
「うわ、大人。言ってみたい」

頭半分で応じながらドライブスルーに入る。ついでに確認した背後、後ろから走ってきていた単車が妙な減速をしたように見えた。
視界から外れていくそれを見送って視線を戻すと、注文を終えたMIHARUが探るようにこっちを見ていた。どことなく不満げな声が言う。

「鉄朗くん、適当に返事してるでしょ」
「ええ、そんなことないですヨ」
「ウソ。心ここに在らずって感じ」
「そりゃ、マニュアル車なんて普段運転しませんから」
「…」

青信号、点滅。意図して軽く、平然と。ハンドルを回しながら目を合わせずに言う。

「人気急上昇中の歌姫乗せてて万一にも事故ったら、先輩どころか社会から殺されかねないでしょ」
「…それだけ?」

黄信号。瞬きひとつ。横から刺さる視線の色に違和感を感じないほど鈍くはないが、…だとしても身に覚えがなさすぎる。
一瞬思案し、助けてくれたのはドライブスルーの店員の声だった。これ幸い、礼を言ってコーヒーに口をつけ、前の車について車道へ戻る。

迂回を切り上げ、大学へ向かってハンドルを切る。助手席の何か言いたげな気配には気づかないふりをして、あえてこちらから話を振った。

「ちょっと急ぎますか、遅れるとマズイだろうし」
「…別に。時間稼ぎは用意したから、少しくらい遅れても平気だよ」
「へえ…、」

時間稼ぎを用意、ねえ。黒尾は表情を変えず内心つぶやく。高慢な言い方だ。他人を使うことが当然の日常の───いや、待て。

「…凸計画が立てられてたって話でしたよね?」
「え?ああ…まあ」
「どういう内容だったんですか」
「何、心配?大丈夫だって、どうせただの嫌がらせだから。警備も増やすって聞いたし」
「内容は?」
「…ステージに立ったらただじゃ済まない、とか。そういうふわっとした話で、具体的にどうなんて聞いてないの。だから、」

赤信号。ただし、さっきまでとは全く違う意味の。

黒尾はウィンカーを左に出し、半ば無理やり路肩に停めた。強引な停車に後続からの短いクラクションを浴びながら、構わずサイドブレーキを引き、困惑する助手席を無視してスマホを引っ張り出す。

脳裏を過ぎるマスタード。学用車を取りに向かう道すがら、中央ステージ付近を通りかかったとき見かけた、舞台裏の控えスペースに引っ張られていく後ろ姿。

視界を掠める程度に見たあのからし色は、オーバーサイズのトップスでも丈の短いワンピースでもなく、実際は割烹着だったんじゃないか。
その手を引いていた女の腕には、実行委員の腕章があったはずだ。

「世間一般じゃそれ、脅迫とか犯行予告って呼ぶと思うんですケド」

何を勘違いしたか、シフトギアに置いた黒尾の手に女が重ねてきた手を振り落とし、黒尾は焦燥感を殺して言った。


「“時間稼ぎ”の代役に、その辺ちゃんと説明してマス?」


杞憂ならいい。勘違いならそれで上等。100歩譲って灯でなければ最悪セーフ。思ってかけるが繋がらない。岩泉にかける。応答なし。

先輩も女バレのMBも事情を全て把握しているようには思えなかった。実行委員にツテはない。もはや遠慮なく舌打ちした。そして思い至る。

(…亜紀サンなら、)

黒尾は亜紀のアイコンをタップした。この夏以降、雅火から緊急の連絡に備え、彼女は必要でない限りマナーモードを使わないようにしているはずだ。意外ながらも事情ゆえに、亜紀は寮内でも一番早く既読がつく。

果たしてコールは3つで途切れた。

『…もしもし?』









さて、時刻は15分ほど遡る。

キャンパス中央に設営された特設ステージ前は、コンサートの開演を待つ観客でごった返していた。


それもそのはず、舞台右手に設置されたタイムスケジュールの13:00の文字の横には、最近マイナーデビューを果たしたと思えば火9ドラマEDの大抜擢・SNSでも話題沸騰中という、本学3回生にしてシンガーソングライターである女子大生の芸名。開演まで5分を切る中、膨張する熱気と期待は最高潮に達そうとしている。
音響・照明ともに万全の体制で主役の登場を待ち受けるステージ、その舞台袖スタンバイするは、将来を嘱望される若き歌手───ではなく、割烹着を剥がれた醤油である。

お目目を疑った全ての方のために大事なことなので二度お伝えする。
割烹着を剥かれた醤油である。

「エッ改めて聞くけどなんで???」
「改めて聞くの18回目だけど説明はあの1回で許して。そういう星の巡りだったのよ」
「運命論など信じぬ!!!」
「静かにして観客に聞こえるでしょ」
「Dang it…!!!」

恐ろしく純粋な瞳で真っ直ぐ言い切った大会運営委員会所属の友人の、あまりのピュアな傍若無人さになすすべなく膝から崩れ落ちた。ら、「ちょっと衣装汚れたらどうすんの立って立って」と言われた。モブには地べたに這いつくばる権利さえないってか。頭の中の汐崎さんが私の代わりに転げ回って泣いていた。スーパーのお菓子コーナーで幼少年の自己主張かましてる5歳児にも見劣りしない転げっぷりだった。

さて、キャンパスメインストリート区画3-Cの男子バレー部による屋台にて平和に慎ましくお好み焼きを焼きつつ、同寮の超絶美人の伯母さまの予期せぬご来店をお迎えし、その最中突如勃発しかけた修羅場の火消しに奔走すべく無い頭を絞ろうとしていた人畜無害のモブ代表が、何故縁もゆかりも無いはずの特設ステージの舞台袖で出番を待つ羽目になっているのか。

いやわかる、この流れクソなっげえ説明文の始まりだろ見えてんだよそのパターンって思うよね?残念でしたァ白紙でーす!!無添加無知100%の醤油でーす!!私が一番知りたいわ誰か説明文よこせください!!

OKわかる範囲で言うぞ、拉致である。どちゃくそストレートに申し上げて拉致である。楓おばさまによる黒尾くん炎上(人呼んで“クロネコ危機一髪“)を回避すべく初期消火に乗り出したそのタイミングで、男バレ屋台まで直行してきた同学部所属・バイタリティと押しの強さには定評のあり過ぎる友人が、「お願い名前喉貸して」の一文で、消火作業真っ只中のMOBUをワンクリック拉致したのである。
「喉?首?処刑台?」とフリーズしてる間に工作員もリクルートしちゃう手際の良さで誘拐されて5分、割烹着剥かれて5分、ステージ脇で音源聞かされて10分、トータル即席20分でM(マジで)O(オンステージ)5(分前)だった。いや自分で振り返ってもわっかんねえわなんで???どういうこと???

「許して灯、いつも通りで大丈夫だから」
「いやいつも通りって何??そんないつもは私の人生のどこにも存在してねえべ??うちのばっちゃまステージママじゃねえってかそもそもママでもねえわステージババだわ」
「とりあえず音源に合わせて歌ってくれればいいから。こう…あれよ、ちょっとオープンスタイルなカラオケだから」
「OKほのちゃん確かに私ポンコツだけど流石にそれで騙されるほどempty headじゃねえんだな!!」
「お礼は弾むわ。なんでも奢る」
「ちょっ待っ聞いt」

ばつん。
突如落ちる照明とステージ上に広がる日中ゆえの薄闇が、私の必死の訴えを掠め取っていった。ざわつく会場、次いでうっすら点灯するステージ足元の仄かなライト。
内心でエンドレス「e?」をリピートしてたら問答無用で背中を押された。たたらを踏んで二、三歩、はたと横を見れば被った帽子の鍔の下側かつ、逆光配置のライトといつの間にか足元を雲海にしているスモークの上側、3分の1以下の視界に詰め込まれたほぼ満席の観客席が飛び込んでくる。

真ん中にはスタンドマイクが一本。何の紹介アナウンスもなし、明らかなる闖入者の構図である。ざわつき始める会場を華麗通り越して暴力的にスルーして、ステージ両側に据えられた巨大なスピーカーと連動するイヤホンから流れ出すイントロ。そして舞台袖からは鬼の圧力。
エッ歌ハラ?これが噂の歌えハラスメント、否カラオケだからオケハラになるの?バカ言えこんな吹き抜け青空カラオケ設備があってたまるか、No time to explainで衆人環視のon the stageさせられて拒否権もないってそれはもう世界人権宣言への冒涜ぞ!モブには!人権も!ないってか!

頭の中の汐崎さんが死装束で短刀握ってた。なるほど腹は括ったと。本体がちっとも覚悟キメれてないんだが、…ええいままよ、女は度胸だ、ドーラもばっちゃまもそう言ってた。知んねーかんな、この後運営本部に騒音クレーム返金要求が大挙して押し寄せても責任取んねーかんな覚悟しろ!

帽子の鍔を引き下ろす。出る前に突っ込れまたイヤホンを両耳にしっかり押し込んだ。

視界はゼロ、聴覚は音源、気分は清水の舞台or東尋坊。


220622


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