おいでませ主演女優


「……むんッ!」

ぱちり、開いた目で天井を確かめる。そろそろ見慣れてきた板間を見つめ、しばし沈黙。それから一声上げて布団を蹴り上げた。むくり、身を起こし、窓の外を確認する。
下町の景色の向こう、排気ガスに霞む大気に阻まれ、乱れ立つコンクリートジャングルに細切れにされながら、今日も無事にこの部屋まで辿り着いてくれた朝日の光に感謝した。そしてその苦労を神妙に労う。
安心してくれ太陽、宮城の実家では私のばっちゃまが君の渾身のクリア朝日を日の出からばっちり拝んでるはずだ。おいそこ違う勘違いするな、クリアにアサヒなビールじゃない。未成年飲酒ダメ絶対。

さて今日の朝ごはんは何にしようか。冷蔵庫を開けてスタンバイOKな在庫たちと相談しつつ、しかし主食は米一択。パンなど認めん。アッ嘘うそパンも食べます、見捨てないで忙しい朝の救世主…!
閑話休題。

本日は味噌汁にししゃもと卵を焼こうと決め、卵焼きフライパンをじゅうじゅう言わせ始める頃合い、がちゃり、バタン。ドアの開閉音を聞く。今日もストイックなことである。感心するその由縁は同郷の同寮生だ。

同じ寮に住み始めてからわかったことだが、岩泉くんは朝が早い。私が身支度を済ませてキッチンに立つ頃合いに、少し離れたところからドアの開閉音がして、スニーカーの足音が階段を小走りに下りてゆく。いわゆるロードワークというやつなのだろう、小一時間後、私が朝食を食べ終わる頃、これと同じ音が逆の順序で聞こえてくる。ただし帰りのそのコーラスは大抵、ビニール袋の擦れる音を加えた三重奏になって戻ってくるので、コンビニかどこかに寄り道しているのかもしれない。

…そういやソレってよく考えたら朝ごはんの調達なんだろうか。それで行くとほとんど毎朝コンビニ飯ということにならまいか。いやスポーツマンだし食には気を付け…えっでももちっとよく考えたら一か月前まで自宅withおふくろの味たる高校生が管理栄養士ばりを求めずとも一般的にバランスのとれた食事を自炊(それも一日三回)できる可能性ってどれくらいなんだ。なくない?もしかせんでも天文学的数値じゃない?

なんか食べたばっかりのお腹がむずむずしてきた。なんせ聞いてくれ、我がばっちゃまの名言を借りるならば「朝飯は一日の母」である。御年70にて田畑に君臨する地元の野菜女王ののたまう事だ、決して侮ることなかれ。

洗ったばかりの食器の横には、お昼ご飯に回すつもりだった味噌汁の残りと卵焼き。冷蔵庫にはししゃもの残りとばっちゃま特製の糠漬けきゅうり。
三秒考え特攻を決意した。手早くタッパ―におかずを詰めつつ自分に言い聞かせる。致し方ない、これは人道支援だ。決してストーカーなんかじゃない。…エッ待ってストーカー?これストーカーだったりする?
だってよく考えたらさっきから怖くね?ドアの開閉音で出入り時間把握して朝食事情まで推理するとか見た目は子ども頭脳は大人な名探偵以外立ち入り禁止なプライベートじゃね?

「…汐崎?はよ、どうかしたか」
「おはよう岩泉くん悪気はなかったんだ通報だけは…!」
「よし、とりあえずイチから説明しろ」

気付いたら普通にドアをノックしてた自分の惰性の優秀さに絶句した。悶々と考えてたら突撃☆隣の朝ごはん(※持ち込み型)してたとか何事だ。
ともあれかくかくしかじかを説明し、完全なるお節介な上に勘違いだったら赤っ恥過ぎて二週間くらい冬眠するつもりだという意向まで伝えると、岩泉くんは「入学オリテ出れねえから冬眠はやめろ」と冷静に諭してくれた。彼はそろそろ私の扱いを覚えてきてる気がする。

「つーこたァ、それ」
「大丈夫、毒見は済ませた」
「…おま…マジかよ…」
「まじまじ大マジ」

とてつもなく何とも言えない顔をさせてしまった。頭の中の汐崎さんが両手を差し出し手錠と連行を覚悟して待っている。待て待てまだ決まってない、有罪とは決まってない。情状の!酌量を!

「…すっげえ厚かましいのはわかってんだけど」
「アッハイ」
「もらえるんならマジで助かる」
「つおっ」
「(つおっ?)」

部活帰りの買い食い程度ならいいんだけど、さすがに毎日コンビニってのはやっぱ体に悪いだろ。つっても料理なんざロクに出来ねえし、結局ここに来てから適当に済ませてばっかなんだよ。

ため息混じりに話す岩泉くんに、一先ず付き纏い行為による通報を免れたことに安堵した。頭の中の汐崎さんが「勝訴!」と書かれた紙を持って走ってきた。違う一審勝訴違う。

しかし同時に、彼の食卓事情に対する懸念が的中したことに少々の不安を覚える。彼は正式の推薦ではないものの、それに近い形――非公式のスカウトのようなものだと友人が言ってた気がする――でバレー部の入部を予定していたはずだ。
大学の部活は高校にも負けずハードだと聞く。学業の課題もそれなりに出る。それだけなら今までとも大差ないかもしれないが、なんせ基本が一人暮らしの寮住まい(確かに"寮"なんだけど、実質は大学指定の学生アパートのようなもので、食事が準備されたりすることはない)。家事炊事を自分で担いながらの生活を考えれば、高校時代より負担が増すのは間違いない。

「じゃあ、良かったら―――」

ふと思いついた言葉を遮ったのは下階から聞こえてきた物音だった。がたがた、聞き覚えのある危険な音に田舎魂が警鐘を鳴らす。デジャヴである。
誰か来たな。呟いた岩泉くんに頷いて、その手に無事タッパーが渡ったことを確認し、行ってくるねと断って急いで玄関口に向かった。このままではあの木枠のおじいちゃん引き戸の寿命がさらに縮んでしまう。

「待って待って、すぐ開けます!」
「!」

扉の向こうの人影は弾かれたように戸から手を離したようだった。大層驚貸せてしまったらしい。申し訳なく思いながら、つっかけ(この前玄関用に買ってきた)を履いて戸口へ走る。擦りガラス越しの背丈は私よりは大きいが、男の子のシルエットではなさそうだ。
そう言えば前に大家さんと話してた時、今年は私を入れて四人の寮生が入ると聞いた気がする。であれば彼女(推定)で最後の一人が揃うことになるのか。でももう三月も末だよな、入学式まであと一週間ほどで入寮って結構タイトなスケジュール…。
なんて思いつつこれも惰性だけで鍵を開け、敷居のゆがみを気にしながら戸を引く。

「すみません、ここ滑りが悪くって…」

もしかして新しい寮生さんですか。聞かんと目を上げた瞬間、準備した言葉が吹っ飛んだ。

「How beautiful…!」
「…え?」

吹っ飛んだ代わりに出てきた言葉がウォール言語さえ超えてきた。進撃の美女現る。即開門の大歓迎。
すらりとした上背のあるシルエット、黒々と流れる黒髪は艶やかで、白く透ける絹肌とのコントラストが美しい。その端正な顔立ちには涼やかな瞳と通った鼻筋、形の良い唇が完璧な黄金比で並んでいる。

淡いブルーのトップスもほっそりしたくるぶしを覗かせる白のパンツもウニクロ調の無地のそれだが、とにかく素材がいいからよく映える。青城のマドンナと名高かった阿吽の幼馴染の彼女も大層可愛らしかったが、彼女がアイドル顔負けにキュートなのに対して、目前の美女はそこらの女優が裸足で逃げ出すレベルでビューティだ。

東京にゃあ別嬪さんがようけおるけえね、とほのぼの言ってたばっちゃんにへえそんなもんかあと軽く頷いてただけの自分を助走つけて殴りたい。なんでもっと心の準備をしなかった。美人はテレビの向こうにしかおらんと思ってた自分はとりあえず処す。

「首都やべえ…!」
「…あの…?」
「気にすんな、実害はねえ」
「「!」」

またもデジャヴである。いつの間に降りてきていたのか、呆れ混じりに言った岩泉くんの登場に、しかし私以上に驚いたのは美女のほうだった。大きく揺れた肩と瞳が、私の肩越しに岩泉くんを捉えるのがわかる。一瞬の緊迫、言葉なく身構える様に、私は――そしてもちろん岩泉くん自身もちょっとたじろいだ。またも随分驚かせてしまったみたいだ。

ああ、けど確かに彼は平均以上の上背もあるし体躯も逞しい。話せば大層心根の良い好青年なのだけれど、ちょっときつめの顔立ちと飾り気のない口調は、初対面の女の子(それも東京の美人のお嬢さん!)には少々威圧的に感じられるかもしれない。

しかし彼の人徳は周囲に気付かれず埋もれるようなレベルじゃない。その一本筋の通った男前具合は私なんぞが今フォローせずともいずれ早々わかることだろう。私は緊張を隠しきれない様子の美女に、なるべく親しみやすいように笑いかけた。

「今年から一回の汐崎灯です。こちらも同じで、岩泉一くん」
「、…橘亜紀です」

なんてこった、お名前まで美しかった。美女やべえ。頭の中の汐崎さんが万歳三唱し始めた。いや誤解だ、これは美しいものに対する敬意なんだ、待ってまだ変態の称号は欲しくない。

「部屋番号は聞いてる?」
「あ…一応は」
「じゃあとりあえず…あ、荷物」
「上だろ?任せろ」

からり、大きく戸口をあけた岩泉くんが美女…橘さんの背後に見えた大きなキャリーケースに手を伸ばした。その横にはこれまた大きなボストンバックと紙袋が二つ。確かに大荷物だ。私もボストンバックに手をかけると、橘さんは戸惑った様子で身じろいだ。

「あ、あの」
「?あ、壊れものとか入ってたり?」
「…いえ、あの…でも、わざわざ」
「一人じゃ結構往復することになんぞ。迷惑じゃなけりゃ甘えとけ」

多分相当重いに違いないキャリーをひょいっと抱え、岩泉くんが階段を上ってゆく。ボストンを背負い、紙袋を手に取って橘さんをふり向いた。そして思わず悶絶した。くうっ…何度見ても麗しい…!

「あっと、二号室だよね?」
「…なんで…」
「女子は一・二号室なんだ。私が一だから、そうかなって」

あっなのでストーカーじゃないです…!と若干蒼くなって弁明すると、ぱちくり、けぶるような長い睫が大きく瞬く。不意に幼さを帯びる面立ち、それからふっとゆるむ唇と、和らいだ目元が小さな笑みを作る。

「…ありがとう。でも、紙袋は持たせて、両手が空いてるから」
「アッハイ」

美人の笑みには逆らえない。私は両手の紙袋を彼女の白い手に託す。そう言えば朝早い到着だが、朝ごはんは済んだんだろうか。

「橘さん、朝ごはん食べた?」
「?新幹線で、簡単に…」
「そっか、ならよかった」

不思議そうにする美女に「朝ごはんは大事だからね」と頷けば、「…そうね」とだけ短く返ってくる。伏せられた目元の美しさ、そこにふと過ぎる影に目をしばたくも、橘さんは次の瞬間には涼やかな表情に戻っていた。頭の中の汐崎さんが珍しく真面目に首を傾げる。時折私より優秀な嗅覚を持つ脳内の住人はしかし、彼女が相変わらず絶世の美女たることしかわからないようだった。残念ながらこれがデフォルトである。

180926

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