いつだって大真面目

「この世って残酷だよねえ」
「何が?」
「俺みたいな麗しの美青年じゃなくて、あの朴念仁に脳筋ゴリラ足して二で割らずに二乗したような岩ちゃんに、まあ多少ネジは飛んでるけど?あーんな良妻賢母確定系女子が見つかるってさあ、不公平が過ぎると思わない?」
「おう花巻、ちょっと脇退いてろ。そのヒヨコ頭ぶち抜いてやる」
「エッ何してんのはじめくん人参がもったいないだろ!そいつだって頭蓋に投擲するために円錐形に生まれてきたんじゃないんだぞ!」
「汐崎ちゃんもうちょっとフォローなんとかなんない???」
「ツッコミどころが多すぎてボケが大渋滞」
「もはや名物だな」

お百姓さんの苦労をなんだと思ってんの!と説教をかましながら渾身のジャンプを繰り出し、発射体制に入っていた人参を取り戻す。迅速に乱切りすれば恨めしげな睨みが一つ。お黙りなさい相手は根菜ぞ。食べ物を粗末にしちゃいけん。

「ていうかせっかくなんだから、はじめくんもみんなに混ざってこればいいのに」
「やだよ面倒くせえ。つーかちょっと前に会ったろ」
「えっゴボウの皮剥く方がめんどくない…?」
「そういう面倒じゃねえよ」
「?」

東京に戻って一週間。予定外の宮城逗留のために、正規のお盆休みを一週間近く自主延長してくれていたはじめくんと黒尾くんは帰寮次第すぐに練習に復帰。遅れを取り戻すべく練習に励む二人の履修や単位計算を手伝いつつ、自分の履修とバイトと炊事と、帰省の間家庭菜園の世話をしてくださってた大家さんにお礼をと駆け回っていれば、後期の授業開始まではまさにあっという間だった。

授業の本登録も済み、ようやく人心地ついたのが10月末。相変わらず目の下にクマをこさえて大学に出てくるみっちゃんの連絡によれば、亜紀さんの実家を取り巻く壮大なあれこれの事後処理はやはりというか現在進行形で真っ只中らしいが、曰く、「これはウチの問題や」。

東京に戻ってすぐ出頭、応じた事情聴取が一通り済んでしまえば(それもやはり南家の根回しだろう、当事者の亜紀さんへの聴取さえ、事情の聞き取りというよりは既に判明した事実の確認作業に近かったようだ)、なにぶん亜紀さんのおばさま・楓さんが帰国するのは11月以降。法的なあれこれを詰めるのはそれからである以上、私ら含め亜紀さんサイドに出来ることはない。

「なんもせんでええから、大人しゅうしとけ」と釘まで刺されて言われれば、大人しく単独行動を慎み、周辺を警戒、防犯グッズの収集、そして相変わらずうどんばっか啜ってるみっちゃんにお夜食を押し付ける他なすべきことは見当たらなかった(「最後、最後のだけ余分やねん」という声は黙殺する)。

その甲斐あって取り戻された日常は概ね夏前と変わらぬテンポで、ようやっと一息ついた頃合いを過たず見計って訪問してくれるんだから、青城同期レギュラー陣はマジで精神年齢over20sだと思う。この辺の平均年齢どうなってんの?少子メンタル高齢化なの?

「お邪魔しまーす!」
「おーやっくん!バイトお疲れ〜」
「残業逃げてきた!汐崎さんこれ、冷蔵庫につっこんどいて」
「うわーお気遣いを…!今日ケーキ見るの三つ目だわ…!」

みんなナチュラルに手土産持ってきてくれるモンだから、普段漬物だの煮っ転がしだのが鎮座してる冷蔵庫が局地的にパティスリー化しつつある。お前にも春がきたのね…と華やいだ中身に微笑みつつ頷いていたら背景で夜久くんと黒尾くんが「これ何スマイル?」「冷蔵庫への労い」「???」というやりとりをしていた。黒尾くんはいつの間にカウンセラースキルカンストに加えてエスパー属性まで会得したの?

「中身なんだ?」
「アップルパイ。研磨、あ、後輩な、そいつが好きなヤツなんだよ。黒尾の幼なじみの」
「…、ああ、あのプリン頭のセッターか」
「待ってパイなの?プリンなの?」
「プリンは俺の幼馴染みだな」
「エッじゃあ黒尾くん実は羊羹か何かなの…?そのトサカは餡子だった…?」
「「「ブッフォ」」」
「お前の脳味噌こそゼラチンなんじゃねえか」
「You got a red card. Get out of the holy kitchen.」

気心知れりゃ何言ってもいい訳じゃねえぞ。頭の中の汐崎さんが中指立てて目え向いてた。オイそれはやめろマナー違反。しかしモブにだって人権があるので、改善の気配を見せない辛辣mouthは台所から追放した。何が面倒なのかは知らんが、大人しく居間でご友人と歓談してこい。

「えっ黒尾ナニ今の空耳?」
「ああ、やっくん初めてだっけ。これでパスポート持ってねえんだぜ」
「渡航履歴ねえの!?」
「俺も思ってたんだけど、ねえマッキー、汐崎ちゃんのアレって高校ンときからなの?」
「おう、英語のネイティブのセンセーなんか感動していっぺん泣いてたぞ。イギリス生まれでさ、ジャパンはアメリカ英語しか教えねえから母国のアクセントが恋しかったんだと」
「えっでも汐崎サンの、普通にアメリカ発音でない?」
「アイツのばあちゃんが本格派でクイーンイングリッシュ喋ンだよ。それで何フレーズかは完璧にイギリス英語でいけるらしい」
「お?言わんかったっけ、うちのばっちゃま、結構やんごとねえ家の生まれで、昔じゃ珍しい留学もしてるんよ」
「何それ初耳」
「やんごとないって言うと、まさか華族とかそういう?」
「そう、そんで外交家系。んだけど、見合い蹴って駆け落ちして宮城にドロン」
「「「何それ初耳」」」

うちのばっちゃまはホワホワ系に見えてゴリゴリの行動派なのだ。お父上は当然激怒したそうだが、蝶よ花よと育てられた一人娘のばっちゃまは誰に似たのか大層肝が据わっていた。
都会育ちに務まるものかと実家はタカを括っていたが、お貴族生まれのはずのばっちゃまは単身飛び込んだ(嫁ぎ込んだ?)東北の田舎暮らしをハートフル大enjoy。そろそろ頭も冷えたろうと宮城へ偵察に送り込まれた執事は、もんぺに足袋に手拭いかぶってちゃきちゃき田植えするばっちゃまの姿に卒倒しかけたという。

「じゃあ、宮城はおじいさんの故郷だったんだ」
「そうなの。じっちゃま、家は貧しかったけど勉強ができたから、上京して下宿しながら学校に通ってたんだと」
「つまりその下宿先が?」
「ばっちゃまの実家の、お隣のお屋敷」
「「「ロマンがすげえ!」」」
「だべー?」

ワッと盛り上がる皆にころころ笑っていると、冷蔵庫からお茶を取り出しにきていたはじめくんがふと尋ねた。

「じいちゃんは、その後?」
「ん、病気でね」
「…そうか」

新婚生活は5年もなかったそうだ。飛び出したとはいえ一人娘だ、跡継ぎも欲しかったであろう実家は東京に戻るよう説得したようだが、ばっちゃまは幼い一人息子(後の私の父ちゃんだ)と共に、じっちゃまの生まれ育った地に根付き、宮城に骨を埋める決意を固めていた。

「苦労しただろうな」

抑揚の少ない声が言った。思わず調理の手を止める。彼お馴染みのあっさりとした口ぶりだ。でも、被せたもののない滲みるような労い。
彼を見上げる私を気にした様子なく、はじめくんは麦茶片手に居間へと戻っていった。

飾らない言葉には裏表がない。取り出したままの温度がわかるから、はじめくんの言葉は心に馴染む。
この人のこういうところも、きっとばっちゃまは気に入ったに違いない。

ずらりと並んだ発泡スチロールのトレーから陶器の大皿へ刺身の合わせを移し盛る。箸休めの酢の物は今朝作ったのが残ってるのでそれを。冷蔵庫にてわさび醤油に漬けたマグロの切り身を取り出し、ありがちだがアボカドと手早く和える。

出来上がった皿は片端からはじめくんが運んでくれるので、台所前のカウンターは常に更地だ。キッチン追放令を律儀に守ってくれるらしく、冷蔵庫からものを取り出す以外、彼は給仕に徹することにしてくれたらしい。

さて、別で買った鯛のお刺身は最後の締めの茶漬けに使おう。薬味は盆に揃ってるし、出汁は後でいいか。それより先にだし巻き。今日も出汁が火を噴くぜ!

「で?そういうお前らはいつから付き合ってんの?」
「あ?」

うん?
一頻り落ち着いた話題が方向転換したらしい。明らかに台所に向かっての声に顔を上げたら、何故か言い出しっぺの花巻が私の方を見てニヤニヤ笑ってた。その前ではじめくんが死ぬほど面倒そうな顔をしている。えっ何どういう状況?

「待って当てる。ベタに京都旅行中!」
「清水の舞台で愛を叫ぶ的な?」
「あれ自殺の名所じゃなかったっけ」
「やめろよ昔の話だろ」
「阿吽の片割れの見解はどうだ?」
「ええ、俺え?」

本日も本日とて麗しく整った顔立ちの、ヘーゼルチョコレートのような瞳がちらりとこちらを伺い見る。私が見るのは珍しい表情だ。基本が余裕綽綽にキメてるorキラースマイルwithレフ板か、はじめくんにボッコ(メンタル時々物理)にされて残n…げふんげふん、親しみやすくなってるかが相場の及川くんには余り見ない、ちょっと扱いに困ったような顔である。

なんだか知らないがこの麗しの美形に困り顔をさせているのが己であるらしい事実に、頭の中の汐崎さんが両手を差し出し捕縛待ちに入った。許せ、自然の摂理だ、この人まじ黙ってたら顔面偏差値75なんだぞ。モブ有罪の道しかない。

「そもそも確認なんだけど、汐崎ちゃん」
「うん?」
「岩ちゃんと付き合うことになったの?」
「Huh?」

じゅう。

「待ってタンマ、Let'sスーパーだし巻きタイム」

お話中大変申し訳ないが、今はあっつあつに仕上がったフライパンが優先ということで一時離脱。
流し込んだ溶き卵がだし巻き用フライパンの上でいい音を立てた。試合開始のゴングである。だし巻きは時間が勝負だ。精神統一、いざ尋常に。

菜箸でひらり、黄金のベルベットを翻し、焼き色が付く前に綺麗に巻き上げる。追加の卵。フライパンを手首で返し、……良い良い良い、やわやわのぷるっぷる。

中身は余熱で。素早く火から離し、つけ合わせを準備する間ステイ。竹の葉を模した長細い盛り皿にそっと寝かせる。丁重に切り分け、大根おろしとネギを添えて、えっ我ながら完璧すぎん?

「ちょっ見てmyだし巻き今世紀最高レベルの出来栄え」
「うっわマジだ美味s…じゃなくてな」
「え、ダメなの?ふわとろよ?」
「いやそれはわかるけど、めっちゃ美味そうなんだけどそこじゃなくてな!?」
「Ah-huh?」
「無駄に発音良いのがハラタツ!!」
「灯」
「お?」

胡座をかいた低い位置から、斜め上に掬い上げるような視線が、皿片手に立ちっぱなしの私をひたと捉えた。

体は直角、ほとんど流し目。真正面から向かわないのに、彼の猫目はどういうわけかいつも真っ直ぐこちらを射抜く。
時間にすれば多分2秒。どうとも読めない眼差し相手に瞬き3回したところで、出し抜けに彼は言った。


「お前、俺と付き合う必要あるか?」


1カメ、2カメ、3カメ。

なぜか彫像の如く凍りついた卓袱台周りの面々が肺呼吸維持してんのか若干心配にならんでもなかったが、とりあえず2秒考えた。そして言う。


「いや、特には?」


卓袱台周りの平均身長オーバー180ズ(目測)が凄まじい形相でこちらを振り向いた。ものすごいシンクロ率である。エッそんな目ん玉見開いて大丈夫?花巻と松川くんはいいとして、夜久くん特に落っこちない?ぽろっと目ん玉いっちゃわない?

「そういうことだ」

頭の中の汐崎さんが夜久くんのおめめ落下危機に右往左往していたら、無造作に伸びてきたはじめくんの手がだし巻きの平皿を取り上げていった。アッ助かるそれ見た目はいいけど安物だから重いんよ、実はそろそろ手首痛かったンよね。

端っこを口に放り込んだはじめくんの、「うお、マジだ、超美味え」というゴーサインに「そうじゃろうそうじゃろう」と満足して台所に戻れば、どういうわけか急速冷凍されてたオーバー180ズが光の速度で解凍からの白熱の追撃をかましてきた。

「ちょっっっと待てェ!!」
「やめとけ花巻、及川を見習え!これ以上踏み込むと正気を失うぞ!」
「うるせえ松川!!こんな奇形リア充野放しにしてられっか、生態系崩壊すんぞ!!真っ当に恋愛してる俺らが死んじまうだろうがッ!!」
「やめときなマッキー、突っ込むだけ深淵」
「エッ何今のどういうこと?宮城のダンジョコーサイ高度過ぎない?」
「やっくん落ち着いて、これが標準だったら宮城は今頃日本やめて独立してる。それか爆発四散して存在してない」
「選択肢が戦慄のデッドオアテロリズム」
「俺らのが爆発四散しそうだよ!!」
「お前ら食わねーのか」
「「「食うけど!!?」」」

今日も美しいユニゾンである。仲良きことは美しきかな。

氷を落とした麦茶を運んで、ちゃぶ台の端にお邪魔する。座布団に膝を揃えると同時に、隣に座るはじめくんが炊き立てご飯のお茶碗を差し出してくれた。お礼を言ってお茶を渡せば、受け取るなり喉を鳴らして半分ほどが空けられる。テーブルに置かれたグラスにお茶を継ぎ足している間に、はじめくんが刺身を取り分けてくれた。あ、サーモン多め。

「好きだろ」
「ウン、好き」

お味噌汁を啜るはじめくんの、きりりと吊った猫目の端が淡く弛む。
胡座をかいた彼の膝と、正座の私の膝がこつりと触れた。ずらそうと思えばそうもできたが、何も言わずにお箸をとる。

そこまでして、ふとイヤに静かな食卓に気付いて顔をあげた。平然と食事をする黒尾くんと、呆れたような及川くんの笑みはまだ良い、可愛いお顔立ちで豪快にドン引きしてる夜久くんと、揃ってゲテモノを見る目をしている花巻・松川ペアはなんなんだ。もしかして卵焼きは出汁よりお砂糖派だったとか?ごめんねウチ元祖出汁派なんよ、これ汐崎家の鉄則。ここでのお砂糖入り担当は黒尾くんなのでリクエストは彼によろしく。

「いやもう俺わかんねえわ…付き合うって…付き合うってなんだ…?」
「やばい花巻、俺を殴れ、だんだんこれが正解に見えてきた」
「やめろこれが正解だったら俺は一生恋愛できる気がしない」
「被害甚大、死屍累々だな」
「逆に黒尾と及川はなんでそんな平然としてんだよ…」
「慣れだな。会った頃からこんな感じだった」
「うーん、俺もそれはあるけど……ね、汐崎ちゃん」
「ウン?」
「汐崎ちゃんはさ、岩ちゃんと恋人同士になりたいとか思わないの?」
「?」

なんだかさっきも似たような質問をもらった気がするんだが、さっきの返事じゃ不足があったんだろうか。…いやわかってる、わかってるよこれそういうシーンなんだろ?こう…ラブオアライク的なアレなんだろ?それは空気読めてん…エッ違うのマジで?そしたらもうお手上げだよ一体何がこのスーパーウルトラ超美形を困り顔にさせてんだよ、マジで腹切る5秒前!

私は及川くんのちょっと困った笑みに弱い。単純に顔がいいのもあるが、基本的に女の子には下手に出る彼の気遣いは、私にはちょっとむず痒いのだ。ので、とりあえず無い頭を絞って考えてみる。いや比喩じゃない、マジでこの手の話題に適応したニューロンが私の脳には皆無なのだ。

「うーん…うーん…?いやわかる、世間一般ではそれが普通なんだってのはわかるんだけどね?」
「あ、それはわかるんだ」
「一応下界の常識はわかってるんだな…」
「むしろわかってんのにコレなのか」
「やっくん諦めろ、この宮城だけ時空ズレてる」
「さっきからスルーしてるのいいことに君ら言いたい放題ね???」

えええいちきしょうこっちだってなあ、わからんとこ分からんなりに脳細胞絞って考えてんだぞ!耳から脳髄出てきたらどうしてくれんだよ訴えるぞ!ていうかはじめくん食べてないで弁護しておくれって、え?揚げ出し美味しい?それはよかったよありがとね!


「なんていうか、うーん…そういう肩書きっていらんでしょう、ここでみんなで一緒にいる分には」


そう、それがしっくりくる。ここは寮で、引き続きみんなここで暮らして、一緒にご飯食べたり焼き芋焼いたり夜中までレポートに頭悩ませたりして───ここでの毎日はそういう始まりで、私たちの関係はの基盤はそこにある。

つまり、ここはテラ◯ハウスじゃないのだ。惚れた腫れたに依存しない、ラブオアライクの諸々が前提に計上されない空間。
逆に言えばその諸々によって、この何気なく見えて極めて得難いバランスが、いともたやすく瓦解しうるということでもある。

口に出して部内ならぬ寮内恋愛禁止ルールを打ち立てたわけじゃない。でも多分、恐らく亜紀さんを除く私たち三人は、無意識だろうが何だろうがどこかで諸々を天秤にかけた。そして選んだのだ。

今の関係に、リスクを冒してまで名前をつける必要はない。


「人が人を大事にするのに、肩書きってそんなに必要なんかね」


これは私の持論だ。そしてそれが世間一般じゃ暴論扱いで、到底罷り通らないことは自覚している。

人は名前のついた関係を欲しがる。実際大抵、その方が生産的で安定するからだ。互いに対する責任が生じ、意識の線引きも明確になる。

でもいつでも白黒はっきりさせて、何でもラベリングすればいいかと言えばそうじゃないはずだ。

私に関してはガラじゃないとか、その程度の話だから構わない。
でも、亜紀さんは違う。彼女の抱える難しさ、置かれた足元のバランスには、ガラとか好き嫌いとか向き不向きとか、そういう次元じゃ片付かないものがある。

表向き穏やかな日常の中、すっかり元通りに戻って見えるのが形ばかりであることに、気づかないほど呑気ではいられない。
詰まるところネックはそこだ。そしてそこに、これまでそうしてくれてきたの同じように、二人は黙って歩調を合わせてくれた。

今も本当は極めて不安定なところにいるはずの彼女のために、名前を、変化を要求したりしないのだ。

「だから私、はじめくんと黒尾くんには、すごく感謝してるの」

いつの間にか箸の止まった食卓はしんと凪いでいた。何とも言えない顔で、あるいは神妙に、だがどれも結局穴が開くほどがっつり見つめられ、思わずたじろいだのも致し方あるまい。
思わず泳がせた視界の先、美しいヘーゼルの瞳がふと和らぐのを見る。瞬き二つ、及川くんは黙りこくった皆へどこか誇らしげに言った。

「ま、そういうことだよ」

黒尾くんが居づらそうに身じろいだ。「別に、そんな深く考えてるわけでもねえけど」と肩を竦める彼を他所に、「何でお前が自慢げなんだ」と通常運転のはじめくんがしっかり及川くんにツッコんでいく。私は大人しくだし巻きを頬張りながら、腕時計を確認した。さて、亜紀さんのバイトのお迎えに出発するまで後30分。

……エッ待ってもしかしてコレ墓穴?墓穴ofシリアス掘った感じ?ええええやめろよ寝た子起こしたみたいな空気!
頭の中の汐崎さんが哀れみ顔でこっちを見てた。ちょっやめろマジ、マジやめろ。


200809

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