雪のち晴れ、冬のち春

竹中陽仁は旧家・南の分家、竹中家の当代次男として生を受けた男である。

系図によれば株分けは江戸中期。遡れば300年ほど南に仕えてきたことになる。分家ではあるが、竹中家も相当の旧家である。

とは言え南家と違い、竹中の家は古い慣習を重んじるでも、老舗の看板を守る重責を負うわけでもない。江戸の時分は分家らしく本家にがっつり仕えたようだが、時代が移って以後、南は竹中に時代錯誤な奉公関係を要求しなかったし、竹中も商家の分家らしく気風からビジネスライク。持ちつ持たれつで現代に至っている。

従って南と違い、跡取りだのお世継ぎだの、ここは江戸かと聞きたくなるような話は竹中家には存在しない。ゆえに竹中は自分の家を、ちょっと余所より家系図が長く(N◯Kのfamily historyなんかに出ようもんなら拡大スペシャル3時間枠確定)、手広く事業を展開するドエライ旧家と代々の関わり(とそれに付随する就職口)のあること以外、普通の一般家庭だと認識してきた。それは一般家庭とは呼ばねーよとツッコまれるまでがワンセットである。

そんな竹中家に生まれた当代の次男坊たる竹中陽仁が、南の次代当主のお目付役に初めて抜擢されたのは、遡ること数えで17になる年の春である。

誤解なきよう言っておくと、決して竹中が江戸の先祖返りを起こした忠義に厚い青年だったのではない。南の一事業に勤める叔父から、春休みの小遣い稼ぎに“家庭教師“をしないかと持ちかけられたのである。

思えば当時、歳の離れた長兄はすでに南とは関係のない職についていた。竹中家は男・男・女の三人兄妹。竹中出身の手頃な男子をあわよくば引き抜いておこうという、南側の意図もあったのだろう。

そんな親族同士の計算など露知らず竹中青年が赴いたバカでかい日本家屋の、これまただだっ広い和室に鎮座していたのが、何を隠そう南家四女、数えで8つになる雅火であった。

一回り離れた本家筋の四女が、兄姉どころか婿養子の実父すら差し置いて、わずか6歳で時期総代に定められたという話は、当然竹中家にも届いていた。いや届くどころの騒ぎではない。何せ前代未聞の天変地異、100年に一度起こるかどうかの大事変である。耳を疑う一報に全国に散った親族郎党が飛び上がり本家に集結(これが俗に言う『南ダヨ!全員集合!』事件)、これまた100年に一度行われるかどうかの大一族会議が勃発したのは知られた話だ。
当然竹中家も陽仁の父が家長として出席。激震の走った阪神地域の経済界が、息を殺してこの大家族会議の動向を見守ったというのは今でこそ笑い話である。

今でこそ、というからには無論、当時は笑うどころではなかった。そしてその大激震からわずか2年足らずだ、竹中青年でもさすがに察せる、南の本家は荒れていた。よもや並の荒れ方ではない。大時化を通り越して大氷河期。それはもう殺伐としていた。

これも今思えばだが、騒動の渦中にあった幼き時期当主のもとに竹中青年が送り込まれたのは、雅火の身を案じた南家の一部(及び竹中家)の人間の差し金だったのだろう。
恐らく当時雅火には、暗殺の危険すら及んでいたのだ(そんな現代版犬神家にいたいけな甥(will be 17)を投げ込む叔父の猟奇性たるや訴訟案件)。

そも、ここ100年で当代最高と言わしめた現当主をもってして、わずか6歳にて時期当主せしめられた幼子である。地元でそこそこの進学校に通う程度の竹中青年が“家庭教師”をする必要など皆無だ。“遊び相手”などもっての他。目的はもっぱら目付役。

しかし基本がビジネスライクでドライな竹中家の、後継候補としては二番手の次男坊で、さらに言えばインテリ頭脳派の対極をゆく体育会系脳筋派たる陽仁が、3世紀越えの妖怪じみた旧家に巣食う魑魅魍魎どもの駆け引きに気付くわけもなく。

『オイ親父なんやアレこの世にあない可愛げのないガキが存在しとってええんか事故やぞサイボーグやろ道頓堀のくい◯おれ太郎のがまだ生気あんぞ!?』

というのが、家庭教師初日の帰宅直後の竹中青年の第一声(ノンブレス)であった。


南雅火はそれはもう、それはもう最高度に気持ちの悪い子供だった。暴言じゃないマジである。今言えば殺されそうな感想だが、竹中青年は嘘をつけない性分だった。

まず頭が良すぎる。これは前提だが、それにしたって異常だった。
単に読み書き算盤に秀でているなどの可愛げのある話じゃない。講義には一流の専門家を呼んでの経済学に経営学、為替と株取引、FX投資に不動産、場合によっては実際に金を動かしての“実技科目“さえ行われたその英才教育を、8歳女児は淡々と“処理”してみせた。
あれは“学び”なんて高尚なものじゃない。今時のAIの方がまだ人間味を感じられるほど、常軌を逸して機械じみていた。

現当主の鬼才ぶりを転写したが如き飲み込みの良さと先見性、研究者肌の頭脳というより神託じみた天賦の商才。
幼子の範疇を逸脱した洞察と人間観察力には、祖父たる現当主に生写しの冷め切った冷徹が横たわっていた。

周囲は神童だなんだともてはやしたが、竹中は手放しで称賛する彼らの思考も異常だと思った。だってあれはサイコパスだ。暴言じゃないマジである。末恐ろしいことの何よりは、雅火自身がその年齢で、自身の異常性を冷徹なほど客観的に理解していたことだ。

これも今となってはだが、竹中も理解できる。雅火は子供でいることを許されず、許されなくなるより早く自主的に諦めていた。実父に憎まれ、兄姉に疎まれ、実母は子供に無関心、さらには親族郎党の激しい干渉。子供らしく遊ぶ時間も同い年の友人もできないまま、祖父の徹底した英才教育を受ける日々。まともな精神でいられたはずがない。


生きながらに死んでいるように見えたし、そのうち本当に死ぬんじゃないかとも思ったし、それ以上に恐ろしかったのは、生き長らえた先でまともな人間に育つ気配がまるでなかったことだ。

膨大かつ年不相応の課題を淡々とこなす雅火をただ黙って見守るだけの名ばかり家庭教師を務めながら、陽仁は一回りも年下の少女を確かに怖れ、心配した。

陽仁には妹がいる。歳の離れた末っ子の、甘ったれで可愛い妹だ。ゆえに、すでに化け物の片鱗を十分に見せていた雅火とて、忌み嫌うことはできなかったのだ。


その雅火を廃人ルート(サイコパス特典付き)から逸脱させ、真っ当な人間へ路線変更させた上で、件の彼女の従兄の功績は何にも代え難い。


『ほれ雅火、なんやお前、こんな天気ええ日までシケた顔しよって』

コドモがそんなムツカシイ顔すな、何がそんなに気に入らへんねや。


初めてその青年に会った時、陽仁は陽が差したと思った。

豪雪吹き荒れる暗雲をうどん屋の暖簾の如くあっさり捲って、毒気のない顔で笑った青年は、ぺかりと輝く太陽のようだった。


竹中青年の6つ年上、当時大学院一回生だったその青年の名は昴という。姓は雪原。響きは美しいが、名が体を表す、というタイプではなかった。冬の夜空を穿つ恒星というよりは、春霞の麗かな陽だまりのような青年だった。

雅火から見て母方の従兄、つまり南の血筋となる彼の生まれはなかなか複雑だった。雅火の母の弟を父とする彼は、愛人の子として生を受けていた。
本来であれば母共々厄介払いされたであろうこの青年が南の敷居を自由に跨げたのは、彼が雅火とは違う方向で、つまり学者肌のベクトルで非凡な才覚を有していたことが大きい。
南は古いが、良くも悪くも合理的な商家だ。優秀な人材の登用にあたって貴賤は問わない。それが分家の婚外子であってもだ。

現当主は息子の妾の子を疎まず、南家の孫として教育を惜しまなかった。昴青年にとってそれは幸運だったとともに、大きな苦労と犠牲ももたらした。本妻からの当たりは烈しく、彼の母は心労にて彼が16を迎える前に病でこの世を去っていた。

恵まれた育ちとは言えない出自だ。しかし昴青年は心底真っ当な真人間だった。その状況で一体何をどうしたらこう育つのか、純朴と善良がそのまま産道を通って生まれてきたような青年だった。
偏差値75の呼び声が一周回って罪深いほどネジの飛んだ緩い感性。善性が服を着てスキップしている抜けっぷり。喜怒哀楽の怒だけを刻んで味噌汁の具にしたような歩く空気清浄機。よもやあれもサイコパスか。暴言じゃないマジなのだ。

それでも彼は天才の類だ、竹中家の目としての牽制以外ほぼ役目のなかった陽仁と異なり、昴は文字通りの家庭教師として雅火に理数を教えていた。しかし彼は雅火に、机の上で解く問題は宿題にしか出さなかった。むしろ課外授業だと言っては、雅火をあちこちに連れ回した。

毎年長期休みに入ると社会見学はバラエティに富んだ。夜中の山間部に出向いて星の運行について解説し、魚を見るため水族館に、と思ったら「やっぱ実物やな!」と海に赴き、潮の満ち引きと波を観察した。厨房をこっそり借りてカルメ焼きを作ったし、近所の里山では山苺をしこたま摘んで酸っぱいジャムを作りもした。

庭先で花火をする時には光の色と化学反応を、駄菓子屋に寄り道したら原価と売値のあれこれを語り、豪奢な日本庭園の端にはプランターを並べ、異なる条件下で数本植えたプチトマトを毎日世話がてら観察させた。

名門大の薬学部を主席でパスした青年の授業は、筋金入りの体育会系たる陽仁でさえ引き込まれるものだった。
博学で見識が広いだけではない。昴の教えには常に、自然に対する敬意と人に対する愛があった。

昴は老舗の高級和菓子しか知らない雅火の口に10円グミを放り込み、人生初のセミ爆弾に凍りついた雅火を腹を抱えて笑い、熱で寝込んだ雅火には塩をふったスイカを手ずから食べさせた。
夜空に輝く星の消滅を人間が知るのは何万年後であることを語り、ウミガメの子供の生存率を計算し、陽光を奪われてなお生きようと足掻くプチトマトの苗の、健気な姿を神妙に見せた。

8歳の少女の隣に膝をつき、痩せぎすの薄い肩を優しく抱いて、昴青年が語ったのを、陽仁は今でも鮮明に覚えている。


『見てみ、雅火。お日さんがないとなあ、こいつも苦しゅうてたまらんねや。それでもこんなに頑張って、なんとか日の下に出たろて、茎も葉っぱも伸ばしとるんや』

立派やなあ。かわいそうやなあ。


慈しみに満ち、哀しみを秘めた青年の声に、突然、本当に突然、雅火はぼろりと涙をこぼした。
そのままプランターの日除をむしり取るように投げ捨て、葉色の変色したトマトの苗の鉢を抱え、自分の胴回り以上重たいそれを炎天下の庭先に引き摺り出した。


しなびた苗と一緒に照りつける太陽を浴びながら、雅火は日暮れまで鉢に貼り付いて離れなかった。

西陽に焼けて真っ赤になったうなじも構わず、発育不良の葉っぱの上でこんこんと泣き続けていた。


『いやなんでハルまで泣いとんねん』

雪原青年(23)は遠慮なく笑いながら、8歳児と一緒に号泣する竹中青年(17)に箱ティッシュを差し出した。体育会系脳筋派は自分で、“元“サイコパス予備軍は従兄の手によって、並んで盛大にチーンと鼻をかんだ。

発育不良のプチトマトはその後、実を結ぶまでに成長した。他の苗より小さいままだったが、真っ赤に熟れた実を一房つけた。
昴は渋ったが、雅火は最初の一粒を昴にやると言って聞かなかった。昴は雅火の頭をこれでもかと撫でて、『美味いなあ、今まで食うたトマトん中で一番や』と嬉しそうに笑っていた。

驚いたことに、雅火はこの苗から、自分が食べた二つ目の次、三つ目に熟れたのを陽仁にくれた。陽仁は特に意識していなかったが、海に同行すればクラゲに刺されて騒ぎ、山に行けばカブトムシを捕まえてはしゃぎ、駄菓子屋に行けば当たりくじを譲ってくれた陽仁にも、雅火は心を開いていたのだ。


『にいさん』

すばるにいさん。


雅火はゆっくりと人間性を身につけていった。取り戻していったと言ってもいい。
昴青年は忙しい学業の合間を縫って雅火を外に連れ出したし、会社勤めを始めて以降も陽仁とともに雅火に目をかけた。



雪原昴が27の若さで“交通事故“で死亡した時、竹中陽仁はかの少女が、もはや誰の手も届かぬ深淵に落ちるのを、否、自ら踏み込み邁進してゆくことを絶望的に確信した。


自分は昴にはなれない。
自分ではとても昴のように、雅火を良心につなぎとめてやれないことが、陽仁には痛いほどわかっていた。


陽仁は彼の死を知ったときの、通夜の、葬儀中の、雅火の姿を思い出したくない。忘れはせずとも、思い出したくない。


それでもこの最中、昴青年の葬儀に、南の分家筋たる北家が次期当主を伴い出席してくれたことは、最悪の不幸中における最大の僥倖だった。

北の当主たる老婦人は親交のあった昴青年の死を大層悼み、彼が一等可愛がっていたと知って雅火のことを心底憐んだ。
北の次期当主は雅火と同い年の少年だった。名は信介。礼儀正しく聡明な佇まいはどことなく雅火に似通っていて、けれど歴然かつ決定的な違いが受けてきた肉親の愛情の差異だとは見てすぐにわかった。

陽仁は遣る瀬無かった。己の無力が憎かった。白く眠る、もう一人の兄と慕った青年の死に顔に大粒の涙を落としながら、すでに大学生となっていた陽仁は誓った。
昴が愛しんだ少女を、昴には及ばぬ、しかし傘とも杖とも足でも良い、己になれる全てになって守ろうと誓った。


雅火は従兄弟の死に疑問を抱き、調査にのめり込み、やがて闇に葬られた真実の輪郭を掴み始めた。渦巻く疑念は逆巻く怨嗟に、喪失感は復讐心の劫火へと昇華した。

信介が雅火と同じ中学・高校にと進学したことは、竹中をはじめ雅火を案ずる一派にとって本当にありがたいことだった。北は多くに干渉しなかったが、雅火の危うさを察知し、実に的確に、時に強引にでも雅火を人の道に引き戻してくれた。物事を穏便に、正攻法で扱うためなら、北家のコネを用いることさえ許した。

『昴さんには、俺のばあちゃんが世話になりましたから』

それに、身内からアサシン出すわけにはいかへんでしょう。

薄く笑んだ北少年に、竹中は苦笑しか返せなかった。殺人者でなく暗殺者と評するあたり、信介は雅火の特性をよく理解していたと思う。

雅火は中高の六年を注いで証拠を集め、人脈を駆使し、虎視眈々と仇敵の首を狙い済まして刃を研いだ。そこには、北の真っ当なブレーキがなければ文字通りの命を脅かすものとなったであろう、冷え切った殺意が漲っていた。

見識を広めたい。現当主に直談判し、望めば入れた一流大の合格通知を蹴って、雅火はありふれた中堅私立を選んだ。下宿暮らしをし、生活費を自分で賄うことも社会勉強になろうというのがその建前だった。

当主が雅火の目的を見抜いていなかったとは思わない。ただ、橘はもともと商売敵だった。当主が雅火の動きを黙認していたのは、従兄を奪われた孫娘の悲哀と怒りに同情したからでは決してない。彼はこう言ったと聞く。

“アレも19だ。実地訓練には丁度よかろう“。

あれが本当のサイコパスだ。暴言じゃない、これこそマジだ。上場企業の転覆を社会経験代わりにさせるなど、倫理も道徳もあったもんじゃない。
現当主たる雅火の祖父が、雅火を孫娘として扱ったことなど一度もない。彼にとって雅火は終始どこまでも、“南の次期当主“でしかなかった。

竹中は雅火の上京には複雑な気持ちでいた。家と距離を置けるのは良い。だが目的が目的だ。その上雅火は同行する目付役を最小限に絞っていた。
竹中は神経を擦り減らした。学友も作らず、十代の青春を復讐に費やし、持って生まれた苛烈な気質に拍車をかけてゆく少女の行く末を懸念した。

サイコパスフラグの復活と化物の誕生を恐れたのではない。竹中はあの夏の、しなびたトマトを抱えて泣いた少女の背中をよく覚えている。


永久凍土に似た冷徹のうちに眠りながら、雪原青年という陽光を浴びて芽吹いた雅火の心が、かつてを超えて垂れ込める復讐の濃い闇の下に枯れ果てるのでないか。

それでは雪原青年が、彼女を慈しんだあの善良な青年が、あまりにうかばれないではないか。


だから心底驚いた。

七年閉ざされた猛吹雪の雅火の空に、その陽の光はひょっこり差し込んできた。


「みっちゃーんお芋焼けたよー!ほくほくよー!」
「は?タイム、チェンジ、デカすぎる」
「まァァたそうやって息するようにエンゲル係数下げよって!ダメですうみっちゃんは一番太っちょのお芋を食べるんですう」
「やめえ押し付けんなアッツイやろが!」
「灯ちゃん、スイートポテト冷めたよ」
「わーありがと亜紀さん!良かったねえみっちゃんポテトお食べ、その間に焼き芋もいい具合に冷めっから」
「そういう問題ちゃうねnもがッ」

そう、この雅火の険悪さをものともしない肝の据わり方と、それを通り越しててんで話を聞かないスタンス。

人を疎まず、憎まず、怒りに遠く、疑うことを知らない純朴さ。脆く見える善良と無垢を裏打ちする、一筋縄では折れない強さ。とことん人を許す寛容は、深い愛と痛みを知っている。

雅火が懐くのも当然だ。
どうにもダブって見えるのだ、この宮城の少女は、あの青年に。

「竹中サンもどうすか」
「、ああ、すんませんなァ」
「いえ」

灯と同郷の青年が、渋い陶器の皿に盛り付けたできたてのスイートポテトをコーヒーと共に盆に乗せ、竹中の腰掛ける縁側に置いてくれる。そのまま隣に座った彼は一方、焼き立てのサツマイモを豪快に真っ二つに割った。
ふわり、甘い香りが湯気とともに秋風に乗って流れてくる。街売りではお目にかかれない黄金色の断片に、ふうふう息を吹きかけて、実に旨そうにひとかじり。
その精悍な横顔の猫目が、竹中の視線に気づいて言う。

「半分食いますか?」
「いや、さっき頂いたんです。お先でした」
「そうすか」

竹中は庭先の落ち葉焚きを囲んであれこれ喋る年若い主人と、彼女に最近できた新しい学友に目を移した。
京都では大層お世話になった、ささやかだが焼き芋パーティに参加してほしい。そう連絡してくれたのがこの焼き芋奉行、汐崎灯である。

夏の一大事の事後処理はまだまだ半ばだ。流石に全員参加とは行かなかったが、灯たっての希望で、竹中のみならず他にも数名、雅火の部下がお呼ばれしている。寮母を手伝い落ち葉を集めて焼き芋第二陣の支度を手伝う者もいれば、縁側にやってきた猫を膝に焼き芋を頬張る者もいる。灯はその一人ひとりに、淹れたての茶を振る舞っていた。


雅火の上京に合わせて東京に移動した数少ない部下の筆頭たる竹中の、随一の懸念事項は年若い主人の食生活だった。何せ食に対する欲も関心も欠いて生まれた超低燃費体質。ただでさえ小さい胃袋の偏食家にまともな食事を取らせるのは至難の業というのに、数を絞られた部下に振られる仕事に忙殺され、これまで焼けた世話も焼けない。

そのうち本当に倒れるぞと冷や冷やした部下一同だったが、しかし意外なことに、雅火は毎年ダウンするはずの5月の暑さを乗り切った。新生活を始めてすぐ、健康優良児でも体を壊すことのある難局を一体どうして乗り越えたのかと、密かにキャンパスに忍び込んだ部下の一人(童顔)は目撃した。

あの頭のキレすぎる苛烈な主人が、食堂でまともな食事をとらされている。なんの変哲もない女子学生に。

部下一同は耳を疑った。霞でも食って生きてんのかと聞きたくなる彼らのお嬢が赤の他人に強要されて食事を取るはずなかろう人違いだ。しかし部下(童顔)は言い切った。あれはお嬢である。すだちのうどんが乗っただけのトレーに、やれ肉を食え野菜を食えと二つも三つも小鉢を増やされ、あまつさえ手製と思われるデザートまで差し出されながら、結局逃げずに完食していたというのである。

なんだその女子学生は。あのお嬢を従えるとは何者だ。女傑か修羅かはたまた鬼か。否、よもや橘の手の者で、お嬢の弱みを握ったとか?不穏分子だ、素性を調べろ。場合によっては排除も厭わん。

しかし素性も何も醤油である。人畜無害の権化である。あらぬところで黒幕扱いされかけた灯は、完全に非合法の監視にまるで気付かず通常運転の生活を送った。つまり、真面目に授業を受け、勤勉にバイトをこなし、堅実にスーパーで買い物をして、手製の弁当を旨そうに頬張り、麺類ばかりすする雅火に小言を言って副菜を食べさせ、うっかりコーヒーをぶちまけては半ベソかいて雅火のハンカチの世話になった。中盤BBAで終盤ょうじょ。アレなんて異種間ハイブリッド?遺伝子組み換え失敗したの?

『お前らよっぽど暇なんやな』

息巻いた部下の動きをいつから把握していたのか、こめかみに青筋を立てた主人が女傑で修羅で鬼であった。部下たちはそれから一週間それまで以上のハードワークでキリキリ働いた。学生身分で部下と同じだけの仕事をこなす主人なので文句も言えない。

しかし竹中は早々に、そして他の部下も徐々に気づくようになった。雅火は灯が近付くのを厭わない。取り巻きでも部下でもなく、無視や放置するでもない。姿があれば声をかけ、並んで授業を受け、灯に所用があれば戻るのを待って合流する。

お嬢、ご友人が出来はったんですね。

みんな薄々気づきつつ言わずにいたのを口にした部下(童顔)に、部下(強面)が目頭を抑えた。お前が泣くんかいと総ツッコミを入れた後、部下たちはめいめい天を仰ぐなりハンカチを取り出すなり帽子を目深にかぶるなりした。女傑で修羅で鬼畜だが、みんなお嬢が大好きなのだ。

「お嬢と灯さんは、どこで知り合うたんでしょう」
「さあ…なんかの授業で一緒になったとしか」
「そうですか…」
「まあ多分、南、あんま食わねえから。それが原因だと思います」
「?」
「アイツ、欠食児童にうるせえンすよ」

人間食わなきゃ始まんねえってのが、家訓なんじゃないですかね。

竹中は岩泉の思わぬ台詞に、庭先の落ち葉焚きを囲む少女たちに目を向けた。トサカ頭の青年が火の番をする横で、黒髪の美しい少女がふうふうとサツマイモに息を吹きかけている。
そのまた隣、行儀悪く地面にあぐらをかいた雅火は、ぶすくれた顔をしながらもスイートポテトを食べ終わったところだった。断りきれなかったんろう、その膝には新聞紙に包まれた焼き芋が乗っている。

では件の少女はと見回せば、背後の台所から足音とともに声。「芋羊羹もできたよー!」。胃袋の大きい部下たちが歓声を上げた。焼き芋を手に取ったところの雅火がこれ以上ないほど顔をしかめた。

「無駄にレパートリー多いねん作りすぎや、どうすんねん芋ばっか」
「ご近所に配れば一瞬ぞ?もちろんみっちゃんにもお土産で持たせっからそのつもりでな」
「おい誰かこの芋魔神なんとかせえ」
「諦めろ、豊作だからな」
「どんな理由やねん。そもそも植えすぎやろ収穫量考えろや」
「えっなんで?」
「当ッたり前やろが胃袋の数かぞえてへんのか!」
「なんだようカリカリするなよう、ほれ芋羊羹」

今にも噛みつきそうに吠える雅火の口に、これまた美味そうな芋羊羹が突っ込まれた。理由にならない理由を投げた本人の黒尾が腹を抱えて笑っている。変なところでマイペースな亜紀は、ようやく適温になったらしい焼き芋を嬉しそうな無表情で咀嚼していた。

竹中は流石に同情した。主の胃袋は大きくないのだ。しかし、普段部下を容赦なく振り回す鬼の所業を思い出し、たまには振り回されるのも良い薬だろうと助太刀に入るのはやめておいた。それに、大層不服そうにしているが、本当に嫌なら食べる手も止まる。

焼き立ての焼き芋に負けず劣らず、スイートポテトも絶品だった。ふわり、バターの香りに引き立つ、素朴だが濃厚な芋本来の自然な甘み。きっと雅火もこの美味さには逆らえなかったんだろう。

「美味しいねえみっちゃん」
「……」
「うふふ」

けぶるような睫毛をゆったり上下させただけの主人に、何を読み取って笑うのか。それでも確かに、晴れた初秋の昼下がり、湯気をあげる甘い黄金色を大人しく頬張る横顔に、かつて凄絶を極めた極寒の冷徹の陰は無い。

平穏でありふれた不機嫌に、ひとまわり近く歳の離れた目付役の頬は緩んだ。


雅火の心に、太陽が照っている。


「ええ天気ですね」
「?そっすね」


(昴さん、見てますか)

あんたが育てたあの子の善良は、実るほど大きゅうなりましたよ。



「おい竹中、なに笑とんねん」
「灯さん、お嬢は芋きんとんが好きなんです」
「は!?」
「エッそうなんですか!?やだなあみっちゃん早く言ってよ!待ってろ今すぐとりかかっかんな!」
「待ッ…!ハルにい、おっ前、覚えとけよ!」
「「(えっ『ハルにい』?)」」
「はははは!」



200625
地の文が死ぬほど長い拙宅名物・説明文。
お粗末様でした。

竹中陽仁/たけなかはるひと
雪原 昴/ゆきはらすばる

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -