混ぜるな危険の最上級

朝日につるりと輝くリンゴに、薄く包丁の刃を入れた。

しゃりしゃり剥いて、半分に。ヘタとタネを切り落とし、くし切りにして、とぽん、塩水につける。朝はそのまま美味しく食べよう。朝のリンゴは金である。しゃりしゃり。昼までにははちみつ入れたゼリーを作って、いやコンポートにしてもいいな。庭先のミントの若葉を摘んで乗せたアイスに添えるのだ。良い。しゃりしゃり。しかしなにぶん素材が極上、どシンプルにジャムもよかろう。なんてったって青森直送、本場のブランド品種である。とぽん。出るとこ出れば桐のお箱にお包み纏ってデパ地下直送、贈答品コーナーをモデルウォークで闊歩する一級品だ。しゃりしゃりり。そんな逸品がなぜ庶民全国選手権宮城代表・マイホームに存在するかと言うと、リンゴ農園を営む青森のおじ上が、毎年この時期初物をお裾分けをしてくれるのだ。しゃり、ととん。ちなみに聞いて驚いてくれ、この名産その名もしらゆき。姫の如く美しいという意味じゃない。姫を蹴落とし主役になれという野心溢れる命名である。しゃりしゃり。これが親族一同人呼んで“おじ上勇し過ぎ問題”。しゃりしゃりしゃり。うううンそれにしてもいい匂いがする、ひとかけつまみ食いしてもいいかな。しゃりり。いいよな朝ごはん作ってんの私だし。ととん、ひょい、しゃく。


「その辺にしとかねえと、白玉の二の舞になんぞ」
「こっっっっっっふ」


のどぶえがクリティカル白雪をキメた。
華麗なる白雪ぶりだった。


アッこれアカン、アカンやつ、気道すべてがロックダウン。待ってこれで姫死なんかったってreally?喉詰まらせて気ィ失ってただけってマジで?詐欺だろお伽話かよ、お伽話だったね童話ヤダー!おいグリム冷静に考えろその姫はもう人間辞めてる、王子来るまで何日放置されてたと思ってんだ三途の川辺でキャンプファイヤーでもしてたんか。人間の脳みその酸素への依存度舐めてんの?呼吸停止後何分で人が死ぬとお思いで?
頭の中の汐崎さんが安らかな顔で片手を上げた。現実体とのシンクロ率が脳内汐崎さん史上過去最高。瀕死の土壇場でシンクロ率上げてくるとかどんな無理ゲーだよ、おい待て遺言書を出すな待って生きて超生きて!!


ズバァン。


「こっっっっっっは!!」
「よし、吐いたな。息しろ息」


ここまでものの二秒半、背中にメテオが降ってきた。肋と肺でビッグバン。目前に白い星が飛んだ。比喩ではない物理的にだ、つまり喉笛から強制射出されたリンゴ(※NO咀嚼NOスプラッタ)である。きたねえ…花火だ……。一命を取り留めたものの別の意味で息の根止められた頭の中の汐崎さんが床に伏せたまま泣いていた。私だって泣きたい。
考えてみろ、どこの時空に朝日浴びながら男の子に背中ドつかれてリバース救命されるMOBUがいるんだ。ねえええグリムじゃないんだよ棺in the forestじゃないんだよ、そんな特殊設定乗りこなせンのは三途の川辺でDancingしてきたプリンセスSHIRAYUKIだけなんだよ!田舎の台所のモブに負わせる宿命じゃねえわ現代医学の蘇生法ナメてんのか!つーかこの漢前が王子のガラかよ侍だよ日本男児だよ!百歩譲って騎士推奨!!及川プリンス持ってこいや!!
…あん?いや言ったよ、ヒロイン変えろって散々言ったけど聞け?ゲロインは違くね?そんなジョブチェン求めてねーよ!私は!ただ!モブにしろと!!

「かっは、ごふぅっ…」
「ンな慌てなくてもつまみ食いなんか告げ口しねえよ」

頭の中の汐崎さんが真顔で包丁を研ぎ出した。おい待て落ち着けそんなにか、軽い殺意を覚えるほどか。いやわかるけど、誰のせいでドキドキ☆白雪チャレンジ〜リンゴリバース蘇生法〜強制挑戦させられてんだって話だけど!ええいやめろ火サスサントラを流すな、絶妙に古いんだよ平成一ケタ感漂うだろうが!

「大丈夫か」
「むり…喉笛が白雪過ぎてむり……」
「お前だけネズミーかよ」

強制キャノン砲(※青森直送白雪弾)の後遺症に喘ぐモブに対して実に慈悲のない診断である。ちなみに我が家はジ◯リ派だ。駿is至高。
背中と気道のビッグバンによる涙目で水を飲んでたら、新しく切られたリンゴがひとかけ差し出された。節くれ立った指の間で殊に小さく見える初物をじとりと見下ろす。
訴訟レベルで言いたいことは山ほどあったが、先程食べ損ねた初物のS級リンゴを前にしてはすべてが不戦敗。あん?毎年食べてんだろって?バッカやろう美味しいモンに飽きはねえんべや毎日食べるでもあるめえに!

黙って受け取り、一口かじる。しゃくり、歯触りのよい食感と共に、溢れ出す果汁の甘酸っぱさ。っく…秋が来たぜ…!

「うううんうンまい…!」
「…これァすげえな」

思わず至福の身震いをする。遅れてかじった隣の彼が、同じ美味しさに唸るのがわかった。そうだろうそうだろう、おじ上のリンゴは絶品なんだ。全国区のなんとか金賞とか獲ったこともあるんだぜ。

「あ、そうだ、昼までにゼリーかコンポート作ろうと思ってんだけど、どっちが」


目前に降ってきた肌色に言葉が蒸発した。


ひょっ、と呑んだ息、前髪を掬い額に被さる乾いた温もりの正体が、骨張った大きな手の甲であることを数拍遅れて理解する。

言葉を追いかけるようにして舌から味覚も揮発した。素っ気ない低音が、実に何でもないことのように言う。


「熱、下がったな」
「……ウス」

並んで佇む朝の台所。晴れた朝、注ぐ陽光、手元にあるのは洗い物───じゃなくてまな板と包丁、山ほど剥いたリンゴのくし切り。あれ、こんなに切ったっけ。これコンポートもゼリーもパイも全部作れる量だぞ、っていうか作らんと行き場がない。やっぱりジャムにした方がいいか、一気に大量消費できてそれなりに日持ちするしな。お隣さんにもお裾分けして、そんで、





「一昨日のアレは」


額の手が離れていく。
ぺさりと前髪が降りてきて、舞い戻った陽光が拓けた視界を白く染める。


「ダチとしてとか、寮生としてとか、今更そういう意味じゃねえからな」
「……」
「その場のノリとか、あと気の迷いでもねえから、良い脳外科紹介するとかって余計なボケもいらねえぞ」
「……」
「前に、…買い物帰りお前が言ってた話」


結婚する気がねえなら、付き合うだの何だのに意味あんのかってアレ。


「それも踏まえて、そういうつもりで俺は話してる」










一説によると脳は睡眠中、4、5つほどの夢を見ているという。

自覚がないのは目覚めた時に覚えているのが基本的に、直前に見ていた夢だけであるからだ。それも多くの場合、目覚めて幾ばくの時間で忘れてしまうものらしい。


だとすれば、たぶん、朧げなこれは夢じゃない。夢現の境目で、脳みそが写し撮った記憶だ。

声がしていた。ばあちゃんとはじめくんだ。
額に乗った冷たさと握った手の安心感、輪郭を追えない音声の残滓。


ゆらり、視界が揺れる。早朝の光が目に滲みる。
重なった眼差しの、一等星に似た光彩が、網膜を熔かすほど眩しいのに逃げられない。


「…別に、今すぐどうこうって話じゃねえよ」

時間が経って変わることも、見えてくることもあるだろうし、そもそも学生の身分で将来どうこうなんざ、お前の言ってた通り現実味もねえしな。
だから、一昨日のはあれだ、口が滑ったっつうか、……あーちげえ、そういう話がしたいんじゃなくてな。俺が言いたいのは、


「俺はただ、灯が」


お前が、この先どの瞬間も。



「何があっても、ひとりで泣かねえでいいようにしたいってだけだ」



頬を何かが転がり落ちた。視界が晴れて、喉が軋んだ。

目の奥は痛く、目の淵は熱く、熔け落ちた心が臓腑を灼いた。


おかしな話だ。泣く要素なんて、泣きたくなるようなことなんて、このやり取りのどこにもないはずなのに。
馬鹿になった涙腺が言うことを聞かない。喉の痛みで唇が震える。宮城に帰ってからずっとそうだ、判然としない理由で、ちょっとしたことで、今までだったら済ませたことが泣きべそかかなきゃ終わらない。


影が落ちる。頭が傾ぐ。後頭部を拾われて、長い腕が背中に回った。
一歩も動けない私のために、一歩を詰めて歩み寄ってくれた彼の、硬い胸板で鼻先がつぶれる。

ぎゅう、と包み込まれて不意に、真っ暗な視界がぼろぼろに滲んだ。
目ん玉が落ちそうなほど滴る涙に、きつく目を閉じた代わりにか。ひき結んだ唇が突然開いて、弾かれるように言葉が飛び出た。


ばあちゃんの。


「ばあちゃんの死んだ後を、考えてこなかったわけじゃないんだ」



東京に出たのは。

もちろん学費と生活費のコスパもあるけど、せいぜい年間十数万の差だ。なんとかならないわけじゃなかった。それを、老齢のばあちゃん一人を残してまで、わざわざ一人暮らしをしようとしたのはたぶん、その時は無意識だったけど。


”予行演習“がしたかったんだ。ばあちゃんがいない生活の。

ばあちゃんが死んだ後のための、心の準備がしたかった。


「親戚はいるんだ、すんげえたくさん。もう大学にもなるのに、親無し子だからさ、このリンゴも、みんな良くしてくれて」

拍動が聞こえる。

額を預けた厚い胸板の体温が、くっつけた目蓋が溶けそうに熱い。しゃくり上げる喉が痛んだ。大きな手が背を撫でる。

恵まれてると思う。ばあちゃんがいなくなっても、天涯孤独になるわけじゃないのだ。世の中もっと大変な境遇の人はわんさといて、それこそ引き合いに出すのは間違いかもしれないが、私で悲惨なら亜紀さんはどうすりゃいいって話になる。

それでも、事実、どの親戚も。こう言うと難しいけど、薄情に思えてあんまり考えたくなかったんだけど、どの人にも“家族”がいる。
“親族”である私の、ばあちゃんに代わるだけの、心底の唯一にはなり得まい。一緒に暮らしてきたわけでもないんだ、寄っかかるにも限度がある。

私は恵まれてる。思い込みじゃなく事実そうだ。
でもたぶん、だからこそ、“一人”になるのにさえ覚悟がいる。


「だから、もし」


喉が震えた。背中に回った腕に、ぐっと力が籠もるのを感じた。ここにいれば大丈夫だと、何の疑いなく思える絶対の安心感。


もしこの先、ばあちゃんがいなくなるその時、その後もそばにいてくれる唯一がいるとして。

その唯一が、はじめくんなら。はじめくんがなってくれるってンなら、



「そんな、しあわせなこと、ほかにないなあ」















「まあ祖母ちゃん、軽く百まで生きそうなんだけど……」
「……。あの健康診断ならそうだろうな」



エンダアアアアアアを流しかけたそこの諸君、思い出せそして諦めろ。

糖質99%オフ、これが国産モブ100%の醤油品質である。


そもそもばっちゃまの健康偏差値お分かりで?東大なんぞメじゃねえわハーバードレベルぞ?殺しても死なねえなって近所でも評判()のご長寿ランキン常連確である。成人式とか秒速で見せてやれるわなんなら着付けまでばっちりしてもらう予定だわ。頭の中の汐崎さんがシリアスパイセンを踏みつけて高笑いしてる。よくやった下克上。おいでませギャグパート。シリアルの!風が吹くぜ!

というわけで離してもらってもいいかな!シャツずぶ濡れだし顔熱いしなんか変な汗かいてんだよな!ああああいいよ目元ととか拭わんでいいから自分でやれっから指熱い、アッやめて笑わんで砂糖吐く!糖質制限!素面に戻ってから甘やかさんで!あ?これまでも見せ場あったろうが今更何カマトトぶってんだって?上ッ等だよ表出ろ不可抗力に決まってんべや!seriousの独壇場でモブに何が出来るってんだよ蒸し返すなやこんな時に!
頭の中の汐崎さんが血反吐吐いて白旗降ってた。待ってせめて砂糖にして、死ぬ、血反吐はまじ直葬。早急に!リリースを!所望する!

「うるせえもうちょっと浸らせろ」
「何に!?醤油に!?」
「なんでだよ余韻にだよ」
「何の!?大豆の!?」
「お前の頭が発酵してんのか」
「You piss me off...!!」

エッすんげえ暴言でカウンターかまされたんだけど遠まわしにお前の頭腐ってんのかって聞かれたんだけどこれ訴訟?訴訟オッケーよな?いやムリその前に心筋が過労死しそうBPMが180超える。労基に訴えるのが先決だった。喉より先に左心房がSHIRAYUKIする!

「OK一回冷静になろう、心臓て一生に拍動する回数決まってんだよご存知?あんまり無駄遣いしたらばあちゃん見送る前に私が死ぬべ?」
「じゃあ一回止めとくか」
「Wha、」



一瞬の解放、差し込む陽光に不意を突かれた。思わず目をしばたいて、

かじりとるように、柔い衝撃。



「───マヌケ面」


ピントの合う限界の至近距離、耳朶を溶かすような低音。
悪戯の成功した子どものような、否、透ける光彩の、艶を秘めた目元に、


「See Ya!!」
「っぶ、」


目前のとんでもねえ漢前の大変失礼な口めがけて、切ったばかりの白雪を寸分狂わず投擲した。critical hit。

もんどりうったはじめくんに思い切りアイアンクローかまされたが目一杯足を踏み返す。うるせえ反論は認めん。シリアスパイセンが高笑いしながら頭の中の汐崎さんを背負い投げてた。三日天下どころか三分間下克上。キューピーも驚きのシリアル時短クッキング。ふっざけんなそういうのは管轄外なんだよモブに少女漫画求めんな馬鹿野郎、蕎麦屋にカルボナーラ求めるヤツがどこにいんだよでごすけが!塩分担当と!言ってんだろうが最初っから!!

死ぬほど腹が立ったので剥き切ったリンゴは全部朝食に使ってやった。ジュースに始まりパンのジャムからフルーツサラダにヨーグルトwithコンポート(三時のおやつはアイスにチェンジ)まで怒涛のリンゴフルコースで推して参った。「あらあおなかに優しいねえ」と笑うばっちゃまが懐広過ぎてちょっと泣いた。ら、またもはじめくんにドン引きされていや誰のせいでryという話である。

ちなみに「エッなにリンゴに恨みでもあんの…?」と引きながら綺麗に完食(ジュースはおかわり)してくれた黒尾くんには二次被害者過ぎて多少申し訳なくなったが、その横で黙々とコンポートを食べてた亜紀さんが不意にこぼした「うち、りんご好きやねん」という一言で見事座布団にくずおれた。超絶美人にcuteが着弾した時の破壊力たるや。ゲンドウポーズでスリープモードに移行した黒尾くんに過去最高にシンパシー。ていうか君も隠さなくなったね…。

「決めた、将来はリンゴ農家になる。おじ上ンとこに弟子入りする」
「汐崎サンそれ俺も参加で」
「おい橘この阿呆共止めろ」
「?…、おみかんも好き」
「「“お”みかん…ッ!!」」
「救いようがねえ…」
「ほっほ!」


200508
レモンではなく、リンゴ。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -