少女漫画はお呼びでない

「…は?」

青年は硬直していた。

時は新年度を迎えんとする春目前、三月末。場所は言わずと知れたこの国の首都東京、その下町。
聳え立つビル群から外れて入りくんだ住宅街には、アパートやマンションに紛れて昔ながら木造家屋もちらほらと並ぶ。都会の喧騒は存外遠く、小道には間延びした春の空気がゆったり横たわっている。

その一角、奥まった路地に押し込まれるように鎮座するは、築30年と聞いていた通り年季の入った二階建ての木造アパート。
新生活を始めるには少々格好がつかないが、アクセス間取り家賃は概ね希望通りの好条件。一通りの家具は運び込み、あとは細々したものをと買い込んできた100均のレジ袋を片手に来た道を戻ってきた、晴れた土曜の昼下がり。

繰り返すが、青年は硬直していた。
驚愕に開いた口と目が向けられた先は、足をかけたところのアパートの階上。
やはり同じほどに驚愕の色を浮かべた少女が、買い物袋ーーーただしこちらはネギが飛び出ているーーーを引っ提げ、ドアノブを掴んだところでフリーズしていた。
そして言う。

「さ…錯覚……?」
「………。」
「アッそうか蜃気楼?」
「俺は今現実だと確信した」
「エッ」

こんな間抜けで雰囲気ガン無視の反応は地域限定で十分である。

青年は視線を遠くした目を口を引き結んだ。死ぬほど溜め息をつきたかったがうっかり肺ごと吐き出しそうな気がしたのでなんとか堪えきった。

喜ばしい、喜ばしいはずである。新年度、桜の下、新しい春にてまさかの再会。これが普通ならドラマが始まりそうな筈のシチュエーションだ。

しかし青年は知っている。このどう生まれたらそうなるのかわからないトンデモ思考に青い春なぞが入り込む余地はない。山岳地帯にサンダルで踏み入るが如き愚の骨頂。脳内お花畑?そんな可愛いものならいい。あれはむしろジャングルだ。
しかしそれでもやはり、青年は知っている。

「えっ、うわあ、岩泉くんもここに住むの?」

わーいよろしく!と振り上げる両手、突き抜ける歓声。思わぬ偶然、同郷の旧友との奇縁を喜ぶ姿に曇りはない。
気も精もやる気も削がれる相変わらず斜め上の珍応答をしてみせた少女は、その同じ間の抜けた声で、しかし晴れやかに、麗らかな昼下がりの陽光を纏わせた瞳で笑って見せるのだ。
その何の含みもない麗らかさに、今度こそ青年、岩泉一は、溜め息を堪えられなかった。

「…ああくそ、」

畜生、これだから。
俯かせた頭、手を当てた額。頭を抱えたのは偶然じゃない。じわり、頬に昇る熱に舌を打つ。それでも高揚する気持ちに気付かずにはいられないのが尚憎い。

「エッ駄目だった…!?でもごめんもう冷蔵庫運んじゃったし、洗濯機も」
「いや駄目じゃねえし引っ越しもせんでいい」
「今すぐ不動産に?」
「行かんでいい!」

ネギを片手に青くなる阿呆に叫んでやる。
コイツのこういうところは本当に、心の底から狡い。





「汐崎は県内志望だったんじゃねえのか」
「おろ?よく知ってるね」

これも何かの縁だ、せっかくだからとりあえずアイスでも食べないかと誘ったのは私の方だった。別にナンパじゃない。至極健全なお隣さん交流会である。

板張りの雨戸を開け放ち、とりあえず雑巾がけを済ませた縁側の腰掛け、春草の伸びた庭を眺める私の隣には、頭一つ以上見上げる長身にふさわしい長い脚をぞんざいに投げ出した精悍な青年がひとり。

ご存知とは思うが改めて紹介しておこう、彼の名は岩泉一。高校三年の半ば、ひょんなことから結ばれた意外な縁は、県境を飛び越えた新しい地で思わぬ結び目を作っていたらしい。

築年数が長いとあって年季の入ったアパートは長屋と呼んでも良さそうな佇まいだが、多分大家さん…あ、寮母さんになるのか、とにかく管理する人の手がよく行きとどいていて、清潔でこぢんまりした、味のある古民家たる空気が出ている。

こんなにいい物件なのにしばらく人が入らなかったなんてもったいない話だ。だがなんせ和室ベースの古アパートという物件事情以上に、寮としてのルールが少々前近代的だとかいうのが最近の若者にウケが良くなかったらしい。
お前も最近の若者だろなんていうツッコミは聞かなかったことにする。だってそういうキャラじゃないよ私。門限12時?十分だよオネムの時間だよ。

「受かるには受かったんだけど、そっちも結局下宿しなきゃでさ。こっちで全額免除もらって寮生活の方がコスパがよかったから蹴ったんだ」
「受かっ…全額!?」
「うーん定番の反応をありがとう」

口に含んだばかりのアイスキャンデーを噴き出した岩泉くんにわびしい気持ちになった。御察しの通り(とか言わなきゃならんあたりがさらにわびしい)実際以上に阿呆に見られる私のこの快挙を告げて、目をひん剥かなかった友人は未だかつて存在しない。利休もびっくりの侘しさである。

「おま…詐欺かよ…」
「うーんそれはキツイ!さすがに犯罪扱いはキツイぞ!」

この男気溢れる元同級生、いや数分前に級友続投が判明したから元・元同級生は、如何なく発揮されるその男気ゆえに時折発言が右フックになる。信じられないものを見る目に胸を押さえて天を仰いだ。キングオブ豆腐メンタルには刺さる。いや刺さるんじゃない粉砕される。

「親御さんは良いってか?」
「うん?ああ、ちょっと心配ではあるんだけどね。でも私も寮ならまあ大丈夫かって」
「なるほどな」

地元には一応親族がいるし、近所のコミュニティなんやらの活動にも参加してるし、今の所大丈夫だろう。私の方も寮だし、余計な心配はかけなくて済む。オートロックとは言わないがリフォームで各部屋のセキュリティはしっかりしてるし、寮母さんが隣の母屋にお住まい、門限やら外泊やらもきちんと管理されるとあれば、アパート下宿よりずっとよかろうと太鼓判を押されて送り出されたくらいだ。

「それに、たった今安心材料が二倍増ししたところだしね」
「?何の話だ?」
「え?ほら、岩泉くんが一緒なんだ、オートロックつけるより安心でしょ」

至極まっとうに思って見上げるも、彼は大変何とも言えない微妙な表情で私を見下ろしていた。なんだろう、おかしなことでも言っただろうか。子守はごめんだとかそういうことか。…自分で言ってて悲しくなってきた。

「…それはどういう意味でだよ」
「うん?」
「何でもねえ」

聞き取りが悪くて何を言われたかイマイチわからなかったのだが、なんだか非常にもやもやさせてしまったのは確からしい。面目無いと肩を縮めてアイスの残りを口に入れた。
春の日差しにやんわり溶けたソーダ味を飲み込んで、同じ色をした空を見上げる。新しい春が始まった。


180905
大変お待たせ致しました。
安定の見切り発車(醤油搭載)をご容赦下さい。

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