残念ながら現行犯


得も言われぬ喉の違和感と、全身を襲う気怠さで目が覚めた。

……とかなんとか言うと本作ヒロイン・超絶美少女のターンだと思うだろ?またあのおもっくそ格好つけたシリアスモノローグかよハイハイってなるだろ?残念でしたァ醤油でーす!国産モブ100%の醤油でーーす!あん?ヒロインお前だろって?いい加減現実を見てみろ、ここに至るまでこの私に少女漫画的展開のしの字があったか?ないだろ?そうともsの字もないんだ、さあヒロインをCha、

「っごふっ、けっほ、かはっ」

盛大に咳き込んだ。喉の痛さに死にそうになった。アッ駄目だ声が死んでる、一瞬で理解した風邪ひいた。いや昔からそうなんだよ、私伝染るのも発症するのも治るのも一瞬で、引き始めとかいう過渡期が一切ないんだよ。ただしんどい。初期本番末期症状まとめて来たんかってレベルで一日目がマジ過酷。最初からクライマックス。「あなたのカゼは、どこから?」「私は、ノドから☆」とか一回でいいからやってみたい人生だった。

「…昨日の今日で随分辛そうだな」

不意にぺたり、額に程よい冷たい何かが触れる。冷えピタだ、それもあんまりキンキンに冷えてないヤツ。じんわり和らぐ頭痛にほうっと息が漏れる。

ゆっくり繰り返す瞬きで視界がはっきりしてくる。朝焼けだろうか、うっすら満ちる採光の淡さは人工的なものじゃない。日の出前なら四時か、五時頃だろうか。

飲めるか、と差し出されたアクエリが喉にしみた。胃に辿り着く前に吸収されていく冷たい甘露に、自分が大層渇いていたことを自覚する。危なかった、ただでさえ砂漠もかくやと言うべき枯れ具合なのに、それはいいとしても物理的にまで干乾びるわけにはいかん。これぞ天の恵み―――いやちょっと待て。
アクエリって天から降るモンだっけ?

「いや、降らねえ」
「!!」

頭の中の汐崎さんが電光石火跳び起きた。ついでに本体も跳ね起きた。ら、私の前頭葉もしかして除夜の鐘とシンクロしてんじゃないかと思う勢いの猛烈な頭痛に襲われ、二秒で布団にリターンした。
待って冗談抜きで頭割れるんじゃね?煩悩の前に脳みそが潰えるんじゃね?ついでにものすごい悪寒がすることにも気づいてしまった何だもう吐きそう。

「ここ…こ…ここっ……」
「死にかけたニワトリか」
「待って今むり…除夜すぎてツッコミ無理…」
「お前だけ大晦日かよ」

ネズミ捕りみたいな勢いで起きるからだろ、と呆れたトーンで降ってくる微妙な例えの声音にはそれはもう壮絶に聞き覚えがあった。そしてふかふかのお布団にはまるで見覚えが無かった。待ってくれ現実が容赦なさすぎてHPが枯渇する。死にそうな頭を持ち上げた先、かろうじて目に入った部屋の内装を前に眩暈がした。

「なん…あにゆえ…」
「下で雑魚寝してたのを連れてきた。いくら夏でもあのままじゃ風邪ひくと―――その様子じゃ遅かったみてえだが」
「…、おふとん…」
「ちゃんともう一組ある」
「ごはん…」
「美味かった。忙しかったろ、ありがとな」
「…へや…」
「……鍵どこにあるかわかんなかったんだよ」

安心しろ、お前がここにいることは黒尾も大家さんも知ってる。
素っ気なく付け加えられた一言に言葉が尽きた。単語ひとつで聞きたいことを当然のように拾われて、にも関わらず最後の最後だけこっちが毛ほども思いつかなかった真っ当過ぎる配慮を加えられた。
そんな、そんなこと誰も心配しないし警戒しないし、だってきみ岩泉一だよそのネームバリューわかってる?誰だよ彼にそんな配慮させる状況にしたの!私だよ馬鹿野郎!

部屋の真反対、壁際には彼の言う通り、もう一組の布団が目一杯遠ざかるようにして敷かれている。傍にはアクエリとゼリー類の覗くレジ袋と市販の風邪薬。完全に寝落ちた挙句がっつり風邪を引いた自分の失態に落胆しすぎて泣きたくなった。ら、熱だのなんだので常以上に阿呆になった涙腺が呆気なく崩壊した。

「…う”…っ」
「っああ?なんでだよ!?」

嘘だろこの阿呆具合もう上限いっぱいじゃなかったのか。上には上があったのか。めくるめく自分の可能性に絶望したらさらに泣けてきた。うずもれた布団からは馴染みのない、でも覚えのある匂いがして、ああこれやっぱり彼のお布団だよと思ったらその優しさに余計に泣けてきた。
もう駄目だ、まともに考えることもできない。酷く慌てた彼の顔がぐしゃぐしゃにゆがむ。おろおろと伸ばされた大きな手を指先だけでつかまえたら、謝罪も自戒もごったまぜに流れ出た。

「うう、だめだあ…ぜかいおわっだ…」
「お前の世界脆すぎだろ!」
「ごめんよう…ふっぐ、めんもくない…」
「…わかった、わかったし、なんともねえから泣くな。余計痛くなるだろうが」

頭をくしゃくしゃにされる。頭痛に障らない優しい手つきが今ばかりはまた憎い。ううううびどいと思うままに泣き言を漏らせば「どうしろってんだよ…」と手に負えなさげに呻かれた。仰る通り過ぎて弁明も出来ない。
謝罪するつもりが更なる加害を生んでいる事態に頭の中の汐崎さんが両手を差し出し捕縛待ちに入った。もういい今回は上訴しない、言い値で実刑、執行猶予はなしでいい。
ずびずび鼻をすすって身を起こす。とにかくこれ以上厄介になるわけにはいかない。

「どこ行く気だよ」
「部屋もどる…」
「んな状態で戻ってどうすんだ」
「ねる…」
「なんも食わねえで?」
「…う”っ…」
「おい待て、ほら、別に怒ってねえから泣、」

ぐらり、布団についた手が肘から折れて、内臓がひゅっと落ち込む。あっこれお布団リターンの巻、と柔らかい衝撃を確信したら、お布団より先に伸びてきた腕に両脇から掬い上げられた。
軽い衝突が頭に響く。カエルがつぶされたような声が漏れたのは、重力任せに倒れ込んだ首筋に思い切り鼻をぶつけたからだ。頭上すぐそば、彼が息をのむのを聞いた気がした。ガンガン響く頭の痛みに身を起こすこともできず、ただ耐えようと歯を食いしばる。

不意に何かが背に回った。それが脇下へ差し入れられた彼の腕であると気づくのに、ぼけた頭には数秒必要だった。

「…言わんこっちゃねえだろ、ダァホ」

ぎゅっと握りしめたような声が耳元に落ちる。お布団でかいだのと同じ、それよりずっと強くまとわれた匂いに、温かな人肌の温度が隣り合った。耳慣れた低音を形作る音の粒、かすかなざらつきや吐息の欠片までつぶさに感じ取れるほどの距離と、間を置いてぽすり、シャツ越しに背中を叩く大きな手のひら。

一定のリズムが心地いい。あったかい。なんということなく安心する。すぐに起きないといけないはずなのに、ぐったりと預けたままの体は溶け出す体温を求めて動かない。

「もう少し寝てろ、まだ日も昇ってねえから」
「…バレー…」
「ちゃんと行く。だから汐崎もちゃんと寝てろ」

ささやくほどのテノールは酷く心地いいはずなのに、同時にぎゅっと心臓が苦しくなる。いつもと同じ、素っ気なくて遠慮のない口調だ。なのに声音に角がない。つっけんどんに聞こえるのに、大層甘やかされていることがわかってしまう。

「…うん、ねる……」

ぐず、と鼻が鳴り、ぐしゃぐしゃの目元が彼のあたたかな首筋を濡らした。あったかい。急速に襲い来た眠気で思考が綻び、瞼がどんどん重くなる。垂らしていた手が物寂しくて、目の前の逞しい肩へ伸ばしたところで、私の意識はふつりと途絶えた。





軋む板張りの階段を下りて向かった共有スペースを覗き込んだ岩泉は、思わぬ光景に小さく目を見張った。…朝のロードワークを返上したのは自分だけではなかったらしい。

押しやられた卓袱台の傍に敷かれた布団は昨晩と変わりないが、その少し離れたラグの上には、自室に戻ったとばかり思っていたはずの180越えの長身が横たわっている。辛うじてタオルケットは被っているし、冷房も寝冷えするほど効いてはいないが、床に直接雑魚寝では腰だの首だのを痛めはしないか―――と思って滑らした視線の先で岩泉はフリーズした。トサカ頭が埋もれている。両側から枕に挟まれて。

「…、……」

寝違えるどころか呼吸困難に陥るんじゃ、というかもう死んでんじゃねえか。最早バイタルサインを確認した方がいいのかと戦慄する岩泉は、この前衛的な枕の使用法こそがあのトサカ頭の生みの親であることを知らない。

なるべく静かに降りてきたつもりだったが、状況ゆえかもともと眠りが浅いのか、黒尾は岩泉の気配に目を覚ましたようだった。もぞり、身じろいだ黒髪が枕の谷から持ち上がる。本日も申し分なくセットされた前髪の下の目元は、うっすらと隈をこさえていた。

「…はよ」
「…おー…」

…コイツもコイツで目を引くだろうな。
岩泉はちょっと顔をしかめる。昇ったところの朝日が差し込む茶の間、早朝の静寂に浮かぶ気だるげな横顔と緩慢な流し目は無頓着な色香を放っている。寝起きの掠れ声でひと唸り、大きく伸びをする様は気まぐれな猫のようでもあった。まだ眠たげな黒尾に、岩泉はインスタントコーヒーを手に取った。

「ずっとついてたんだな」
「…あ?あー…まあ」
「そんなに酷かったのか?」
「あー…いや、まあ…かなり魘されてはいたかね」
「…?」

ずいぶんと歯切れの悪いのは寝起きで働かない思考のせいだろうか。ケトルの水が沸騰するのを待って、岩泉は茶碗も準備する。戸棚のインスタント味噌汁と冷蔵庫の常備菜(きんぴらとひじき)と漬物を取り出せば、最低限の朝食が整うようになっているのは灯の配慮によるものだ。
…あいつにも後でなんかもってっとくか。こそばゆさをよみがえらせる首筋を図らずも手で抑えたのは、じわりと再沸する熱を耳元まで登らせないためだ。

「……はよ。どうよ、気分は」
「!」

不意に黒尾の声がして、岩泉はキッチンから目を上げた。自分に向けられたものではない台詞の行き先はひとつしかない。亜紀が目を覚ましたらしい。

「飯食えそう?そろそろなんか食わねえと、マジで病院で点滴コースよ」

茶化す声音はいつもと変わらない。だが岩泉は思わず朝食の準備の手を止めていた。
黒尾はどういうわけか、酷く慎重な横顔をしていた。それはちょうどこの前コート上で、膝が痛いと言い出したチームメイトの様子を注視していた時の、静かに身構えるような様に似ていた。


181218

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