舞台袖でのモノローグ

さて、稀代の男前が稀代の阿呆に不可抗力で形無しにされ、道行く人が多少心配するバイオレンスな照れ隠しを敢行しているという(見方によれば)ハートフルな光景が、一階エスカレーター脇で繰り広げられていたその頃。

すらり、やや近寄りがたい威圧感はあれど均整の取れた体躯と整った顔立ちが人目を引く青年と、その人目の引き具合を軽く倍は超えて視線を集める端麗な容姿をした美少女は、食品売り場の片隅で託された買い物メモを覗き込んでいた。

「次何がいるんだっけ?」
「…牛乳と、バターとヨーグルト。あと、チーズも」
「乳製品オールスターズか」
「……オールスターズ」
「……」

別にウケを狙ったわけじゃない、ただ一言喋れば即沈黙という実に会話の続かない空気が幾分でも和めばと思っただけだ。にも拘わらず様子見程度に挟んだ茶化しを、体感ジェットラグ並みの時間差をもって鈴の様な声音にリピートされ、黒尾は無言で天を仰ぎたくなった。
いや繰り返さなくていいから、すっげえ滑ったギャグを真面目に確認された可哀想な芸人みたいになるからマジやめて。

「…、」

だが黒尾は次の瞬間瞠目する。声を上げるでも肩を揺らすでもない、ただ彼の涙ぐましい和ませワードを実に残酷に繰り返したその形のよい唇が、これまたジェットラグばりのタイムラグを挟んでふっとゆるんだのである。

…誤解しないように言っておくが失笑じゃない。いや違うから、苦笑でもないからそこ黙れ。
咳ばらいを一つ、気を取り直してもう少し尋ねてみる。

「…その次は?」
「味噌、酒、豆板醤と…フェイパー…?」
「ああ、創味シャムタンみたいなヤツだ」
「…?」
「見たことねえ?赤い入れモンで、固形の中華スープの素」

あとはコンソメとケチャップか。このメモを寄越した同寮の朝食担当料理人は免許を持っていないというから、車で買い出しに来れる機会は重さのあるものを買いそろえるのに絶好なのだろう。無論その朝食の恩恵にあずかる身として文句を言うつもりもない。

メモのつくりも効率を念頭に置いたわかりやすいもので、ジャンルがきっちりわけられているため売り場をあちこち移動せずに済んでいる。黒尾自身も家庭事情ゆえ普通の男子大生よりかは買い物には慣れているが、灯のそれは明らかに仕込みが違う。

対照的に、メジャーな中華スープの素の名にピンときた様子の無い隣の少女は、恐らくキッチンに立つ経験はほとんどなかったのだろう。別に珍しい話じゃない、灯ほど手慣れている方が例外なのだ。

―――それに多分、料理の腕以外のもろもろに関しては、この少女の方が"例外"であるように思える。

彼らと同じく買い出しなのだろう、擦れ違った数名の学生らしき男たちの目が、揃って彼女、橘亜紀をじろじろと追い掛ける。その視線に気づかないわけがなかろうに、完全に無いものとして無視しきったその対応には堂に入った慣れがあった。

黒尾はちょっと頭を掻く。メモをポケットにしまいながら、橘サンさ、と声をかけた。

「他意はないし、単に気になったってだけの勝手な好奇心だから、言いたくなければ言わなくていいんだけど」
「…?」
「及川クンのアレ、どのへんで気づいたの?」

無糖か加糖か、きっと少し考えていたんだろう、ヨーグルトを両手に持った―――にも関わらずそのまま雑誌の表紙に出来そうな相変わらずの見栄えである―――少女は、元来乏しい表情を一層乏しくさせた無表情で、己を見下ろす黒尾を見上げた。




署まで連行された刃物女が及川徹の正式な恋人などではなく、ただの部活の先輩マネージャーでしかなかった―――正確に言えば、フラれた男のストーカーと化した女であったことがわかったのは、事情聴取開始からわずか数分後のことだった。

事の始まりは入学直後から噂になった美青年に熱を上げた女が、熱烈なアプローチの末に彼に告白したこと。しかし及川は(意外と言っては失礼だが)その球技への熱意を理由に、女の告白を退けた。女は食い下がり、彼に恋人がいるのではないかと勘ぐるもその事実はなく、及川自身はっきりそう否定していた。

それでも同じ部活に所属する以上、告白をきっかけに自分を意識するようになるのではないか。女は都合の良い期待を抱くが、そこは告白され慣れている及川だ。礼儀正しく友好的に、しかし一切その気がないことが分かるような接し方に徹した―――ここで問題だったのが、彼にとっては「気がないことが分かる」つもりでも、女にとってはそうでなかったことだ。

勝手な妄想を膨らませた女は徐々にストーカー化。及川自身少なからぬ危機感を覚え、なるべく距離を取るようにはしたが、如何せん相手は同じ部のマネージャーで上級生だ。
容姿だけは良いせいで男からの支持も高く、そんな彼女を袖にしたとわかれば男性陣からの風当たりもきつくなる。そこに女の友人たちが余計な横やり(押せばオチるとかいう迷惑甚だしい焚き付けなど)を入れたり、実情を知らずに茶化す連中が現れればさすがの彼も疲弊もする。

一人暮らしの新生活、気心知れたと言えるほどの友人も学内にはまだおらず、むしろこの先そんな友を作れるのか危ぶまれる現状の中、当然心に上るのは共に上京してきた無二の幼馴染。

そこからはお察しの通りである。彼の後をつけていた女は、古びたアパートにて彼を出迎えた黒髪の女を――灯の姿を見て激昂した。にも関わらず大誤算、女は灯の顔をはっきり見ていなかったのだ。

タイミングの悪さは神がかり的だった。嫉妬に狂った女が一周回って被った平静の皮とともに寮の玄関口に立った時、茶葉を取りに二階に上がっていた灯に代わり、最悪のタイミングで戸口に出たのはもう一人の黒髪女子・橘亜紀。

やってきた美青年が岩泉の幼馴染であるとは聞いたものの、名前までは知らなかった亜紀が、「及川(という名の住人)はいない」と告げたのが引き金となった。女は亜紀を及川の"浮気"相手(女の妄想ではこの表現になる)であり、彼の所在を隠して見え透いた嘘を吐いたと認識し、常軌を逸した行動に出たというわけである。

一方、ああこれはキレてんな、とまだ付き合いの浅い黒尾でも容易に察せる程度には怒り心頭だった岩泉を、しかし落ち着かせている猶予は黒尾にはなかった。

共有スペースから聞こえてきた想像以上の騒音に急いで母屋に走り、事情を話したその足で引き返して、次いで駆け込んだのは近所の交番。
自転車の警官に並走する形で三度力走、門でおろおろ待っていた大家と共に縁側に駆けつけた時には、灯が必死で、にも関わらず気の抜けるような言い分の、しかし意外と的を得た論で岩泉を引きとめているところだった。

「…上手く説明できないけど」
「、うん」
「彼…及川くん、あの人を私から遠ざけようとしてたから」

へえ、答えてくれるのか。
黒尾は内心意外に思う。あの一件で「とばっちり」を食ったのは灯もそうだが、最も当たりが激しかったのは何かと繊細そうな隣の美人だ。蒸し返すような質問を嫌がることも黒尾は想定していたが、彼の懸念と裏腹に、亜紀にとってあの事件はトラウマになるほどのものでは全くなかった。

「もし本当に恋人同士なら、浮気じゃないのは事実だし、普通はその場にいた私に証言してもらおうとすると思う。でも及川くんは、話があるなら外に出ようって、とにかく女性をリビングから連れ出そうとしてた。…多分、私に危害を加える可能性に気づいてたんだと思う」

だが女は及川が亜紀を庇おうとしていることをすぐさま感じ取った。怒りで完全に我を忘れた女は亜紀を突き飛ばし、武器となるものが多いキッチンを占拠した…というところだろう。

「それだけで?」
「…あとは、雰囲気で…何となく」

上手く誤魔化せたとは亜紀も思わなかったし、言葉を濁されたことに黒尾もすぐ気付いた。だが黒尾は人並み以上のその鋭さで、斜め下の彫刻のように整った顔をこれ以上強張らせるつもりもなかった。

あの時亜紀はまっすぐ及川を見ていた。雰囲気で、というのは恐らく、「及川の雰囲気」だ。
灯と岩泉が気づいていたかはわからないが――常時の岩泉なら気づいたかもしれないが、彼は完全に幼馴染の落ち度だと思い込んでいたし、及川もその怒りに甘んじるつもりでいたから見落としていても仕方ない―――あの時の及川の横顔は、黒尾も少々忘れられそうにない。

感情の一切を凍らせた、あるいは封殺したような冴え冴えとした無表情。
冷え切った瞳に浮かんでいたのは憤怒というより軽蔑で、気のせいでなければそこに、どうにもならないものに対する疲弊と諦念が沈んでいた。

ほぼ初対面の二人に共通するのはとにかく目を引くその容姿。そこから推論を導き出すのは難しいことではない。
簡単に言えば、美人は苦労も多いということだ。

「…、」

チーズと牛乳をカゴに入れながら、黒尾は流した視線で背後を確認する。ちらちら視界に入ってくるのは先ほどの男子学生の一団だ。少し離れたところで、切れてるバターと普通のバターを両手ににらめっこする亜紀は多分、意図して気づいていない体を装っている。

黒尾は頭を掻く。そうして一団のうちの一人がスマホ片手に進み出ようとした瞬間、一歩先に踏み出した。

「でっかい方でいいんじゃない?そっちのがコスパいいだろ」
「!」

心なし、距離は近めに。見開かれた大きな瞳が驚きと、恐らく染み付いた反射だろう、警戒とに染まる。
その眼差しが一瞬、自分に近づこうとしていた男の方へ動く。数拍の迷いが見えた。

ダイジョーブダイジョーブ。
彼女にだけ聞こえるよう、ついっと口角を上げた黒尾に、亜紀の瞳は逡巡に揺れた。そうしてぎこちなく頷き、バターを黒尾の持つカゴに入れる。

「あと何がいるっけ?」
「…コンソメと、ケチャップ」
「んじゃ向こうか」

何事もなかったように歩き出す黒尾に、亜紀は戸惑いを消しきれない様子で続く。二人とも後ろは振り向かなかった。
角を折れ、調味料コーナーに差し掛かる。男子大生らの姿がなくなった途端、あの、と声を上げた亜紀に、黒尾は先んじてケチャップをカゴに放り込む。

「橘サンさ、使えるモノは使っていいと思いますヨ」
「、…」
「それにまあ、あの程度の男なら諦めるだろ」

なんせワタシの方が身長も髪型も勝ってますから?

にやり、敢えてナルシっぽくふざけて見せると、亜紀は一瞬呆気にとられたようだった。戸惑えばいいのか笑えばいいのか酷く悩むような顔をし、でも結局可笑しそうに綻んだ口元が、角を落とした声音で言った。

「そうね、ずっと勝ってる」

ぎしり、思わず動きをとめた黒尾に、コンソメを探し始めた亜紀は全く気付かなかった。
畜生余計なこと言った馬鹿かよ自爆かよと否応なく熱を持つ顔を隠してそっぽを向いた黒尾に、彼にとっては大変幸いなことに、今度は固形コンソメと顆粒コンソメを両手に再びにらめっこを始めた亜紀は、やはり全く気付いていなかった。


「…エッねえ青春?青春だったりする?アッでもあんな美人さんだったら私何言われても赤面する…『今日コンソメスープがいい』って言われるだけで赤面できる自信しかない…」
「俺はお前がいつか法を踏み越えねえかが不安だ」
「冤罪反対!!」

181121

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