ミスキャスティング甚だしい


「本ッッ当にすみませんでした!!」
「あ、うんいいよ」
「!?」
「!?」
「!?」
「すげえデジャヴだな…」

三者全員同じ反応ではあるが一応ご説明しておこう、上から順に及川、黒尾、亜紀の反応である。特に黒尾に関してはついに遠慮なく珍獣を見る目で震源地たる灯を凝視した。唯一通常運転なのは若干の悟りを開いた具合で追想に走る岩泉だけで、残り余名はすべからく目を剥いている。

ストーカー女を連れたお巡りさんに署までお戻りいただき(細かい事後処理は後日となった)、「災難だったわねえ」と怒るどころか憂い顔で労ってくれた大家を母屋までお送り差し上げ、さあ若い衆で後片付けと言う名の尻拭いをしようと寮に戻って開口一番、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた及川は、その大層整ったかんばせも台無しの呆け顔で、割烹着を頭からかぶったところの元同級生を見上げた。

「エッ?いや…エッ?いや、俺が言うのも変なんだけど、…それでいいの…?」
「え?だって謝ってくれてるし…ていうか及川くんこそ本格派の被害者じゃない?大丈夫?心のケアいる?」
「…、……、」

「とりあえずお茶し、あっ茶の間カオスだし片付けてからだな」と平然と言ってのけるその内容のズレ具合に、及川はもはや戦慄した。無表情をひきつらせた亜紀とて、瞬きの数が倍増しているあたり現実処理に忙しい。
この真剣な阿呆具合に免疫のある岩泉が冷静に皆に告げる。

「諦めろ、押しても引いてもこんなもんだ」
「いや突き落とされても堪えそうに見えないんですけど…」
「なんかすごい納得いかないぞ!心が広いと言ってくれ!」
「密林か深海的な意味でな」
「ゲテモノの巣窟感がすげえ…」
「God damn!!」

最初から遠慮のない岩泉とついに遠慮を放り投げた黒尾による大変遠慮のない会話に、ほとんど取り残された及川は宙ぶらりんの謝罪を持て余して絶句した。なんだかんだ言って「とりあえずスリッパ出すか」「軍手置いとくぞ」と続々と居間に戻ってゆく男子二名も、自覚があるか怪しいが相当なマイペースぶりである。

もはやついてゆけない珍事態に所在なく泳いだ及川の視線が、ふと行き着いたのは沈黙を守り続ける亜紀の元。この場において唯一まともな仕方で彼の謝罪を受け取ってくれそうな人物は、噛みあった視線だけで及川の心情を察したようだった。

「私は汐崎さんに庇ってもらっただけで何も…汐崎さんがいいなら、それで」
「いや、でも…」
「…巻き込まれるのは、運の悪い事故みたいなものだから。あなたが一番の被害者だっていうのは、間違ってないと思う」
「、…」

責任や落ち度がないというわけではない。出来る策は講じてきたつもりでも、いつでも完全に状況を制御できるわけじゃない。でも好きで厄介事を引き寄せているわけでも、望んで周りに迷惑をかけているわけでもない。

「…うん、ありがとね」

及川は力なく笑う。それは道行く人が振り返るに相応しい優男の容姿に大層似合う儚い笑みで、だがその憂い微笑には、普段人には見せない一抹の疲れが滲んでいた。亜紀はかけるべき言葉を探して、結局黙って首を振るだけにした。多分言わずとも言いたいことは筒抜けだろうと思ったからだ。案の定、君も苦労してそうだね、そんな言葉がヘーゼルの瞳から聞こえてきたのは強ち気のせいではないのだろう。
そんな二人のやや沈鬱な空気を壊す起爆剤は、案の定緊張感や遺恨の欠片もなく居間のキッチンから飛んできた。

「アッ見てみんな、冷蔵庫は中身無事だ!片付け終わったらみんなでご飯しない?」
「いいけど皿足りるか?ただでさえ数ギリギリだったのが今日のでだいぶお陀仏になってんぞ」
「各自部屋から持ってこりゃ5人分くらいいけるだろ。むしろ食材と汐崎さんの手え足りる?」

5人。数える間も空けず当然のように告げられた人数に、及川ははたと動きを止めた。寮生は4人だ。なら5人目は―――もしかして大家さん?
だが一瞬母屋の方へ目を向けかけた及川を無言のうちに止めたのは、彼より一足先に驚きを仕舞った亜紀だった。片付けにと準備していたゴミ袋を及川に手渡し、亜紀自身は軍手をはめる。彼が大学バレーの選手で、その界隈では見目のみならず確かな実力でもって名の知れたセッターで、それを知るゆえに寮生みなが彼の指を案じていたことは、亜紀もすでに知っている。

「心配しないで」
「、」
「汐崎さんのご飯、すごく美味しいから」

及川は知る由もないが、いつかの朝、彼の幼馴染が自分に告げた言葉をそのまま繰り返した亜紀に、及川は一瞬黙り込む。5人と数えたのが幼馴染ならまだわかる。だがその声は幼馴染のものではなく、その新しいチームメイトで同寮生だというMBのものだった。
居間へ続く廊下の向こうからは、引き続く賑やかな会話が聞こえてくる。

「あーほんとだ、手はメニュー選べば平気だけど、5人では量がちょい不安かも」
「買い出し行くなら及川に吹っかけろ。迷惑料とってこい」
「おっマジで?よっしゃー刺身買おうぜ刺身!」
「イヤそこはやっぱ肉だろ」
「ねえ待ってボーイズコミュニケーション怖くない?バンソーコー貼ったばっかの傷おもっくそエグってんだけど怖くない?」

急募!思いやり!と灯が叫ぶその声に、及川がべちんと両頬を叩く音が重なった。驚いて彼を見た亜紀を追い抜かし、陶器やらガラス片の散らばる居間へ大股で距離を詰め、勢い余って靴下だけで突っ込みそうになったのを急停止する。両足を押し込むようにスリッパを履き、そのまま猛然と、ただしなんならちょっと泣きそうな情けない顔をして、及川は果敢に声を張った。

「片付けとATMどっち先に行けばいい!?」

頬にできた真っ赤な手形と、セルフビンタゆえか別の理由ゆえか、若干涙目の半べそ具合でイケメンを台無しにした面構えに、男子二人が遠慮なく腹を抱えて笑い出す。
それを哀れに思ったのだろう、「大丈夫だぞ及川くん牛乳パンも買うかんね!」と何が大丈夫なのかわからないことだけが残念な気遣いがからし色の割烹着から飛んできて、ついに亜紀も耐えられずに吹き出した。





「次どこ行く?」
「そうだな…食材は向こうに任せてるから、こっちは食器済ませようか」

日曜の午後、練習を終えた足で隣室の同輩と落ち会い、向かった二駅先のショッピングモールだった。

普段大学と下町にある寮の行き来をしているだけだと失念しがちなのだが、当然ここは首都東京、電車で十数分もすれば大都会然とした光景が広がる。人の多さには正直まだ慣れないが、全国チェーンのショッピングモールは規模がでかいだけで、基本的な雰囲気は仙台のそれと大差なくてほっとする。

別階にて食材の調達に出ているもう二人の同輩を含め、寮生総出で街に繰り出した目的はただ一つ。先の及川徹修羅場事件(汐崎命名)にて八割方使用不能となった食器類の調達と、それに乗じたその他食材・日用品雑貨の一大買い出しである。

「食器っつうと、三階か」
「いや、モロに買うと高いから百均行こう。多少重いけど割れても諦めがつきやすい」
「、…そうだな」

一瞬言葉を探したのはあの騒動直後、ほとんど空になった食器棚を思い出したからだ。そこかしこに叩き割られ、キッチンからその反対側、竹ラグの上でも粉々に砕け散った食器の中には、汐崎が実家から持ってきた分を厚意で共用にしていたものもあったはずだった。
だがそれを少なからず気にしての台詞かと言えばそうでもないらしい。至極自然な様子に含みはなく、となれば堅実な提言に異論はないので、方向を転じてエスカレーターへ向かった。

がさり、汐崎の足元、ぶつかる度に音をたてるビニール袋の中に詰め込まれているのは、コロコロ、布巾、基本的な調理器具がいくつか。たまたま見切り品だった(そして汐崎がこれ以上ない真剣な表情で凝視していた)テフロン加工の鍋とフライパンは、食器用洗剤と共に俺の手の紙袋に収まっている。

「…及川が悪かったな」
「と?」

自分でも多少驚くほどに、ぽろり、こぼれた謝罪は無意識だった。「え」でも「は」でもなくどうしてそうなるのか、いっそ五十音順すべてを網羅したいのか、何であれ未だ理解不能たる汐崎の単音節での反応に、しかし今回は突っ込む気も起きない。汐崎は俺を見上げ、なんとも困った顔をする。

あっちにこっちに愛想よく八方美人なんかしてると、そのうち本気で痛い目を見るぞ。
見目だけは良い幼馴染が惚れた腫れたに巻き込まれる度、茶化すでも囃すでもなくストレートに釘を打ってきたのは他でもない自分だ。今回は確かに相手の女も相当悪かったが、及川に問題がなかったとは思わない。付き合いが長く遠慮がない分扱いに容赦もない相棒の失態にひときわ激怒しながら、どこか身内の落ち度のように感じてしまうのが腐れ縁なのだから恐ろしい。

「岩泉くんが謝ることじゃないし、及川くんが謝ることでもなかろ」
「…」
「それに岩泉くんが来てくれなかったら、私たぶん頭割れてたし」
「…冗談にならねえよ…」
「それな」

まあだから、誰も怪我せんでよかったよ。

ゆえにこれ以上言うことはない。そう言いたげな汐崎にしばし黙し、そうだなと小さく応じた。自分が及川を殴り飛ばしていたら、怪我人は1名となっていただろう。つまり多分、そういうことだ。
常時すっとぼけたような奴だが、ただの阿呆でないことはもう知っている。

「百均何階だったっけ?」
「ん」

エスカレーターの段差上、軽く後ろを振り向けば、何を言わずともマップが差し出される。誤算だったのは汐崎も一緒に覗きこんできたことだった。思わず肩が揺れそうになるのをすんでのところで押し殺す。耳元から流れる髪が、俺の肩の数センチ先で、触れそうで触れずに揺れている。

「おろ、食品売り場とは逆だったか…どっかで待ち合わせしないとマズそうだな」
「…ああ」

声が近い。甘い匂い。思わず唇を引き結んだ。そうやって短く返すだけでいると、不意に汐崎も黙り込む。下階につくまであと少し、足元を確認してから視線だけで振り向くと、ぱちり、噛み合う視線がいささか慌てた様子で瞬いた。

「どうした?」
「アッイヤ―――普段見上げてばっかだから、新鮮だなあと」

基本見上げる方が好きなんだけど、視線が近いのも悪くないねえ。

「……」

エスカレーターが地上に近づく。段差がゆっくりなくなってゆき、気の抜けるような笑みがいつもの場所まで降りてゆく。
惰性だけで歩み、床に靴底をつけ、一瞬止まって深々と息を吐いた。何の含みもない癖に、何の含みもないことが許し難いその発言に、嵐のように吹き荒れる感情を、目元を押さえて耐えきった。否めないこの敗北感。

「こっちかな?」
「ちげえ、逆だ」
「おっ」

地図片手にあらぬ方向へ進もうとする隣人を、その腕を掴んでとっ捕まえる。軽々傾く小柄な体を半ば引き摺るようにして、岩泉は大股に歩き始め、背後の慌てた足音に数歩後には歩幅を縮めた。手の中の細い腕の柔さが、力加減を狂わせる。

不意に思い出したのは巻き付く細腕、彼を引き止めんとその左腕を必死に抱え込んだ肢体。
本人の意識を無視したその想起がマズかった。次いで蘇るのは当然その柔さ―――何のとは言わん、絶対に!

あの時は完全に頭に血がのぼっていて意識していなかったが、思い出せば間違いなく"当たって"いたそれが否応なく蘇った瞬間、岩泉は猛然と背後の暢気な女を振り返り、全ての元凶たるその女の間抜け顔を勢いそのまま思い切りわし掴んだ。

「でえええ何で!?」
「やかましい!」
「罪状を!酌量を!身に覚えが無さすぎる!」
「それが問題なんだよ!」
「魔女裁判!!」

アイツ地味に着やせすんだよネ。母校の文化祭、無理やり着せられたのだというメイド服に身を包んだ汐崎を一瞥、小声でこぼしたのは花巻だったか。畜生ロクなこと思い出さねえ、次会った時ぜってえ殴る。

岩泉は心に決めながら、頬に昇った羞恥と熱が色を失うまで十数秒、悲鳴と共に視界に入る名前の顔を物理的に遮断した。


181111

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