待ち望め、朧雲


「あのさ、うちの最寄りから、多分山手線の内回り方向で何駅かの間、めぼしい大学ってどこがあるか知ってる?」
「何その具体的な質問。どんな案件?」
「…聞く人間間違えたな。ねえみんなわかる?」
「ちょっと地元民差し置いて他所に聞くってどういう了見?」
「ブレないね、あんたたち」

ケラケラ笑う同期に肩を竦める。自称地元民、悪い奴じゃないんだけど、なにぶん人間拡声器なのだ。よほどの機密以外は世間話と捉えている節がある。下手なことは話せない。
だが、必修科目の授業終わりで昼休みを挟むこのタイミング、学科の友人らとまとまってランチできる場は、情報収集のチャンスとして逃すのは惜しい。
いまだあれこれうるさい人間拡声器を放置して目だけで問えば、茶髪や金髪が互いに目配せ、首を傾げて口々に言った。

「駅近でって言われたらー…慶北とか、桜路とか?」
「もうちょい行けば白峰医大もあるけど」
「青翔もそんな遠くないんじゃない?あとは菊女」

…さすが都内、予想はしてたがやっぱり多い。咀嚼したカルボナーラを飲み込んで、もう少し知恵を求めてみる。

「じゃあそのうち、8時過ぎに駅から徒歩で、一限に間に合う距離にあるのは?」
「ええ?そこまではわかんないって、フツー」
「条件細かすぎでしょ!学部によっちゃキャンパスも違うし」
「やっぱそうだよなー…」
「で?なに、どんな用事なわけ?」
「あー…まあ、人探し的なね」
「「「人探しィ?」」」

カラコン越しに両眼を輝かせた友人一同のユニゾンが鼓膜に痛い。俄然好奇心いっぱいの様子を前に、まあそういう反応になるよな、と紙パックを手にとった。

「ねえ聞きました奥さん?人探しですって、あの翠が!」
「もちろんですわよ奥さん、このナリで殿方にまーったく興味を示さないあの翠が!」
「一体どんな『人探し』なのかしら、ねーえ?」
「マダムが『ナリ』なんて俗語使うかよ」
「うっさいわね、そんなだから彼氏の一人や二人できないんでしょーが」
「二人いたら問題だろ」
「どうでもいいわ、宮永翠、あんたには私らに対する説明責任があンのよ。先々週の合コン、誰があんたをメンバーから外してやったと思ってんの?」
「そーそ、向こうの男のうち誰だっけ?前にあんた見かけたっつってわざわざ指名してた人もいたのに」
「いきなり言われたとこでバイトあったら無理だから」
「事前に言えばそれもバイト入れて逃げるくせに」

黙って紙パックを空にした。図星なので文句が言えない。さすればニンマリ、無言で説明を要求する友人らに、ため息ひとつ、口を開く。

「…先週の水曜、朝から生理痛がマジfu*kで」
「ちょい待ちいきなりNGワード」
「電車ん中で死にかけてたら、席譲ってくれた人がいて」
「あーあんた貧血ひどいもんね。たまに顔が死人」
「うちの最寄りまで寝かせてくれて、一緒に降りたら水買って薬くれて」
「「うわイケメン」」
「その上『1日分の鉄分』ウィ◯ーくれた挙げ句、お金払う間もなしに向かいのホームに戻ってったの」
「え?それってじゃあ」
「その人の最寄り駅、多分ここより何個か手前なんだよね」
「ちょっと月9じゃん!見た目は?」
「指定っぽい上下ジャージの、爽やかアスリートって感じの、」
「やっば青春!?連絡先は、」

女の子なんだけど。

「「「…えっ女?」」」
「そ、女」

がっちゃん、ばったん、ぐっしゃり。
金髪ストレートがフォークを皿に投げ出し、茶髪ピアスが椅子の背へひっくり返って空を仰ぎ、ピンクと黒のツートンボブが真顔でラテのプラコップ(空)を握りつぶした。うーん、期待以上のリアクション。

「やられた。まじではめられた。覚えとけよ宮永翠」
「勝手に勘違いしたのはそっちだろ」
「勘違いもなにもこの流れなら男と出会いに決まってんじゃん!?」
「少女漫画なら他所でドーゾ」
「うっわ腹たつ…!」
「じゃあ何、やっぱ本命は赤葦クンなわけ?」
「…はあ?」

今度はこっちが不意を打たれた。何でここでその名前が。っていうか本命って?
フォーク片手に唖然とする間に、友人らの会話は勝手な方向へドリフトしていく。ブレーキ、いやハンドルはどこだ。

「やっぱそっちかー。ビジュアル的には意外だけど」
「彼イケメンだけどなんてーの?ちょっと近寄りにくいじゃん」
「まあ翠って見た目ヤンキーな割にマジメだし、結構気が合っちゃうんじゃない?」
「それな。初見の期待値がパリピなのはうちらと同じだけど、授業で一緒ンなったりするとフツーに常識人っていう」
「そのギャップズルいよね〜」
「いや…いや、ちょっと待て、いろいろ待て。誰が、誰の本命って?」

呆気にとられる私を他所に盛り上がる頭髪のやかましい(自分のは棚に上げて言う)連中に力づくで割り込めば、揃いも揃ってにやにやとイイ笑顔を向けられる。…うっわ面倒くせえ雰囲気。

「だからァ、社学の隠れイケメン赤葦クンがァ」
「隠れ純情ヤンキー宮永サンのォ」
「本命ってヤツなんでしょってハ・ナ・シ!」

落ち着け宮永フォークはダメだ、冷静に行け。just be cool.

「うっっっぜえなあギネス審査員呼んでこい、今ならウザさで世界獲れんぞお前ら!」
「「ヤダァ翠チャンこわァーい!」」
「オーケー覚悟しろ、今季のレポート絶対手伝ってやんねえ」
「「すみませんでした!!」」

食べ切ったカルボナーラのプラスチック皿に力任せにフォークを突き立てる。あっ穴あいた。テーブル大丈夫かな、貫通してない?皿を浮かして下のテーブルを確認してたら「バイオレンスなのか律儀なのかどっちかにしてよ…」と微妙な顔でツッコまれる。うるせえ元凶。

「てゆーかうちらだって結構遠慮してたんだけど?ちょっと前から噂になってんじゃん、あんたら」
「はァ?ちょっと前って何、全然聞いてないんだけど」
「そりゃアンタ、見た目はリア充筆頭だし、つるんでんのがうちらだし。地味めの子なんか面と向かって聞けないでしょ」
「…。オーケー、それはいったん置いとく。噂って何?」
「キホンは勝手な憶測に尾ひれがついたって感じだよ。アンタら二人がなんか仲良さそーに話してんのを見かけた誰かが、別の誰かに喋ってってのを繰り返してるうちに、もしかして付き合ってんの?って話になったみたい」
「アンタら別ジャンルの人間同士じゃん。接点ないぶん、一緒にいるのが目についたんじゃない?」
「まーあたしらは付き合ってるなんて話は信じなかったけどね。宮永そういうタイプじゃないし」
「ただ、逆に『そーいうタイプ』じゃないからこそ、翠が『何もない』男と無意味に親しくなんないのも知ってるし。だから、噂とは別の意味で、『なんかある』のかなーってね」

次々と食べ終わった友人らが、口元の化粧を直したり髪を梳いたりあれこれしながら、代わる代わる並べ立てた口上に、私はしばし言葉をなくして沈黙した。
…パツキンだしツートンだし人間拡声器だし、食えないしいい加減だしギャルだけど、この子たちは私より“ちゃんと“している。上っ面だけに見せて本当はそうじゃない。いや、そうでなければ多分、私みたいなのは付き合えない。
ため息ひとつ。

「……なるほどね、大体把握した。そういう意味なら、『なんかあった』よ」
「えっマジで?どんな?」

別に隠してたわけじゃないが、わざわざ話そうとも思っていなかったバイト先での胸糞事案について明かせば、友人らは三者三様盛大に嫌悪感を示してくれた(その男に対する容赦ない罵詈雑言・集中砲火に、横のテーブルでご飯食べてた男の子たちが顔を引きつらせていた)。
とはいえ例の下衆男を追走した私の『無鉄砲』を讃えつつしっかり説教かましてくれるあたり、やっぱり見た目よりマトモだと思う。その言い分が概ね赤葦に指摘されたものと同じだったのでなお閉口したが。

かくして「見た目ヤンキー」の私と「社学の隠れイケメン」赤葦との接点を理解した友人らは、「そういうこと」と納得しつつ、なんともつまらなそうな顔をした。

「ま、事情は分かったけどさ。そこからなんかないの?こう…なんか始まったりとかさ」
「だから、そういうんじゃないっつってんだろ」
「怒んなって。茶化してるとかじゃな…まあそれもあるけど」
「あるんだろうが」
「だって宮永、男嫌いじゃん」
「!」

アイロンでがっつりドストレートにキメた金髪の前髪の下、ストローを咥えて気怠げに喋る友人を思わず見つめた。
緑がかったカラコン越しの視線は、ものの数秒私を底まで覗くように見て、興味をなくしたようにあっさりスマホへ落ちていった。

「普通に喋れるってことは、相性悪くないんじゃない?」
「…」
「ま、とりあえず勘違いだってのは言って回っとくけど」
「…頼んだ」
「借り一つね」
「学期末に返すよ」
「やりィ」

アッずるい私も金3のレポート助けて。うち英語、木1のやつ。
いや木1私出てねーよ。それは自分でやってくれ。










「あ」
「、」

ばったり。
キャンパス東側、図書館近くのA棟を出たところで、出くわした無造作な黒髪と長身に、意図せず弾かれたように足が止まった。切れ長の瞳が怪訝そうに瞬く。慌てて誤魔化し、片腕をあげた。

「お疲れ。今から部活?」
「うん。そっちはバイト?」
「まあね」

彼は、赤葦は、私が全く知らずにいたあの噂を知っているんだろうか。気取られない程度に様子を伺うが、涼しい表情は普段と全く変わりない。
誘導尋問なんて高等技術もない。小手先の観察は早々に諦め、思い切って正面から聞いてみた。

「あのさ、赤葦、なんか聞いた?」
「何を?」
「ほら…変な噂になってたらしいじゃん、私と赤葦がどうこうって」
「ああ…そういえばなんか聞かれたかな。噂っていうほどざわついた感じはしなかったけど」
「ほんとに?こう…迷惑かかったりしなかった?」

赤葦は意外そうな顔で私を見た。

「結構気にするタイプなんだ」
「いや、そっちが困るでしょ、私みたいなのと変な話になったら」
「宮永さんって変なところで自己評価低いよね」

予期せぬ方向からぶっすり射抜かれたようだった。急所じゃない、血も出ない。ただ、こっちの鎧兜の隙間がどこにあるかは全部わかってる、そう予告するような一刀。
思わず身構えたのは悟られたのかどうなのか。赤葦はどこまでも平常運転だった。

「実際何もないんだし、堂々としてればいいと思うけど」
「…まあ、そうなんだけど。でも気分悪いじゃん」
「確かに面倒ではあるか」
「そうだよ。中学生じゃあるまいし、ちょっと喋っただけであれこれ言われちゃたまんないね」

適当に返しながら、一瞬の動揺をうまく隠せた自身がなかった。立て続けに第二刀。あっさりした返しが、身構えたはずの心にまたもさっくり刺さる。

…いや、そりゃそうでしょ、実際何もないんだから。やめろそのちょっと傷ついたみたいな感じ。
話題を変えよう。焦った脳みそは思いがけず、良い議題を引っ張り出してくれた。

「あ、ねえ、ついでに聞きたいんだけど。赤葦って、この近くの他大に知り合い多い?」
「多いかどうかはわからないけど、何人かは。一応地元だし」

そうか、赤葦は確か…どこだっけ、都内の私立校の出身だった気がする。
捜索条件が悪すぎるので、ダメ元ではあるが聞いてみた。

「じゃあさ、山手線の内回りで、うちより何個か前の駅が最寄りの他大で、白と灰色の指定ジャージ、見たことない?」
「、…白と灰色?」

はた。ここまでほとんど表情を変えなかった涼やかな面立ちが、初めて小波立つのがわかった。

「心当たりあるの?」
「…どういう探し物?」

随分慎重な尋ね方だ。怪訝には思ったが、確かに経緯を説明せずに情報提供を求めるのも違う。隠さなきゃいけない話ではないし(流石に生理とは言わず、貧血だとぼかしたが、この男なら真顔で察しをつけていそうな気もして怖い)、先週の電車での一幕を説明する。しかし、赤葦は納得した様子を見せず、微妙な顔のまま言った。

「それ、どんな人だった?」
「どんなって…取り立てて奇抜ってことはなかったよ。ショートヘアで、エナメルしょってた。大人しそうなんだけど、あんま物怖じしない感じ」
「…ふうん」
「あ、あと目が」
「目?」
「目が…落ち着いてた。何ていうか、深いの」

それが一番印象的だった。そこまで言い終えて、いやまあ主観の感想なんだけど、と付け加える。個人的な第一印象が人探しに役立つとは思えない。

だが驚いたことに、赤葦にはこれが決定打になったようだった。微妙にしていた表情が、何とも言えない…よくわからないけど、何?私なんか具合の悪いところに突っ込んでった?
黙り込んでしまった彼を前に逡巡していれば、赤葦は徐に口を開いた。

「青翔大の水泳部」
「!」
「そこの部員だと思う」

唐突な文言を飲み込むまでに2秒かかった。驚いた、まさかこの悪条件でこんなに早く、大学どころか部活まで特定できるなんて。
思わぬ収穫に浮き足だった私は、どこか煮え切らない赤葦の反応はひとまず置いて、勢い込んで尋ねていた。

「マジで?知り合い?」
「…多分、高校の時の同級生」
「へえ…世間って狭いんだね」

偶然に改めて驚く。さすがは地元民で体育会系、聞いてみるだけ損はなかった。どうも微妙な反応からして、あまり親しい関係ではなかったのかもしれないが。

ともあれあとで友人らに連絡しておかないと。何も言ってなかったけど、噂を消して回るついでに人探しの方も手伝ってくれているかもしれない。ギャルでヤンキーで騒がしい連中だが、そういうこそばゆいところがある。

「ありがと、助かった。こんなに早く見つかるとは思わなかったよ」
「大学まで直接行くの?」
「そのつもりだけど」

赤葦がふと口を噤んだ。何かを言うべきか言わざるべきか、吟味するような数秒の間に、こちらも思わず黙り込む。

「…青翔大」
「?」
「この前、宮永さんのバイト先に一緒に行った、練習試合相手の他大。青翔大なんだよ」
「!」

水泳部のプール、バレー部の使ってる体育館の真隣だから。

「それだけ」

言って、言うなり、くるりと赤葦が踵を返す。浮き足だった心に冷水を浴びせられたような心持ちで、取り残された私はしばらくそこに立ち尽くした。

気づけば無意識に握りしめていた手首の先の、とうに消えたはずの油性マジックの英数字が、皮膚の下から滲み上がってくるような錯覚がした。


200929

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