アルペングロー・ミレニアム


「やっほー白河ちゃん、久しぶり〜!」
「お久しぶりです、白福先輩」
「今日も部活?おつかれ〜」
「ありがとうございます」
「お腹空いたでしょ、何食べる?」
「この辺あんまり詳しくなくて…先輩のオススメとかありますか?」
「んーとねえ、和食かイタリアンか中華なら?」
「俄然和食で」
「言うと思った〜!じゃあ決まり、日本酒の美味しい居酒屋見つけたんだよねえ」
「先輩お刺身、お刺身おいしいですか」
「もちばち絶品」
「ふっふー!」





「あ、ここもバイト募集してる」
「んー?ええ、居酒屋はやめとけば?白河ちゃんには向いてなさそう」
「えっでも私体育会系ですよ」
「体育会系イコール飲み屋適正とは限らんでしょ」
「そうですかねえ」
「だって想像してみて、赤葦もアレで体育会系ガチ勢だけど、驚くほど居酒屋似合わなくない?」
「、…うーん、そうですね。確かに似合わないかも」
「赤葦はねえ、古風なカフェでウェイターするか、下町の古本店か、アンティークショップの店員さんか…」
「そのうち骨董品屋まで出てきそうなラインナップですね」
「あ、わかった執事だよ、執事とか絶対似合う!」
「本人断固拒否しそうですけど」
「…。じゃ、そういう白河ちゃんはなんかしたいバイトあんの?」
「そうですね、あ、G◯Oのレジとか」
「(絶対篠崎の影響じゃん)」
「まあシフトさえなんとかなれば、正直職種は問わないんですけど」
「ふーん…。…ね、じゃあ、塾講師とかは?」
「塾講師?」
「理数はブランク挟むとキツいけど、英語は大学でも使うじゃない?シフトもゆるいとこが多いって聞くし」
「んん…?そういえばこの前、ポストにチラシが入ってたかな」
「チラシ?」
「そう、青くて、駅前だっけ。あんま聞いたことない塾なんですけど」

これが後に東北は宮城にてツ◯ヤでレジってる傷んだ茶髪の無気力ヤンキーが、ジブリもビックリの予備校(※どこでもドアとタイムマシーンのハイブリッドドア搭載)にて元生徒 兼 現講師を務める同級生に鬼電をかまし、「オイ最近入った梟谷の一個下いるだろアレにまでアンタみたいな千と千尋させたらマジで吊し上げッから覚悟しとけよ」とノンブレスでドスの利いた脅迫に及んだ原因たる会話となることを、この二人は当然知らない。

つまり世で言うフラグである。






「もしもーし!やっほー赤葦、久しぶり!」
『白福さん?お久しぶりですけど…どうかしましたか?』
「何よー、用がなきゃ可愛い後輩に電話しちゃいけないわけ?」
『…もしかして酔ってます?』
「しっつれいねえ、酔ってません〜!」
『酔っ払いは大抵そう言うんですよ。…つーか、まさか外からかけてます?』
「ええ?外だけど?」
『はあ…今どこですか』
「家のベランダぁ」
『は?…ああ、そういう外…』
「あー、もしかして迎えに来ようとしてくれた?やだ〜紳士〜!」
『もう切っていいすか』
「そーいうのはねえ、白河ちゃんにしてやんなよね」
『、……』
「今日ご飯行ったんだよねーカノジョと。なんか、バイト探してるんだって」
『…へえ』
「居酒屋にしよっかなあって言ってたけど、あかーしどう思う?」
『…、別に、どこでもいいんじゃないすか。居酒屋に向いてるタイプには思えませんけど』
『えー?でもあの子、体育会系で気も利くし、接客いいと思うけど?」
「体育会系って理由になります?接客なら居酒屋でなくてもいいでしょう。わざわざ歓楽街で帰りも遅い飲み屋じゃなくても、カフェとか本屋とか───』
『って思って、私も無難に塾講師とかどう?って勧めといたんだけどね
『……。おやすみなさい』
「ちょっとちょっと、切らな───アララ」


白福雪絵はしばしの間、通話終了画面を映したスマホの液晶を見下ろした。
ブラックアウトしたそれをポケットにしまい、ベランダの手すりに腕を組む。頭を傾げて頬をついた。

「…うーん、もうちょい様子見かなあ」

月はなく、蒸し暑いが、夜風の心地いい夜だった。








最悪だ。

ふらふらする。血が足りない。圧倒的に貧血だ。オプションには下腹部をぎりぎり締め上げる痛み。引いた血の気と冷や汗でひりひりする顔面はおそらく、チークじゃ誤魔化せない死人ぶりに違いない。
こん畜生。毎月恒例の招かれざるイベントに内心口汚く悪態をつくけど、実際は呻き声も出なかった。

路線の切り替えで大きく揺れる満員電車の中、ドア横の手すり傍を陣取れたのは幸いだった。バックパックを足の間に降ろし、しがみつくように吊革を握り直した。

敗因は今朝の薬の飲み忘れだ。朝から重い痛みのせいで支度に手間取り、普段財布に常備している頭痛薬を当てにして家を飛び出したものの、電車に乗ってからその常備分がこのタイミングで切れているの気が付いた。
ついでに言えば、そもそも飲み物を持ってきていない。よしんば薬があっても飲めなかった。

一限が専門科目の必修じゃなけりゃ、代返して休んでたのに。いや、これは授業に出ても無駄かもしれない。板書どころか講義もロクに聞ける気がしない。
「…あの」冷房の効きすぎた車内の気温が毒だった。外気温との落差が大きすぎる。「あの、」ダメだやっぱり薬がいる。大学のコンビニって頭痛薬売ってたっけ、

「あの、よければ、ここどうぞ」
「、」

ぷしゅう。

いつの間に停まって、いつの間に開閉したのか。電車のドアが閉まる音と、ぐっと引かれた腕で、夢から醒めたように意識が戻った。

頭が回る間も無く、肩を上から、座席に押し込まれていた。膝上にバックパックがやってくる。その持ち手を握っていた手を視線で追いかけ、ようとして、思わず顔を歪めて唸った。目眩が今季最高レベル。

思わず呻き声が漏れて、さっきより繊細な手つきが、さっきと同じ落ち着いた声と一緒に再び肩に降ってきた。

「楽にしててください。着いたら起こします」
「…、…」

なんで最寄り駅、と聞き返す前に、自分が定期入れを握りしめていたことに気づいた。お腹が痛い。頭が重い。血が足りないから思考も無様だ。
垂れた前髪を縫って、目の前に立つ人影を捕捉する。ジャージのズボン。腰にエナメル。女の子だ。

「すみません…」

辛うじて呟いたが、届いたかどうか。会釈半分、寝落ち半分、抱えたバックパックに頭を預けて、私は浅い微睡に落ちた。






「着きましたよ」

そっと揺すられ、目を覚ました。電車が減速している。アナウンスが大学の最寄り駅の名を連呼していた。どのくらいかと考えたが、駅数からして約20分。
生理痛は治っていなかったが、まどろんだ分、気分は随分マシだ。

今度こそ、離れていく手を追って視線をあげた。同時に相手もこちらを覗き込んでくる。
何の変哲もない、言ってしまえば平凡な顔立ちだったが、目を引いたのはそこじゃなかった。

深い瞳だ。印象的な落ち着いた眼差し。

「気分はどうですか」
「…すみません、だいぶ…マシです」
「降りられますか」
「はい」

上下ジャージ、化粧は最小限、髪も切っただけのショートヘア。だが、いや、だからこそ、私のような身なりの女を前にして、自然体で気後れした様子がないのが目を引いた。…自分で言うのも何だけど、アッシュにピアスにこの化粧。このナリはナメられない反面、地味めの女子からは敬遠されがちなのだ。

電車が止まる。重たいリュックを抱えて立ち上がろうとすると、すらりとした腕が伸びてきた。あ、という間もなく軽く掴み上げられ、下車する人混みの流れの中、道を作るように前を行く彼女を追うだけになる。

うだるような暑さだった。車内との気温差で手足に鳥肌が立ち、朝から高く昇った日の光に目が眩む。屋根の途切れたホームの先、線路の向こうに陽炎。

ぶり返す下腹の痛みに体をくの字に折りかけたところを、今度はプラットフォームのベンチに座らせられる。彼女は私の荷物を私の膝に、自分のエナメルバッグを足元に置くと、あっという間に自販機へと歩いてゆく。
もしやと思った予想に違わず、「どうぞ」とこれまた膝元へ、冷たい水のボトルがやってきた。

「すみません、お金」
「あ、あった。これ、市販のやつでよければ」
「!」

小銭入れから差し出されたのは鎮痛剤だった。胃に優しくて早く効く、一回二錠、二回分。

「あとこれも」
「えっ」

いつの間に出したのか、よく冷えたゼリー飲料。「1日分の鉄分」──まさに今の私に必要なやつだ。タイムリーすぎる。この人もしかして看護学部とかそういう?
思ってたらあっという間に両手が埋まってた。思考が鈍いのを差し引いても完全にペースに飲まれてる。

「こんな…こんなに頂くわけには、せめてお金払わせてください」
「いいですよ、どれも大したものじゃないし」
「駄目です、これ、高いのに」
「箱で買うんです。家にまだたくさんありますから」
「そういう問題じゃ、」

押し切るような強引さはちらとも感じないのに、押そうと思えばするりと躱される。断るどころか遠慮する間もない鮮やかさが、雰囲気と声の落ち着きに噛み合わない。

「あ、もうきますね」

涼しい色の目が空を切る。シーブリーズの匂いが掠めた。石鹸。
視線の先には発着メロディを鳴り響かせる向かいのホームが伸びている。

「アレ逃すと、一限ちょっとキツいんで」
「え、ちょっと…!」
「お大事に」

言うなりエナメルを取り上げて、白と灰色の柔らかそうなジャージの背中が、颯爽とホームの階段を駆け上っていく。二段飛ばし、ブレない体幹。

ものの数十秒もしないうちに、列をして並ぶプラットホームのうち、丁度反対側のものへとジャージの上下が駆け下りてくる。同時に滑り込む電車を見て思わず目を見開いた。嘘だろあの人、私に付き添って降りる駅乗り過ごしたの?しかもさっき一限って。

反対ホームも満員電車、彼女の姿を窓に確認できるなんて都合の良い話が起こるわけもない。混み合っていたホームをほとんど空にして、元来た方向へ走り出す列車を何も言えずに見送り──はっと気づいて呻き声が漏れた。畜生この血の廻りの悪い頭!

ジャージの背中の大学名、確認しておくべきだった。


200819

後半分、宮永さんサイドです。
振り返れば名前変換がない状態でして、アルペジオ未読の方には非常にわかりづらかったかと思います。以後気を付けますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


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