ロスト・フラクタス




ざばり、黙々と4往復目を開始しようとする黒いスイムキャップ。

その肩を掴んだ女──青翔大学水泳部・女子主将は、自身の手に突っかかるようにして泳ぎを止めた後輩が一瞬沈み、次いで完全に水面に頭を出すのを待って言った。

「オーバーワークだよ、白河」
「……ダウンを」
「馬鹿言わないで、インカレ前の調整期にダウンで800泳ぐやつがどこにいんの」

ばっさり言いながら、女は二つ下の後輩を油断なく観察した。返答が鈍い。手の中の濡れた肩は皮膚の下の筋肉が燃えているとわかるほど熱いのに、息の乱れの少ない横顔はどこか茫洋としている。

泳ぎはキレていた。練習直後とは思えないほど、腕は上がり指先は揃い足は力強く水を駆る。
だからこそ、何かがおかしくなっている。

女は後輩の顔に表情が戻るのを、つまりゆっくり気まずげになっていくのを確かめてから、肩にかけていた手を離してやった。

「上がんなさい。もう閉めるから」
「…」
「…距離を泳げば解決する問題でもないんでしょ」
「…」

自然、声が低くなる。誰がどこでどんな会話を拾い、どこに売るかわからないからだ。
そうでなければこの後輩、白河蒼衣が寮生でなく、その食生活が部の管轄下にないことも、整体その他の病院通いの有無も、報道関係者の耳に入るはずがない。

煙のないところに火を起こしてまでセンセーショナルな記事にする週刊誌の記者たちに、練習メニューや部内の人間関係など内部事情を売り渡している人間がいる。


「…、はい」

しばらくぼうっと黙りこくっていた蒼衣が、おもむろにゴーグルとキャップを取る。緩慢に頭を下げると、水から体を引き上げた。女が道を開けてやると、ありがとうございます、と静かな礼と共にまた頭が下げられる。

水泳選手にしては薄い背中が翻る。シャワー室に向かおうとしてだろう、自分達の方へ近づいてくる蒼衣を見て、入口そばで駄弁っていた一回生たちが一瞬しん、と会話を止めた。

空気が凝固する。無視できない違和感が走った。女はゆっくりと奥歯を噛み締めた。だが、蒼衣は足を止めたりしない。

「おつかれさま」
「あ…はい」
「お疲れ様です…」

取り繕えない疑念。腫れ物に触るような猜疑。いつも通りの蒼衣の挨拶に対する、下回生らの応答はぎこちなさを隠せていない。

関カレ以降、青翔水泳部に漂う雰囲気、正確にはこの後輩を取り巻く空気は一変した。今この部には、疑心と不信の渦巻く一種異様な空気が立ち込めている。

それなのに、当の蒼衣は不自然に落ち着いている。落ち着きすぎていて、不自然なほどに。


蒼衣自身に動揺が見えたのは関カレ直後だけだった。「タイムがおかしい、計測間違いじゃないか」。前代未聞の飛躍を一番疑ったのは蒼衣だったと女は思う。
その年相応の狼狽はしかし、あからさまなドーピング疑惑の余波が自身を震源地にして部全体に広がり始めると、吹き消すように霧散した。関カレ後初めてのミーティング、蒼衣が足を踏み入れるなり部室がしんと静まり返った、あの瞬間から決定的に。

それは、蒼衣の潔白が顧問の口によって伝えられ、部も蒼衣個人も、インカレ出場の上でなんら制限のないことが保証された後も変わっていない。

「『慣れてる』」
「!」
「って感じなのよねー、白河ちゃんのアレ」
「…慣れてる?」
「突然手のひら返されて針の筵になって、フツーああは順応できないでしょ?」

いつの間に。女はすぐ横からの声、モップに寄りかかるようにして立つ仲間の姿に、次いでその言葉に目を大きくした。

この軽薄で掴みどころのない印象の友人が、ぱっと見マトモでネジの飛んだ蒼衣を気に入っていることを女は知っている。モップの柄に両手を重ね、その上に顎を乗せたまま、その彼女は気だるげにして淡々と言った。

「『痛くも痒くもありません』ってゆーか、『まあそーゆーもんなんで』っていうか」
「…だから心配なんだよ。白河、アレ、いかにも常識人ですみたいな顔して実は一番ネジ飛んでない?情緒どうしたっていうか…どっか『閉じてる』っていうか」

閉じている。なるほど、いい表現だ。
モップの女が主将を見遣る。噛み合う視線だけで同意を伝えると、気苦労の多い女子主将は大きなため息をついた。

「ただでさえあんたみたいな犯罪一歩前の変態もいるってのに、ここにきてステルス変人とか面倒見きれないわ…」
「あら、そんな危険人物うちにいたかしら」
「お前だわドッ変態」
「その変態属性ゆえに白河ちゃんの盗撮に気づけたんだから、感謝してほしいくらいよ」
「世間じゃそれを同じ穴の狢ってんだよ」
「ホワイトハッカーって言って。もしくは捜査当局に協力するサイコパス」

そんな大層なもんか、と女は目を平くする。ああ言えばこう言う、口の減らない変態である。そんでなんでアメリカドラマ風?

「何はともあれ──あんだけカンペキにされちゃうと、キャプテンも大変ね」

あたしだって、助けなくても大丈夫なんじゃないかって“錯覚”しちゃいそうだもん。

女は虚をつかれたようにモップにもたれる友人を振り向いた。その僅かな強張りを隠し損ねた顔を見て、友人は苦笑した。

「大丈夫よ、キャップは大っぴらに庇えない立場でうまくやってる。『皆シロだ、文句あるなら自分に言え』って全員に釘刺したの超イケメンだったんだから」

あれがなかったら今頃あの子、吊し上げにあってたわよ。

厚みのある肩甲骨をぽんと叩いて、同期はモップを用具室に仕舞いに行く。ギクシャクしていた下回生の姿はすでにない。
プールは緩やかに波打っている。蒼衣の泳ぎの名残を残して。



蒼衣は関カレの記録でインカレ出場権を手に入れた。
それは全く正当にして、物議を醸す獲得だった。

異質に目立ったのは当人のベストタイムを大幅に更新して出した、あの2フリの2.06だけじゃない。エントリー時点で当人の成績上最も好タイムを期待できた1フリは、予想外の惨敗に終わっていた。ベストタイムより5秒以上ビハインドの不振でだ。
にも関わらず400mメドレーリレーのアンカー、1フリのタイムだけで見れば、蒼衣は大会記録に迫る数字──当然本人のベストタイムも大幅更新した──を叩き出し、下馬評じゃ表彰台に上がる予定のなかったチームを3位まで押し上げたのだ。

元々そういうムラがあるならまだし、蒼衣は基本的にどの大会でも安定した結果を出してきた。過去からのタイムの推移には、当人の努力を裏付ける漸進的な向上こそ伺えるが、飛び抜けた才能や爆発的な成長を予期させる兆しはない。
一年を通しての好不調とすればまだ理解できるが、わずか3日の一大会期間中の乱高下としては異常な振れ幅だ。

加えて最悪なのはタイミングだった。
今年の大規模な大会は次の五輪代表枠を争う選手が参加する影響で、界隈に留まらず一般からの注目が集まりつつある。その上2、3ヶ月前、別の競技界隈の複数選手が禁止薬物を使用していたことが判明し、先の大会の順位結果が繰り上げされるなどニュースで騒ぎになったのも世間の記憶に新しい。

異質にしてタイムリー。蒼衣は良くも悪くも──否、女に言わせればはっきり悪目立ちした。

大会後、蒼衣は部を通して呼び出され、任意の身体検査を受けた。間を置かず他の部員も数名、抜き打ちでサンプルを提出するよう求められたことも明らかになった。
その結果が全くの陰性と判明する頃には、検査結果も含めた一連の流れが、俗な三流スポーツ誌にセンセーショナルに取り上げられ始めていた。

インカレまでもう10日もない。ハードなメニューも精神的なストレスも避けるべき時期なのに、蒼衣はそのどちらをも背負ったまま泳いでいる。


『白河』
『?はい』
『ここにいる全員が全員、あんたの敵じゃないんだよ』
『、はい』

わかってます。


他の部員が捌けるのを見計らった帰り道。
蒼衣は生真面目に頷いた。いつも通りの落ち着いた面持ちには、何を今更とでも言い出しそうな怪訝ささえ漂っていた。

その時言葉にならなかった通じ合わないもどかしさが、今になって記憶の中の後輩に問う。


「…ねえ白河、けどあんた」


“味方がいる“とも思ってないよね。









今も時折よくわからないスタンプや写真を送りつけてくる木兎さんから、競泳の日本学生選手権、いわゆるインカレのライブ中継配信のリンクが送られてきたのはその当日のことだった。

他に文字もスタンプもない。観ろ、とだけ言わんばかりの無言の圧に、改札を出た駅前で足を止めて、押し黙ること約2分。突然通話に切り替わった画面に浮かんだのは他でもない木兎さんの名前で、一瞬ほとんど心臓が止まり、次いで肺ごと出そうなため息がもれた。
諦める気配のない10コール目で腹を括って通話ボタンを押す。

『あっ出た出た、観ろよあかーし!』

ぶつっ。

「………」

それだけ言って通話が切れた。一瞬スマホを握り潰そうかと思った。寸前聞こえたのはタイムアウトを知らせるブザーと高い天井にこだまする喧騒。練習中に何してんだあの人。冷静に何だ今の。そんで何だこのリンク。

…いや、意図は理解している。白河がインカレに出場するという一報は白福さんから届いていた。『私観に行こうと思ってるんだけど、赤葦は?』という一言と共に。
その日は夏休み明けに控える学科の課題発表の打ち合わせがある。そう送って、ぶすりとしたフクロウのスタンプが一つ返ってきたきり沈黙したトーク画面は、一週間ほどそのままだ。

白福さんが木兎さんに何かを言ったか、あるいは木兎さんの野生のカンじみた何かによる偶然の追撃か。…なんとなくだが後者の気がしてため息が出る。


──あんたら、いっぺんちゃんと話したらどうや。


感情の読めない淡々とした声が蘇る。
その言葉の瞬間だけ、向けられていた首の裏の毛を逆撫でするような、薄い敵意が霧散したのは何故だったのか。

宮治。言わずと知れた稲荷崎の宮双子の片割れで、セッターとして名を馳せるその兄弟に劣らぬ才覚を持ちながら、高校でバレーを引退した同世代。
そして、どういう接点か知れないが、高校時点で蒼衣と何らかの面識があったらしい男と。

(話すって、何を)

仲良く並んで映画を見に行くあんたと白河の関係に、どんな名前がついてるかとか?


「──…馬鹿か」

不毛だ。問うたところで咎める権利なんかない。

関係に名前をつけようとしなかったのはお互い様だ。俺が言わなければ白河も言わないのは分かりきっていた。名前のない関係を望んだのが他でもない白河本人だったから。
あの時は本心からそれでいいと思っていたし、その後の高校生活を辿っても結局はそれが正解だったと思う───少なくとも、ある時点までは。

白河がどう思っているか、自覚しているかはわからない。
でも、揺蕩うように、ゆらめくように、ゆっくり遠ざかっていったのは白河の方だ。

そして俺は、それをただ突っ立って眺めていた。
だから何も言えないでいる。


ぎゅっと拳を握る。棒立ちになる頸を焼く残暑の日差しが過酷で、気づけば止まっていた足を再度前に出す。
惰性で進む足で辿り着いた夏休み中のキャンパスは、茹だるほどの暑さに陽炎を作っていた。

立ち並ぶ講義棟の影に入りながら白く反射する小道を抜けて、人気の乏しい構内に足を踏み入れる。
通り過ぎる講義室から時折聞こえる話し声は、自分たちと同じで夏課題に取り組むグループなのだろう。

こういう空気は高校時代に通じるものがあると思う。…郷愁に似た何かが胸を圧迫して、ほんの数秒足を止めた。
講義室の戸に手をかける前に、感傷的な思考を振り落として戸を引いた。

「お、赤葦じゃん!久しぶり」
「久しぶり。松原、焼けたね」
「お前は白いまんまだなあ」
「室内競技だからな」
「おはよー赤葦くん!試合観てたよ
「ありがとう」
「今日は練習ねえの?」
「いや、これが終わったら行く…予定」

脳裏に新しい液晶とサムネイルに、言葉が引っかかるのがわかった。…練習に行けば、中継の開始には間に合わない。
ぼうっと逸れかけた意識は、かけられた声によって引き戻された。

「リーグ戦アツかったもんなあ」
「、…松原、バレー詳しかったっけ?」
「弟が中高でやってんだ。二部リーグ残留おめ」
「ギリギリだったけどね。来季は上を追い落とすって先輩たちが燃えてる」

これ撮っといた、とスマホを差し出され、覗いてちょっと驚く。試合中の俺を撮影してくれていたらしい。ギャラリーからなのによく撮れている。高坂や他のメンバーのも何枚かあった。
ブレなく綺麗に拡大されたそれを指摘すると、嬉しそうに「ちょっとした趣味なんだよ」とラインで送ってくれる。

「ホーム画面に使ってもいいぞ」
「いやそれは…ナルシストみたいじゃん」
「じゃあ俺が使うか」
「なんで?」

なぜか本当に変えている。いや誰のアカウントだよってなるだろ…。
呆れて言葉を返そうとしたその時、松原の背中からひょこり、覗いたのは通りすがろうとしたアッシュグレー。

「ごめん通らせ…何してんの?」
「お、宮永おひさ。じゃーん」
「へ」

ぱち、と見開いたカラコンを入れた瞳が、俺の写真をホーム画面にした松原のスマホに釘付けになった。数秒ほど見入る彼女に、思った以上に間が開いたからだろう、ちらり、松原の視線がこちらに飛んでくる。それに努めて応じることなく、「おはよう、宮永さん」と声をかけた。

「!…おはよ。びっくりした、これ松原のスマホだよね?一瞬誰のか考えたよ」
「ほら、ややこしくなってるじゃん」
「えー、いいだろお前サマになるし。こっちもあるけど?」

ぱ、ぱ、と切り替わる画面に浮かんだのは、セットアップの寸前。ネット際で滞空する一瞬を捉えたショットだ。これもまた見事に撮れている。ついでに空中体勢は悪くないな、と思う半分、…なるほど。

「赤葦の腹チラレアショット。どう?」
「うわ…」
「そんな嫌そーな顔する!?なあ宮永、結構良くない?」
「え!?うーん…?そうだね…出すとこ出したら売れそうだな」

茶化して言う彼女の耳が赤いのが見えた。わずかに上擦った声は隠したつもりなのだろうが、おそらく松原は察知している。
「他の人のはないの?」と尋ねる彼女に応じながら、こちらに好奇の視線を投げてくる松原に一切取り合うことなく、どうやって切り上げようか0.5秒で考える。だがそれを実行するより早く、ブブ、と手の中のスマホが振動した。

赤い背景に黒猫のアイコン。珍しい、黒尾さんからだ。
通知のポップアップに浮かんだ文字列はWebページか何かのリンクらしい。普段用事のない限り連絡のくることはあまりない先輩の、そのメッセージを開くより早く次の通知がやってくる。

『これ、こないだの彼女じゃね?』

「…?」

不意に細い糸を一本張るような、微かな緊張が走るのを感じた。

顔色が変わったのを見られたのか、会話を止める松原と宮永さんをよそに、ポップアップをタップする。
文字列はやはり外部リンクだった。ネット記事の引用だ──反映されたそのアイコンの見出しに、ざわり、嫌な予感が背筋を這った。

『大学水泳界の闇?』『代表選抜に落ちる影』

「…赤葦?なんかあった?」
「何の記事だ?」

ざわり、胸が騒ぐ。覗き込んできた二人に構わずリンクを開いた。水泳の関東大会、インカレ、五輪代表枠。ざっと流し読む数行目、文字の羅列に息が止まった。


青翔大、ドーピング疑惑───白河蒼衣。


「…なんだ、これ」

スポーツ新聞のウェブ記事。紙媒体より専らネット上にプラットフォームを持つたぐいのメディアだ。その影響もあってか、大会そのものへの注目度ゆえか、100件ほどのコメントがついている。

それらしく語られる根拠のない推測と、氾濫する無遠慮で気ままな悪意に、ゆっくりと心臓が引き絞られていく。
通知がくる。『大丈夫か?』。

「赤葦、これ、どういう…」

控えめに画面を覗き込んだ宮永さんが、見る間に血相を変えるのがわかる。その向こうから、彼女の様子に気づいて近づいてくるその友人たちも。

「赤葦の知り合いか?」
「高校が同じって…私も知ってる人なんだけど、」

俺に代わって答える宮永さんが、こちらを伺っているのがわかる。自分がどんな顔をしているかはわからない。

心臓が狭窄する錯覚。頭の芯が冷えていく。いつのことだ。関東インカレ──8月頭だったはず。
それじゃあリーグ戦とどっちが早かった。試合会場で鉢合わせたのはいつだった?

(間違えた)

どくり、冷たい脈拍が鼓膜を殴る。血の気が急速に引いていく。掛け違えたボタンの、その重大さが喉元を締め上げる。

蒼衣の顔が。

(俺が間違えたのは、この時だった)


孤高にひとり取り残された、彼女の顔が脳裏を焼いて、




「───ごめん、打ち合わせ任せていいか」
「は?」

検索をかける。水泳、インカレ──日本学生選手権水泳競技大会、会場は東京辰巳国際水泳場。最寄駅はJRなら新木場駅、メトロなら辰巳駅。うちの大学の最寄りならメトロに乗り換えるのが一番早い。

「行かなきゃいけないとこができた。資料は渡すから」
「いや待て、いきなりどうしたよ」
「なになに?」
「赤葦くん帰っちゃうの?急用?」

経路設定。所要時間1時間と少し。キャンパスから駅までバスに乗るか、いやこの辺りは平気で遅延する。それなら走ったほうが速いか?
カバンから予定していた資料とUSBとを引っ張り出し、松原に押し付ける。

「データはこっち、カンペはこれ。今度絶対埋め合わせる」
「いやまあ…俺はいいけど、」
「え、赤葦君いないとキツくない?」
「パワポって作った本人じゃないと結構難しいんじゃ…」
「ねえ、それなんかヤバい用事なの?」

後回しにできない系?

脊髄だけで声の方向を振り向いた。
宮永さんの隣に来ていた、ボブカットをピンクと黒に染め分けた同期。そのどこか非難めいた双眸と、ばちり、視線がぶつかり合う。


刹那の緊迫。
叩き割るように、返答も脊髄だけで飛び出した。


「“もう”できない」


ずっとそうしてきた。


「今すぐ───1秒でも早く会いに行かなきゃいけないから」


水を打ったように静まり返った講義室に、一拍置いて好奇の視線と共にざわめきが広がる。
ツートンカラーの彼女が瞠目する。根元までしっかり染めた金髪の彼女の、気の強い目元が鋭く細められる。
その隣、身を固くした宮永さんの、薄茶の双眸が大きく揺れるのが見えた。

その全部を置き去りに、踵を返し背を向けた。
冷房の効いた講義室と違い、残暑の熱気を充満させた廊下の空気が全身を包んだ。

リノリウムに響く靴音は、廊下の角を曲がり、階段を駆け降りるに至っても俺一人のものだけで、…狡いと理解していても、心のどこかでほっとした。


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