マスカレード・サンピラー



得点板が示す数字は、最終セット、25点を超えてのデュース。
練習試合と思えぬ白熱の大接戦だった。


弾丸のようなサーブと、文字通り身を呈してそれを打ち上げるレシーブ。
左に流れたボールを、走り込んでいくセッターの指が捕まえるよりずっと速く、床を鳴らした体躯が翔んだ。


「レフトォ!!」


梟谷時代より、より繊細に、より獰猛に。


張り詰めた空気がビリビリ揺れる。当然の如く待ち受け、目一杯しならせた背筋から打ち下ろす右腕の速度と威力たるや。
針に糸を通すようなストレートが、サイドラインを叩き割る。咆哮と味方の歓声に、ギャラリーから漏れる息とさざなみ立つ感嘆のどよめきが混じる。

続いてこちらのサーブ、ジャンプフローター。向こう側のリベロが抜群のフットワークで潜り込み、綺麗にオーバーで捌く。高く上がってセッターへ。左右に二枚、真ん中に一枚、同時に動き出す。

ゆったり構えるセッターの、凝縮された思考が駆け巡るのが目に見える。コンマ秒速に移り変わる恐ろしい情報量を瞬時に捌いて、相手方のセッターが繰り出したのは強気のAクイック。
テンポの速い速攻だ。それでいて正確、焦った風もまるでない。時間差、同時位置差に加え、テンポの変化も変幻自在。

対する木兎さん側のチームは堅実なリードブロック主体、おそらくあまり分は良くない。
ギリギリの攻防戦、苦しげに追いついて何とかワンチ───次の瞬間、構えていた木兎さんが一転、踏み切り一歩で跳び上がった。

床を殴るダイレクト。29-27、連続得点。

ギャラリーで今度こそ上がる声と拍手。それに応えるように腕を挙げた彼の、爛々と輝く琥珀の瞳が、はたとこちらを鋭く射抜く。

眼光で殴るような視線に思わず息を呑んだ。何年経っても何歳になっても、わかっていても気圧される。…当然か。私だけが歳を取るんじゃない。
むしろ彼は、私が進むよりずっと速くに進んでいく。

(──遠くなってしまった)

思って、よぎる寂寞を自嘲する。
出会った時からあの人は全国屈指の選手だった。私はその高校時代をわずかに通りすがっただけの身だ。

でも、その通りすがりにも、彼は満面の笑みと一緒に元気なピースサインをくれる。
感傷を振り払い、しっかり腹から声を出す。

「ナイスキー!」
「ヘイヘイヘーイ!」

お馴染みの掛け声。急速に戻る距離感で、一瞬ちょっと息が止まった。

学食で、体育館で、帰り道で。なんでもない日常を一緒に過ごした、一つ年上の、子供っぽくて自由奔放で、タフで豪快で頼もしい、部活違いの先輩。
ふっと肩から力が抜けて、一緒にへへっと表情筋が緩んだ。しょうもないことで落ち込んだ子どもが呆気なく機嫌を直すのと同じ、自覚はある。いいのだ、この人の前だと私はそんなもんなのだ。

公式試合ほどの緊張感はないが、張りのある挨拶が空気を揺らす。ついで、ダウンとストレッチ。ひりつくような空気が緩んで、和やかな会話が交わされ始める。
これで今日のスケジュールはおしまいのようだった。

「木兎、この後自主練するだろ?向こうも何人か残ってくから、ミニゲームしようぜ」
「いや、今日はパス!」
「…、は!?」
「どうした木兎、なんか悪いもんでも食ったか…?」
「後輩と飯食うんスよ!」

みょーん、と大きな体からは想像し難い柔軟さで開脚前屈する木兎さんの言葉に、コート上で各々ストレッチに取り組む選手の皆さんの視線がざっとこちらに突き刺さった。
自主練より優先してもらえるのは後輩として大変嬉しい。がしかし、流石に驚愕の眼差しで蜂の巣にされながら緩んでいられる表情筋は持っていない。

とりあえず気持ちばかり会釈すれば、何やらわちゃわちゃとチームメイトさんらが口々に言うのが聞こえる。なんとなく察しはつく、でもきっと私に聞こえないよう話してくれたであろう皆さんの話の内容は、木兎さんの圧倒的声量による返答によって筒抜けになることとなった。

「カノジョじゃねーよ、白河はコーハイ!俺じゃなくて俺のコーハイの……なんだっけ?」
「「「は?」」」
「白河ー!赤葦となんか変わったー!?」

(うーんこの人マジこの人)

別の意味で表情筋が死んだ。アルカイックスマイル固定である。

でもこの人のそれは、いつだって全くの含みがない。高一の時から今までずっとだ。
だから私もからっと笑える。

「元副将で、元主将で、元同輩で、現友人です」
「だってよ!」
「「「いや全然わかんねーけど!?」」」

豪快に笑う木兎さんに苦笑する。この人ほんと、この人なんだよなあ。

当時はあまり意識していなかったけど、今振り返ればよくわかる。
私“たち”の本質を真に理解し、かつ無条件で肯定し続けてくれたのは、一番に木兎さんだった。

あの打算のなく核心を捉える天衣無縫な振る舞いに、思えばどれほど助けられたことか。


そんな流れかける思考がふと引き止められる。誘われて向いた先には、コートの反対側から注がれる人の視線。
つと目を上げた先に、じっとこちらを見る二つの目がある。見覚えのある顔と瓜二つの、灰に近い銀と対になる狐色に似た金の髪。

(本当によく似てる)

木兎さんのコートの反対側、一目見た時から気づいてはいた。そも、気づかないはずがない。
学部こそ違えど同じ大学、もとより会う可能性はそう低くない。でも、ここで会うとは思わなかった。


宮侑───私の知る宮治くんの、双子の兄弟がそこにいた。









なんや地味やな、というのが第一印象。
同時に記憶を突ついたのは、どこかで会った気がするデジャヴ。

次いで、青翔大水泳部と聞いて思い当たった。上京後も同じアパートの別室で生活する、自分の片割れの存在と、つい先日から噂になっている女だ。


肩まで短く切った黒髪、上下の指定のジャージ。顔は普通、侑の基準で言えばだが。他の男ならまあ、中の上というところか。
運動部だけあってスタイルはそこそこだが、それも特別目を引くほどではない。

ただ、あえて言うなら食べっぷりには好感が持てた。どうせ食べ残すプレートを突き回す女ならよく見るが、よく躾けられた箸遣いのわりに、遠慮なく開けた口で定食を平らげていく様は悪くない。


白河蒼衣。梟谷出身で、木兎と懇意。話を聞くに、レポートに必要な資料が自大学に所蔵されておらず、この大学の図書館までコピーを貰いに来たらしい。それを練習試合で居合わせた木兎が発見、体育館まで連行。もののついでだと、試合終わりの今、学食で夕飯を食べていく流れになった。

なんせ女っ気があるようでちっともない木兎光太郎が、ギャラリーまで引っ張ってきた他大の後輩女子である。ただの後輩と言うが何もないはずがなかろうと、木兎のチームメイトたちは初めこそ興味津々だった。(侑のチームメイトたちも怪訝にはしていたが、まともに面識のある人間がいないのと、大半が隣のテーブルに腰掛けたため、注目は熱くない。)

だがそんな好奇の眼差しに気づいていてかいないでか、蒼衣は意識した様子もなく定食を選び、あっさり末席を陣取ると、向かいに腰掛けた木兎と合わせて「いただきます」を言ったきり黙々と、しかし実に美味そうに皿を空けるのに専念し始めた。
なんとなく邪魔するのが憚られ、あれこれ突っ込むノリに出損ねたチームメイトたちに、気づいていてかいないでか。否、これは気づいていると確信したのはその後だ。

食べ終わっていざ会話を振られても、当たり障りなくだけ応じ、会話のボールをさりげなく木兎に投げよこす。
木兎直々に見学へ招かれた他大の2回生女子。学食にはこの大学の生徒たちが大勢いるので紛れはしても、この場で見ればはっきり異物だ。にも拘らず、話題の矢印から巧みに外れ、気づけばフェードアウトする。いくら地味だからといって、やろうとせずにできることではない。

面白い。
空になったトレーを下げに行くのだろう、蒼衣が立ち上がるのを見逃さず、宮侑は席を立った。



「そっちの方が美味いで」
「!」
「右のあんみつ。俺のオススメ」

学食のデザートコーナーを覗き込んでいた黒髪の頭が、驚いたようにこちらを見上げた。
割としっかりした生姜焼き定食を平らげていたが、食べ足りないのか、別腹か。トレーを下げたその足でデザートを物色しに行った蒼衣に、侑はちょっと愉快な気分だった。
受け取りようによっては食い意地を揶揄うような自分の登場に、恥ずかしがるような様子がないのも面白い。

「練習試合で何回か来てんねん。食べ比べたけど、あんみつのが美味かった」
「そうですか…じゃあ、両方にしようかな」
「両方!?」
「?プリンの気分だったけど、せっかくオススメを聞いたから」

言いながら両手に二つカップを持って、迷いなくレジへ。プリン片手に追いかけて、「食べきれんの?」と尋ねれば、「うん」と迷わぬ返答が返ってきた。胃下垂というほどではなさそうだが、目測の1.5倍は燃費が悪いらしい。

「あっいいな白河、俺もプリン買ってこよ!」
「宮くんのオススメはあんみつだそうですよ」
「あんみつって俺、あんま食ったことねーなあ」
「チーズケーキと抹茶プリンもありました」
「うわっ迷う!選べねえ…!」
「プリンなら私のを半分こにできますよ。木兎さんはプリン以外で食べたいの、2つ選んだらどうですか?」
「いいなそれ!そうする!」

待ってろよ!と元気よく駆けていく木兎を、蒼衣がニコニコと見送る。ついさっきまで木兎も交えて人気アイドルグループの推しについて白熱する議論を交わしていた男子陣は、そのなんとも気の抜けるやりとりを見守り、次いで、今度こそ完全に木兎・来春説を破棄することを決めたようだった。
侑は一足先にその線は消している。だって雰囲気が完全に兄妹。なんなら姉弟でもいい。

「なあ、あんた、ぼっくんとはどんな繋がりなん?えらい仲良いみたいやけど、元女バレってわけでもないんやろ」
「一言で言うと部会かな」
「…部会?」

予想外にあっさりした迷いのない返答に、侑は目を瞬かせた。蒼衣は続ける。

「私、一年の夏に副将になったんだけど、引継ぎがちょっとうまくいかなくて。たまたま男バレの副将も一年生だったのと、マネさんに私の中学の先輩がいたってので、何かとお世話になったのが始まり」
「一年で副将?ぼっくんの代でってことは…5番のセッターか」
「うん、そう」

侑の注意が蒼衣から逸れ、脳内の対戦記録をめくる。
全国常連、それも例年優勝候補に上がるバレー部となれば、おおよそのレギュラー陣は把握している。特にセッターは自身のポジション、公式試合で当たろうものなら分析に余念はない。
遡れば、5番を背負った同い年のセッターは存外すんなり記憶に出てきた。特別派手ではなく、いわゆる烏野の影山のようにそれと見てわかる才覚を持つようには見えなかったが、堅実に見えて保守的ではなく、冷静でいて存外好戦的。

潰しにくく崩れにくい、一人いると重宝されるタイプのセッターだった。何より、今より調子にムラのある木兎を実に上手く飛ばせていた印象が強い。
名前は確か…そう、さっき。

「さっきぼっくんの言うてた…アカーシクン」
「宮くんが言うと新種のポケ○ンみたいだね」
「いやスイ○ンみたいに言わんで?」

テーブルについていた肘が滑りそうになった。なんだろう、天然ではないし芸人風でもない、ちょっと斜め上にボケてくるこの感じ。
要所要所で脱力させにくるのは計算だろうか。…いや、そこまで打算的にも見えない。

「じゃ、その彼と付き合うてたんや」
「いや、普通に同志だよ」
「どうし」
「うん」

漢字変換が追いつくまでに2秒ほどかかった。その2秒でかわされたとは分かったが、“普通に”という枕詞に、“同志”という普通からややずれた呼称を乗せてきたこと、そのものに興味をそそられた。
この手の質問は慣れっこなのか、さらりと受け流す様子には堂に入った慣れがある。ふうん、と相槌を打って、矛先を変えた。

「しっかし、一年で副将か。そういう伝統なん?」
「いや、梟谷でも珍しかったよ」
「人選理由はやっぱりぼっくん?」
「さすが、ご名答」
「いっぺん試合したら誰でもわかるわ…」
「でもだいぶ安定したんじゃない?」
「おう!俺は“普通の“エースになるって決めたからな」

最後の返答は当の本人から返ってきた。トレーを持って意気揚々、テーブルに戻ってくる姿を目に入れていた侑は半笑いをする。この男もこの男で“普通”の使い方が普通じゃない。
#普通とは。ツブヤイターで呟いたら梟谷勢を中心に同情リプが集まった。同情するなら解説をくれ。

普通の使い方がおかしいその2たる蒼衣は、その宣言の意味を知ってか知らずか、ともすると知りはせずとも問題ないのか。のほほんと笑って約束通りプリンを半分、器用にスプーンに乗せて木兎のトレーに運んでいる。行き先は木兎が半分削って空いた抹茶プリンのカップ。めいめい半分ずつ交換し、いびつに二色並んだプリンを美味そうに食べ始める。そろそろツッコミが追いつかない。

侑はしばし辛抱して待った。具体的に言えば、木兎が仲間に話しかけられ、最近放送されたバラエティの話題に乗っていくのを見送るまで。
それを見計らって、プリンを平らげ、あんみつに取り掛かった蒼衣へと差し込んだ。

「けどまあ、ちょっとホッとしたわ」
「?」
「双子の相棒の彼女の、浮気現場でも見てもうたんかと思て」

目を上げた蒼衣は実にまじまじと、言われた意味が彼の顔に書いてあるかのように侑を見つめた。
それから、揶揄うような彼の口上ごと咀嚼するように、今しがた口に入れたところのさくらんぼ(あんみつのてっぺんに乗っていた、紅生姜みたいな色の美味しくないやつだ)を思い出したようにもぐもぐする。

口の中に物を入れたまま話さないのが主義なのか、言葉を準備する時間稼ぎか。蒼衣はそっくり飲み込んでから、ごく落ち着いた声で言った。

「なんか噂になってるみたいだけど、私、君のご兄弟とはただの顔見知りだよ」
「そこまで言うと嘘やな。サシで飲みに行くのに、ただの知り合いってことはないやろ」

初めて蒼衣の表情が動いた。ここにきてはっきり揺るがせた、と侑はしてやったりの笑みを深めた。

何も本気で蒼衣が治の恋人だなどと勘違いしていたわけではない。噂には尾鰭が付き物だし、本当なら本当で勘でわかる自信がある。それにまあ、多少面白いところもあるようだが、遊ぶにしたってもうちょっといいのがいるだろう。この白河蒼衣という人物、基本的にありふれて地味だから。

蒼衣は侑がそれを把握していることは想定していなかったのかもしれない。だとすれば認識が浅い。全国常連校、かつ双子、話題に事欠かない自分たちは高校時代から継続的にメディアに露出してきた。今も現役の侑は無論、現役を退いた治も当時ほどではないにしろ、注目が集まりやすいことに変わりはない。

浮いた噂が割と絶えない侑と違い、治の彼女の回転は早くない。なんなら一回生の頃二、三ヶ月だけ付き合っていた先輩の準ミスと別れて以降、目立った話はなかったはずだ。
その治に特定の女の影がチラついたとなれば、隠れファンというべき連中が少なからずざわつくわけで、それが侑の耳に入らないはずもないのだ。

抜け目なく観察する間に、蒼衣は一瞬揺らいだ何かをまた仕舞い込んでいた。
あんみつをひとすくい口に入れ、次いでスプーンを容器に戻す。その様子には、つとめてゆっくりした、言葉を集めるような間があった。

「…先々週の土曜のことなら、個人的にご飯に行ったというより、行き合ったってのが正解かな」
「ほおん」
「共通の知り合いに用事があって。その人の勤め先が居酒屋だったんだ」
「共通の知り合い?」

蒼衣はつと、あんみつから目を上げ、侑の方をじっと見た。
取り立てた動揺も、探るような色もない。ただ静かに見定めるような、怯まない凪を湛えた瞳。

「……?」

物言わぬカウンター。目を逸らすほどの圧はない、ただ数度、思わず侑が瞬いた時には、蒼衣は置いたスプーンを再び持ち上げていた。残った角切りの寒天を一つ二つ、追ってあんこも口に入れる。気づけば容器はほとんど空になっていた。

飲み込んで、口を拭く。だが、怪訝な顔をして様子を見ていた侑に反し、蒼衣は空にした容器を前に、徐に立ち上がった。

「あ、ちょお、」
「木兎さん、今日はありがとうございました。そろそろお暇しますね」
「ん、もうか。送ってくか?」
「いえ、今日はこのままバイトに行くので大丈夫ですよ。お気持ちだけ」

先輩方も、今日はお邪魔しました。お先に失礼します。

文系女子然とした物柔らかさがありながら、頭を下げる姿勢と挨拶には体育会系の気配がする。木兎のチームメイトたちが主に、同校の侑のチームメイトたちもチラホラと、口々に応じたり手をあげたりと挨拶が続いた。その各々へ軽い会釈を残し、蒼衣はスポーツバックを背負うと、トレーを片手に背を向ける。

もの柔らかな強制終了。侑は一瞬、名前を引き止めようか迷い、なんとなくやめておいた。
蒼衣は立ち去るまでの間、一度も侑の方を見なかった。

「…ふうん?」

不快感というほどではない。だが、喉に小骨が引っ掛かる釈然としない気はして、宮侑は去っていくジャージの背中を横目で見送った。


200418


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