09



そうか。
罰ゲームだったのか。


ぽとんと落ちた理解は心を蹴落とした。鉛のような心臓はどんどん沈んで落下して、頭のてっぺんから血液を吸い落してゆく。キンと冷えた脳みそが痛い。

そうか。呆然と立ち尽くすドア越しに聞こえた単語を繋ぎ合わせて理解する。先輩たちとの罰ゲーム。女子に告白してフラれてくること。失敗した結果、追加された一か月の延長戦。

罰ゲームで一か月。一か月って31日か。それって長いよな。でももう一か月超えてるよな。なんで今まで付き合ってくれてたんだろう。ああなんだ簡単だ、私がフってないからだ。初めの目的がフラれることだったのだ。そこまで完遂されなければ、罰ゲームは終わらない。

教科書借りて部活見に行ってご飯食べて一緒に帰って。楽しかった。一緒にいるとすごく、いや、やめよう。悪いことをしてしまった。何も知らず何も気づかず、一か月どころか二か月近くも煩わせてしまったのだ。さぞ面倒だったことだろう。でもじゃあなんで優しくなんか、ああそうかだって優しい人だったからな、きっとせめてもの同情だろう。

頭がぐるぐるする。考えることをやめられない。言葉を紡いでは否定して塗り重ねて、結局何を考えればいいのかわからない。

心臓は落っこちてしまった筈なのに、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。








気づいたらバスに乗っていた。ほぼ惰性だけで学校を出て来たらしい。なんだか記憶が曖昧だ。友人らを置いてまとめてきた荷物はスクールバックの中でごちゃごちゃになっていた。点滅するラインの通知ランプは誰からのものかわからない。

私は今どこに向かってるんだろう。降りた停留所は普段ほとんど縁のないものだった。けれど私はここがどこの最寄り思い出し、足の向かう行き先に気づいた。

相変わらず私の意志を置いてきぼりにしたまま、足はどんどん進んで見慣れない校門をくぐった。ちらちらと注がれる視線がどこか遠い。

それでも人目を避ける余裕もなくまっすぐ進んだ先、私は普段見慣れた体育館よりややこぢんまりした体育館を見上げた。開け放たれた入口から聞こえる声と、床を鳴らすシューズの音、天井に木霊するボールの打撃音。

彼の部活姿を見学に行ったあの時と同じ音にあふれている。ぐらぐら、頭が揺れて心臓が騒ぎだす。蓋をした何かが今にも噴きこぼれそうで、あれだけ黙々と動いていたはずの足が急に地面に張り付いた。

ここにきてやっと、どうしようもなく、彼女に会いたくなる。

「…あれ、青城の人?」
「!」

後ろから飛んできた怪訝な声に驚いて背後をふり向いた。タオル片手にこちらを伺うのは体操服に身を包んだ色白の男の子。背は高い、多分同級生。短いズボンと膝のサポーターには見覚えがあった。バレー部の人だろうか。

「えーっと…誰か探してるなら、呼んでこようか?」
「あ…」

人懐こそうな目元が優しい彼は、周りをきょろきょろと見回し、首を傾げて私に尋ねる。ボールが跳ねる音。無意味に零れる言葉にならない声。ぐらぐら、頭が、目の前が揺れる。

「き…しみずさん、…って」

ぱりん。何かが呆気なく弾け飛んでしまった。
なぜだろう、紡いだ名前はこの高校に通う親友のそれなのに。突然浮かんできた、優しく笑う彼の顔が、真剣な表情でボールを追いかける横顔が、その穏やかな声が一緒くたに蘇り、その瞬間何もかもが霞んで見えなくなった。

駄目だ。
どうにもならない。どうにもできない。

―――きよに会いたい。会って、大丈夫だよって、たった一言言ってもらいたい。

「えっ!?え、どうした!?どっか痛い!?」
「あの、部活、いつおわりますか」
「ちょっ…清水?清水だよな?待っててすぐ呼んでくるから、」
「おーいスガー、どうし…た?」
「あっ大地!ちょうどよかった清水呼んできて!」
「清水?…わかった、すぐ行く」

誰かが駆け戻ってゆく足音がする。要らぬ騒ぎを起こしてしまった後悔が追いかけてきた。間違いなく彼らはまだ部活中で、きよはバレー部唯一のマネージャーのはず。それを他校の人間が押しかけてきて呼び出すなんて迷惑にも程がある。

「いいです、何でもないので、終わるまで待てればそれで」
「いや、全然よくねーべや。もうすぐ来るから…」
「…ゆづる?」
「!」
「ゆづる!」

黒い姿がぼやけて見えない。多分強張った酷い顔をしている。表情筋が麻痺して顔をゆがめることもままならない。能面で泣くとか何のホラーだ。そう思うのにいつまでたっても涙が止まってくれない。惨めさが過ぎて消え去りたくなる。

泣いてどうにかなることなど一つもないのに。この一か月を全部なかったことにするなんて出来やしないのに。
思えば思うほど息が出来なくなって、ああ困った、明日からどんな顔して学校に行けばいいんだろう。とんだ笑いものじゃないか。

「ゆづる、どうしたの?何があったの?」
「きよ、ごめん、部活だったね。私何も考えてなかった」
「そんなのいいから」
「よくない、ごめん。私、うん、平気なんだけど。でも待ってていい?校門とか、どこか適当なとこ」
「菅原、」
「大地、この後メニューなんだっけ?」
「ロードワークだ。俺らだけで大丈夫だよ」
「だってさ清水」
「!…先輩たちには、」
「上手く言っとく」

彼らの会話の意味するところを理解しているはずなのに、思考回路は宙を漂ったままだ。地に足をつければ突き刺さる現実が怖い。
この人たちはきっと、仲間内で罰ゲームして、どうでもよさげな女子に告白するなんてことはないんだろう。比べた自分に嫌気がさした。そんな比較に何の意味があるんだろう。

「…すみません、十分で―――十分で帰りますから」
「それじゃロードワークに足りないかな。三十分は必要なんだ」

だいち、と呼ばれていた彼が控えめに笑って言う。きよの滑らかな手が温かい。
いきなり押しかけてきて、突然泣き出して、挙句マネージャーを貸してくれと言う私に、好奇の視線も不躾な質問もなく、ただ心配そうに声をかけてくれる。そこに面白がるような野次馬の色はない。耳を刺す悪意も揶揄いも。

降りかかる優しさが、抉り取られた心臓に容赦なく染み込んで、その傷口の大きさを思い知る。

「ゆづる、どうしたの」

酷く心配そうな友人の声がする。いよいよ立っているのも辛くなって、私は親友の薄い肩に頭を乗せて唇を噛み締めた。ようやく顔がゆがんで、嗚咽が漏れた。

そうか。そうだったんだな。無意味に自分に対して繰り返す。なんでもないラインのやり取りが温かかった。時折大きく笑うのが、歩調を合わせて道路側を歩いてくれたことが嬉しかった。握られた手の温度に舞い上がった。ぞんざいに扱われたことも邪険にされたことも一度もなかった。

そしてそのすべてはまやかしだった。

随分と素敵な人に好いてもらえたのだなとありがたく思って、いつかきっと伝えようとも思っていて、でも今思えばそんな妄言、口にしなくて幸いだった。
あの淡い笑みの裏で彼は何を思い、なんでもないやり取りの後で仲間たちと何を話していたんだろう。

ちっとも気づかない勘違い女。鈍感な自意識過剰。不愛想でつまらない、彼女面とか超面倒。想像でしかないはずの嘲笑が、生々しくエコーして現実を侵食していく。

「きよ、わたしさ、あのさ」
「、うん」

思えば彼はいつも、控えめで慎重な態度を崩さなかった。今ならしっくり納得できる。それは落ち着いているとかじゃなくて、どこか遠慮がちで、例えば腫れ物に触るような、そんな接し方だった。いや、それも私の未練がましい希望だろうか。好かれれば面倒だという予防線だったと言われればそれまでじゃないか。疎まれていたわけではないのだと信じて、少しでも惨めさを軽くしたいだけの、ただの私の願望。

わからない、何一つ。今更考えたって仕方がない。でもただこれだけは言えるのだ、馬鹿みたいにそれしか思いつかない。

「ちゃんとすきだったんだよ」

でももういい。やめよう。出してしまうのだ。今日ここですべて吐き出してしまって、一度空っぽにしてしまおう。
抱えてたってどうにもならないことばかりだ。明日から何でもない顔で自分の日常に戻るためには、このどうしようもなく惨めで情けない自分をリセットしなければならない。

「ちゃんとすきだったんだ、」

そうして二か月前、誰かと付き合うこともそれで一喜一憂することも、人を好きになることもこんな苦しい思いをすることも何も知らなかった私と同じ私に戻らなければならない。
何もかもなかったことにはできなくとも、きっとそれくらいなら私にも出来るはずなのだ。


160706
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