short | ナノ


▼ フール・オン・ザ・ステージ!



その淑やかな立ち姿に、伏せた双眸が帯びる憂いに、刹那、視線も心臓も射止められた気がした。


ぎゅ、と絞られた腰回りからふわり、膝下まで広がる丈の長い漆黒のワンピース、その黒に映える眩しい純白のエプロン。
露出の乏しい足元はやや高めの黒のエナメルが、ゆるやかに結い上げられた髪の下、剥き出しにされた真っ白なうなじは零れるおくれ毛が飾っている。

俯き加減の横顔に、やや長めに流れる前髪がさらり、目元にたわんで潤むように揺れる。その潤むような黒髪を飾る白いレースのカチューシャの下、ふと視線に気付いた瞳が、くるり、半身を捻るようにして彼を捉えた。

どくり、跳ねた心臓は思わずして噛み合った視線のゆえか、それ以上の何かによるものか。
言葉どころか反応すらまともに返せず硬直した彼―――青城男子バレー部副将、岩泉一を認め、彼女は一瞬瞳を見開くと、その視線を僅かに泳がせた。それからへらり、観念したような笑みを浮かべ、傾げるような会釈を残した少女は楚々として背を向ける。

その気の抜けるような笑みは確かに岩泉が知る彼女の―――名字名前のもので、しかしそれ以外、結い上げた髪も施された薄化粧も純白と黒のコントラストに映える肌も、彼が知る彼女とはまるで別人のようで、鮮やかな残像が網膜の裏に焼き付いて離れない。

「…まじかよ、」

思えば彼女と初めて関わったその時も何度口にしたか知れない台詞をほとんど無意識に音にする。そうだ、自分の知る名字名前は、ごく普通の女子生徒に見せかけたとんでもない思考回路の持ち主で、クソ真面目に見当違いで、やることなすこと奇想天外で予想の斜め上を全力疾走してゆくような変人だ。
変人の、はずなのに。

しかし彼の心臓は主張する。友人に呼び止められ、何事かを話している女子生徒は確かに自分も知る名前で、しかし自分の知っている彼女ではない。
消えない残像が追い打ちをかける。吐いた息の熱さに思わず唇を引き結んだ。

その高揚はコートの上、数点の差を追いかける試合終盤、託されたトスに助走を踏み込む寸前にも似ていて、しかし棒立ちになる体が帯びる熱と心臓の疼きは、試合中のそれとはまるで別物だったのだ。







さて、突然申し訳ないが、皆さんは「馬子にも衣装」という言葉をご存じだろうか。

正直うろ覚えだった私が電子辞書先生にお聞きしてきたところ、その意味するところは「どんな人間でも身なりを整えれば立派に見えることのたとえ」だそうだ。昔の人は偉かった。この古い諺は現代社会でも適用可能にして、現在の私の状態をこれ以上なく適切に表現している。

「ねえ、いいじゃんちょっとだけ!」
「いや…その…」

次いで皆さん、「可愛いはつくれる」というフレーズをご存じだろうか。

そうとも、文化祭マジック×メイド喫茶コス×JKの本気の悪ノリというフルコンボは、クラスで十番目の可愛さなアイドルグループ様の足元にすら及ばないクラス女子ランク圏外代表なモブですら立派な釣り餌、げふんげふん、いや売り子さんに擬態させてしまえるというアレである。事例が具体的かつ長過ぎるというクレームはこの際全無視させて頂きたい。なんせさっきから冷や汗が止まらないのだ、クレーム対応なんぞしてられん。

「せっかくの文化祭なんだからさあ、こんなとこで看板持って立ってるだけって勿体ないって!」
「いえ、ちょっと、そういうのは…っ」

とりあえずアレだ、そう、この人たちは眼鏡を買うべきだ。いい眼科を探してもいい。なんなら美術館巡りでもして審美眼を養うべきだ。ちょっと探してくるから、イイ感じにフェルメール展とかしてる心洗われる美術館探してくるから。
でなければ聞きたい、なんだってこんなモブを引っかけようなんて思ったんだ。お前らの美観どうなってんだ!




さて今一度現状を整理しよう。

本日は青天、青葉城西第83回学園祭「青葉祭」二日目午後。場所は第三棟二階の三年フロア、廊下と階段の踊り場との境目。
私に宣伝看板を押し付けるなり、「お前客引きな!」とみたらし団子と包丁片手に(※逆手)ニッコリ笑った友人(調理担当)に命の危機を感じつつ出陣した客引き任務にあたる私はそう、少女漫画もびっくりのお約束衣装・メイドコスに身を包んでいるのである。

事の発端は無論「メイド喫茶やろーぜ!」ってなノリで始まった文化祭準備なわけだが、思いのほか数の集まった衣装をクラスの可愛い子に順繰りに着せていったところ、余ったのがこの一着。他の子たちの纏うそれに比べて丈も長くデザインも地味なそれに、何を思ったか「清楚系も必要だよね!」なんて可愛い声でのたまった委員長が白羽の矢を立てたのが何を事故ったかこの私。

頭の中の名字さんは全力抗議に乗り出した。そうとも、調理担当として早々にヘッドハンティングされた隣の友人に真顔で爆笑(矛盾しない)されながら、「ちょっと名前清楚って日本語に謝れ」と言われ心を折られつつ必死で抵抗したさ。オイそこ笑うな、どう考えても人選が事故なのは私が一番わかっとる。

しかし可愛い女の子たちに頼まれてノーを貫ける私ではない。なんてったってフェミニスト、嘘ですノーと言えない日本人なだけです。いや幸い丈もキリキリのミニスカじゃないし、胸元も鎖骨までしか出ないし、なんなら当日マスクでもしてりゃモブ一号を貫けるだろうと思ったのだ。
そう信じたあの時の私は助走つけて殴りたいほど馬鹿だった。普段一切女子力を見せてこない能ある友人たちの隠した爪は恐ろしく鋭利だったのである。

当日になってとっ捕まるなり押し込まれた椅子の上、あれよと言う間に髪を結われて化粧をされ、「おーいいじゃん見れる見れる」「馬子にも衣装、残念にもメイド服」とさんざん言われ、興味津々なクラスメートたちまでに晒し者にされた私の気持ちがわかるか。途中で逃げようとすれば調理用の包丁が太陽光をさんさんと浴びて光るんだぞ。私の!気持ちが!わかるか!頭の中の名字さんが膝を抱えて泣いていた。

それだけで終わればよかった。聞いてほしい、その仕打ちを経ての今である。
地味が地味なメイド服着て客引きするという羞恥に耐えながら廊下の端に立って二十分、何を思ったか声をかけてきたのは他校であろう私服姿の男の子たち数名。「え、メイド喫茶あんの?」なんて言うからクラスの場所を聞くのかと思いきや、名前は何だラインしないか、まるで関係無い文句と共に軽く取り囲まれたそれを何と形容するべきかはモブであっても理解できる。驚いてくれ、これがナンパだ。多分。…待ってカツアゲ?カツアゲだったりする?

いやだってナンパって少女漫画にしかないと思って生きてきたんだよ、メイド服着せられて教室追放された挙句ナンパに遭うなんて人生のどこで経験すると思うんだよ。頭の中の名字さんがヒキニートになりそうな勢いである。いや耐えて超耐えて、せめてギャン泣きするくらいの努力して!

「ちょっと抜けたって誰も文句言わないって。ホラ、校内ぐるっとしてれば宣伝にもなるじゃん?」
「っ…、…っ」
「おっま食いつきすぎなんだよ、怖がってんだろー」

けらけら降ってくる笑い声で脳天に穴が開きそうな思いがする。鼻先・目の下まで引き上げた看板で表情筋の引きつった残念な顔を六割は隠蔽したものの、事態の根本的な打開策は何一つ思い浮かばない。
いや本当なら言えばいいんだよ、エッこのモブひっかけるんですか趣味大丈夫ですか、うちのクラスもっと可愛い子いるんで本店行ってもらっていいですかって言えば一発なんだって。でも言われたんだよ真顔の友人with包丁に。

『黙って笑って突っ立ってろ。お前は喋ると阿呆がバレる。』

皆さんわかりますかこの言葉の暴力が。そして一切否定できない私の残念さが。

しかし確かに私の失態でクラスのイメージを損なってはならない。売り上げ大事。貢献は必須。なんせ嘘もつけなきゃ空気も読めない、真面目に話したってボロも阿呆もダダ漏れなのだ。棒立ちお口ミッフィーさんの方が客寄せとしてどれだけ効率的かという話である。

とは言えよく考えれば相手はチャラ男軍団、しかも私みたいなモブに声をかけるような見境なしの一団だ。あんな可愛い子たちの揃った教室までご案内してしまう方がリスクとなりうる。

となればいっそ看板を放棄してこの顔面を晒すべきか。エッそれが一番早くない?よく見りゃモブじゃんツマンネぺっぺってならない?
いや待てしかしチャラ男でもこんな貧相な撒き餌に引っかかってくれたお客サマ(暫定)だぞ?私の一存で追い返していいのか?教えておじーさん、いや頭の中の、

「名字さんッ!」
「ファッ!?」

エッ待ってびっくりしすぎて変な声出た、頭の中の名字さんが可愛い声に呼ばれて小躍りしとる。やめろ踊るなちょっとは落ち着け。
がばり、声のした方を振り返る。誰だこんな状況で私を呼んでくれた救世主(暫定)は。しかも声めっちゃ可愛い―――って、

「「「かっわ…!」」」
「えっ?」

可愛すぎて思わずチャラ男ズとハモった。今だけは心を一つにしても良いと思った。きょとりとする彼女に身悶えしそうになるが如何せん言ってる場合じゃない。いつかの突進より可愛らしい足音と共に駆けてきたのは何を隠そう、我が校きってのイケメンバレー男子とその男前な相棒の幼馴染にして私の隣席の悪友の彼女、文化祭仕様(※和装)のモノホン美少女だったのだ。

「この子に何か御用ですか?」
「ちょ、まっ、」

効果音をつけるならきりり、そんな表情と共に警戒心剥き出しで言った彼女は、こともあろうに私を庇うように進み出る。いや待ってくれ賭けてもいい、その御用は今私なんぞの人造雰囲気美人(モブ)からあなたの方に切り替わったに違いない。なんせ学年一の容姿が纏うは柄も色も本格的な着物、眩しいほどに白いうなじと艶やかな黒髪に加え、素材の良さを際立たせる絶妙な化粧は女子でも惚れる美しさなのだ。

飛んで火にいる夏の蝶。これは断じて虫とは呼べぬ。慌てて彼女を引っ張り男共から距離を取り、ミニマムの音量で叫んだ。

「ああもうどうして来ちゃったの、火もびっくりな蝶々さんだよ!」
「(えっ蝶々さん?)だって…!名字さん囲まれてたのに放っておけないでしょ!」

やだもうこの子いい子過ぎる、これぞ少女漫画、否いっそ少年漫画のヒロインではないか。むしろ何故このモブを主人公にした。代役を!所望すると!何度言えば!
閑話休題。

だが事態はそう悠長に構えていられない様相を呈しつつあった。チャラ男どものロックオンが光の速度で矛先を変えたのは火を見るよりも明らかだったのだ。

「え、もしかして君この子の友達?」
「すげぇ美人じゃん、そっちもカフェかなんかしてるの?」
「わ、私は」
「かわいいねー着物、似合ってるー」

デスヨネー!お約束の展開に眩暈がしそうだ。じりり、狭まる包囲網を前に頭を抱える。エッもう喋っていい?ミッフィーさんやめていい?だってその子彼氏いるんです、超ベタ惚れのくせして格好つけで中身ヘタレの彼氏がいるんです。あんたらがちょっかい出そうもんならシメられるの私なんだぞ、傍にいながら何してたんだゴルァって後で絶対呼び出しなんだぞ!
「ねえ名前なんてーの?」
「君が代わりに一緒に回ってくれるならこの子放してあげてもいいけど?」
「ちょッ…!」

おっそれいいじゃん、そうすっか。ニヤニヤ浮かんだ笑みにぞわり、本格的に鳥肌が立つ。嘘だろこんなわかりやすいナチュラルクズが現実に存在するとか聞いてない。人類の可能性を感じた。いやそれどころじゃない落ち着け私。

満場一致で見下ろしてきた連中の一人が彼女の肩に手を伸ばした瞬間、私はフリーズした彼女をほとんど反射的に引き戻していた。そのまま持っていた看板を押し付けるようにして彼女の体を背後に押しやる。

「名字さ、」
「いいからここいて」

ええいままよ。頭の中の名字さんが腹を括る。このままミッフィーさんでいてシュークリームの申し子に殺されるか、ミッフィー解除で調理担当の友人に刻まれるか、どっちにしても茨の道なら出せる答えは一つだ。
私なんぞを庇い立てに入ってくれた可愛い女の子を、みすみすチャラ男に渡してなるものか。

「すみません、この子彼氏いるんで、ちょっかい出すのやめてもらえますか」
「は?」

チャラ男が一瞬ぽかんとする。それはそうだ、さっきまでカオナシのごとく単音節しか発語していなかったモブ代表が突然ナマイキな口を利き始めたら私だって驚く。実際カオナシがカエルさんの声で話し始めた時は液晶の前でビビり倒したわ。
だがこの勢いを殺してはいけない、ここで彼女を諦めてもらわねば後で花巻に殺されるのは私である。

「本店までご案内します。彼女は関係ありませんから」

ここはもう教室まで誘導という名の連行に乗り出し、本拠地本丸で迎え撃つしか他あるまい。考えてみればあそこにはあしらい上手のサバサバ系女子に始まり逆手包丁の料理長(※友人)が控えているのだ、余計な無体は働けないだろう。なんなら担任を呼びつけるという最終手段も残っている。

だがしかし学年一の美少女を見つけておいて、モブにすら声をかけるようなチャラ男どもがハイそうですかと納得するわけがなかった。事務対応に乗り出すタイミングをミスったらしい、へらへら笑っていた男子生徒らの顔から笑みが消える。

「うわ、いきなり塩対応とか」
「つーか正直そっちはもう興味ねーし」

地味はすっこんでてくださーい。
嘲笑と共に距離を詰められ、身構える間もなく掴まれたのは右肩。回復途中の青痣の上、咄嗟に走った鋭い痛みに呻き声を殺し損ねた。
身体が強張りバランスを失う。押しのけようとしてだろう、手加減なしに加わる力で顔がゆがんだ、その瞬間だった。

「おい、」

がしり。衣擦れもまとめて握り潰すような音と共に、肩に加わる圧が消える。ぼすり、ぐらついた体が横倒しにぶつかった何かはしかし、揺らぐどころかやすやすと私を左肩から受け止めた。

助かった。現状も何もわからないまま理解したのはそれだけで、しかし同時に降ってきた地を這う低音、怒気滴る声音にはいささかならぬ覚えがあった。

「―――気安く触ってんじゃねえぞ、てめぇ」

チャラ男の手首をぎりりと締め上げる大きな手、見上げた先の剣呑な眼差し。
骨ばった指の分厚い掌に、痺れる右肩を庇うように包まれる。雷光迸るとはこのことか、鋭い一瞥が相対する一団を一瞬で竦み上がらせる様に思わず息を呑んだ。

「い、岩泉くん…」

何故彼がここに。駆け抜けた既視感の理由は言うまでもない。一瞬手元にトイレブラシinバケツがないか確認したのも仕方なかろう。だが状況はまるで違う、あの時私は容疑者Xで彼はそれを追う熱血刑事で、彼女はその相手役となるヒロインで、

「エッそしたら花巻は噛ませ犬…!?」
「お前の頭ン中で何が起こってっか知んねーけど、多分ちげぇ」

実に冷静な声に否定され一瞬錯乱する。いつの間に現れたのか彼女を引き寄せ背に回した花巻には、「この期に及んでこれだから名字は…」とため息をまで頂戴した。だってそうだろ、彼女がヒロインだと花巻あんた失恋決定だろ、絶対幼馴染ズの一騎打ちだろ。

そんなめくるめく四角関係に戦慄していれば、渦中の学年のアイドル・キャー及川サーン(同クラ)が、「すみませんねぇ、うちの店そういう声かけ禁止してるんですよ」とお馴染みの爽やか100%な笑顔で割り込んできた。女子が色めくイケメンスマイルと人好きのする明るい声が爽やかな恐喝に聞こえたのは気のせいだろうか。

それを見た頭上の彼がふっと息をついたことは、触れたままの胸板に伝わる振動から理解した。寄り添うようにしていた大きな体が一歩下がって距離をつくる。

パーソナルスペースは帰還したはずなのに、ログアウトした冷静は戻ってこない。もう誰の手も触れていないはずの肩が、異常に熱いのはなぜなのか。

「名字、肩平気か」
「へっ」
「思いっきり掴まれてたろ」
「…あ…」

言われて反射で手を遣るも、思い出したのは痛みではなかった。そう、確かに掴まれたときは痛かったのだが、その後は。

「…いや、今はもう、全然…」
「そうか」

ならいい。
つん、と尖らせた唇の素っ気ない言葉と共に、不機嫌にも見える仏頂面が明後日の方向に視線を投げる。けれどくしゃり、伸びてきた大きな手に結ってない前髪を握るように撫でられて、思わず硬直した視界の先、ふっと表情をゆるめた彼の瞳の色に息を呑んだ。

「名字さん大丈夫?ごめんね、私が余計なことしたから…肩痛めてるのに、」
「あ、うん、そうなんだけど…」
「?」

すでにこちらに背を向け、チャラ男軍団を撃退したらしき及川くんと何かを話す彼を見詰める。じわり、温度を増して駆け上る熱に思わずぎゅっとエプロンを握りしめた。

不思議だ、あのチャラ男なんぞより岩泉くんの方がずっと逞しい手をしていて、力も強くて、なんなら痣だって彼によってこしらえられたのに。
少しも怖くも、嫌でもなかった。

「…なんだろ、岩泉くんの手、魔法でも使えるのかな」
「えっ?」

肩だけが持っていたはずのあの熱が、心臓を真下から焦がしている。
鷲掴みにされたみたいなそれが送り出す沸騰しそうな血潮が、どうにもこうにも頬の熱を下げてくれないのだ。


170331
渾身の砂糖醤油(比率1:9)。

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