short | ナノ


▼ ガラスの靴を履く王子



「よっマナちゃん飲んでる?」
「あっ、はい」
「えー全然グラスなくね?飲み放題じゃん、もっと飲みなよ!」
「でも、あんまり強くないんで…」
「ダイジョーブダイジョーブ、これそんな強くないし」

人の良い笑みの下に隠されたのは計算高い策略、グラスになみなみ注がれるのは度数8パーセントの下心。白熱灯のもと琥珀色に揺らめく梅酒のロックを前に、アッシュに染めたボブカットの下で小さな顔が途方に暮れる。ようやく空にしたばかりのグラスを再び一杯にされるのは今のですでに三度目だろうか。それでも相手はサークルカースト最上位に位置する上回生男子の一人、下手に口答えするほど彼女に度胸はない。

すでにかなり酔いが回っている自覚はある。意識がふわふわしかけているのを何とかつなぎ止めているに近い。それでも先輩の目がある以上、これで最後と覚悟を決める他ないと、律儀にグラスを手に取るあたりが彼女の甘さを物語る。

しかし彼女がグラスを手にした瞬間、隣から伸びてきた長い腕が躊躇い無くその手からアルコールを抜き去った。そしていっそこっちが間違ってるのか一瞬考え込むほどの自然さで口をつけ、一気に傾け空にして見せたグラスを彼女の前に戻す。

「えっ」

ごとん。グラスを置く音が心なし大きいのは、彼女を挟んで一つ向こうで驚きの目を向ける男に対する牽制だろう。
しかしその手の持ち主は男に一瞥もくれることなく、ボブカットの彼女だけを見やり、淡々とした口調で言った。

「迎えは呼んだの?」
「え、…いえ、まだ…」
「もう飲み放題一時間しかないし、そろそろ呼んだ方がいいと思うよ」
「、」

マナと呼ばれた彼女が瞠目する。言うなり興味を失ったように手前にあった唐揚げをつまみ、もぐもぐと咀嚼していた隣席の主は、不意に後輩のボブカットを見やると付け加えて言った。

「次はちゃんと断りなね」
「!…は、はいっ」

後輩から向けられる尊敬と憧憬の眼差しにゆるく笑み、苦虫を噛み潰したような顔で自分を睨む同輩には目もくれず、彼"女"は平然とした様子で自分のグラスを傾ける。

いっそ男より王子様。その一連の少女漫画的やり取り――ただしヒーローも女子――を斜め向かいから終始静観していた青年は、誰にも気付かれないよう深々と溜息をつき、自分のグラスに口を付けた。ご紹介しよう、彼の名は松川一静である。

飾り気のない黒髪、細身のスキニーに合わせたシンプルなノースリーブ。華奢な体躯と色白の肌にはパステルカラーも似合うだろうに、近寄りがたい武骨な黒を纏うのは彼女の趣味だという。
いつかある男子が女子はやはりスカートを履くべきだと主張した際に、彼女、名字名前が敵意もないが遠慮もなくそれを切って捨てたのは軽い伝説だ。

『女がみんな男のために着飾ってると思ったら大間違いだ』

なんとまあ可愛げのない切り返しだろうか。その男を切り捨てるどころか同姓まで牽制する物言いに、気まずい思いをしたのは男性陣だけではない。トレンドに靡かず貫かれたパンツスタイルの名字さんを前に、見るからに男受けの良い流行の服に身を包んだ女子が数名、話題から外れるように身を引いたのは記憶に鮮やかだ。

モノトーンのボーイズファッションも愛想の乏しい物言いも全くもってタイプじゃない。俺が好きなのはもっとふわふわした、高校からの腐れ縁共に言わせりゃ「典型的」な女の子のはずだ。
そのはずだったのに、気づけばオちていた。鮮やかな陥落だった。誰だ好きなタイプと実際好きになるヤツは違うとか言ったヤツ。なんだその罠と叫んでやりたい。

その揺るがぬ立ち振る舞いか、それでいて周囲への気配りを欠かさぬ細やかさか。今となっては惹かれる要素など指折り数えられる分、初めに何に惹かれたのかは迷宮入りという始末である。恋愛は人を馬鹿にすると思う。

「松川どうした?テンション低くね?」
「あー…いや、何も。悪い、トイレ行ってくるわ」
「?おう」

名字さんから目を離し、友人に一言断り座敷を離れる。一旦離脱しクールダウンを図ろう。比較的静かな廊下に遠慮なく溜め息を吐き出した。

当然というか、「男要らず」を地で行くような彼女へのアプローチは難航している。なんせそのエピソードはあの岩泉さえ感心させたのだ。岩泉が素で豪快な男前とすれば名字さんは気遣い上手なイケメンといったところか。なんら喜ばしくない二項対立。
案の定飲み会に赴いた今日も、彼女に良いところを見せるどころか、むしろどうすれば女をオトせるか実践講座を受けている気分である。酒に弱かったりしてくれないかと淡い期待を抱いてみるもいっそ清々しいほど予感を裏切らず酒豪ときた。意中の女子に格好良いところを見せるどころか、男以上のイケメンぶりを見せられるとかどんな屈辱。

今一度対策を考えるべきか。考えつつ用を足して戻ろうとしたその帰りの廊下、しかし俺は思わぬ遭遇に歩みを止めた。
壁際をゆっくりとした歩調で歩く華奢な影。細身のスキニーに包まれたすらりとした脚をとめ、軽く息をついて壁に背を預けた彼女に、俺は突然騒ぎ出した心臓を抑えつけつつ歩み寄った。

「…名字さん?どうした?」
「、松川くん。お手洗い?」
「うん、もう戻ろうとしてたところだけど…」
「そっか。私も今行くところ」

こちらを見上げてしっかり返答する姿には、泥酔どころか軽い酔いの兆しすら伺えない。しかしよく見ればその頬は蛍光灯の所為にするには余るほど蒼く透けていた。いっそ酔って朱い方が安心する顔色に眉を潜める。

「名字さん、体調悪かったりする?すげぇ顔色悪いけど」
「いや、体質なんだ。意識は酔わないんだけど、体がついてこないっていうか」

平然と告げられた事実に顔が引きつりそうになった。マジでか。素面でグラスを何杯も空けていたから完全に酒豪と見ていたが、どうやらそうでもなかったらしい。さらっとした口調だが顔色が死人な時点で笑えない。それで他のヤツの酒まで空けてたのか。

ふ、と息をついた彼女が目を伏せる。ゆっくり瞬く長い睫、その向こう側の透けた肌に映える口紅の色が、鳴りを潜めた下心を呼び起こした。これってまさかチャンス、なんて考えが過ぎるのは許して欲しい。病人(?)相手とわかっていても俺だって健全な大学生なんです。

「…トイレだよな、付き合う」
「え、いや平気だよ。言うほど辛くないし」
「なんかあってからじゃ遅いだろ。ていうか壁伝いに歩くくらいなら腕貸すって」
「…、」

まじまじと見つめてくる名字さんに無言で腕を差し出す。待ちの時間は軽い苦痛になった。だってこれで断られたらめっちゃ恥ずかしいヤツだろ。
何か言うべきか、思って言葉を探したその時、「じゃあ、」という声とともに華奢な手が腕に乗った。うわ、マジか。

「お言葉に甘えようかな」
「…どーぞ」

なんとか声は上擦らなかった。可能な限りのいつも通りで笑みを返す。肩の下で笑った顔はやや緊張ぎみで、ちょっとは意識されてたりするんだろうかなんてこっそり期待したが、それも束の間。
そんな都合のいい期待を素で破り捨てるのが名字クオリティである。

「いやー助かるよ。実は割と吐きそうでさ」
「そういうことは先言ってくんない!?」
「あ、クる。多分クる」
「タンマタンマあと一分待って!」

嘘だろこの子。真っ青な顔で真面目に言う名字さんに目眩がした。頼むから体調とテンションを一致させて欲しい。
ふらふらと覚束ない足元にやきもきしながら何とかトイレに辿り着く。ヤバかったら絶対呼んで、と念押しすると、すでにかなりキているのか、頷くことなく手でOKを作った彼女はドアの向こうに消えていった。
確かビルの前に自販機があったはずだ。ポケットに財布があるのを確認し、俺は店員に一言断り急いで店を出た。



「、あれ?」
「あ」

座敷を模した居酒屋らしく廊下に設けられた縁側に腰掛けること五分、ゆっくりとした足取りでトイレから出て来た彼女は、俺の姿を見て目を大きくした。
まだいたのかとでも言いたげな彼女に、買ってきたばかりのミネラルウォーターを振ってみせる。そのまま彼女の方へ差し出せば、名字さんは戸惑った様子のまま受け取った。

「悪い、戻ってると思ってゆっくりしてた。わざわざ水まで」
「いや、俺が勝手に心配しただけだし。気分ましになった?」
「だいぶ。けどもう少し涼んで行くよ。あの子も迎えが来たみたいだし」

ラインのトーク画面の浮かぶスマホを見せ、彼女は穏やかに笑った。そこには先ほどのマナと呼ばれた可愛らしい後輩からだろう、彼女に感謝を告げる吹き出しが踊っている。
しかしその代償は安くあるまい。ゆっくり体を折って俺の横に腰掛ける横顔は変わらず透けるようで、素直に喜びを共感する気にはなれなかった。別に隙のないイケメン具合にヘソを曲げてるわけじゃない。そうだとも。

「…にしても、そんなになるまで助けることはなかったんじゃない?」
「あの子、彼氏が出来たばっかりらしくてね。お持ち帰りは頂けない」
「あー、そういう…親しいの?」
「いや、名前しか知らないな」
「…」

縁側に吹き込んでくる夜風が涼しい。ペットボトルを傾ける彼女の、細く生白い喉がゆっくり上下する。黒髪に映えるそれから思わず目を逸らすも、すでに焼き付いた白は間違いなく目に毒だった。
一度ドツボに嵌れば抜け出せない。なるべく目に入れないようにしていたはずのむき出しの肩と二の腕が、視界の端に白く閃くたび落ち着かなくなる。それは何も俺だけにかけられた魔法じゃない。廊下を進んでゆく大学生風の男らの視線がその透けるような肌を這うのが見えて、いっそ歯噛みしたい思いに駆られた。汚ねー目で見てんじゃねーよ畜生。あーもうなんでノースリーブなんて防備性の低いものを。

「、え」
「…結構冷えるから、ここ」

着ていたジャケットを脱ぎ、無言のままその華奢な肩を覆う。驚いた顔でこちらを見る名字さんに黙っているわけにもいかなくて、目も合わさないまま紡いだ言葉はまるで言い訳のように響いた。しばしの沈黙。衣擦れの音。そっと見やったそこには、ジャケットの襟を胸前に引き寄せる彼女の姿。
ぱちん、視線が合って、俺を見た彼女はゆるりと笑ってみせた。

「やさしーね」

あー、もう。知ってたけど、わかってたけど。
俺めっちゃダサい。

「…ごめん、白状する。ホントはちょっとカッコつけて、名字さんに近づけないかなとか思ってた」

零したのは半ば自棄になったからだ。こんなに純粋に笑われてしまっては抱く下心も罪悪感に変わろうて。
きっとグラスを片付けたのはあの彼氏ができたばかりだというボブカットの後輩のためだけではあるまい。女癖が悪いと聞く同輩や先輩から離れた席に友人を置き、彼女自身は一番割を食うような席に座っていたのは確認済み。名字名前とはそういう人物だ。そしてそんな彼女と酒の席に乗じてどうこうなろうなど、初めから勝算など皆無に決まっていたのだろう。

再び流れる沈黙。けれど今度は痛いほど視線を感じて、ほとんど無理やり名字さんの方を伺った。肩幅の余る上着を肩に羽織った彼女は、普段は涼やかな双眸をぱちくりさせてこちらを見詰めていた。そうして不意に俺のジャケットを見下ろし尋ねる。

「これも?」
「それは、…さっき通ったヤツがじろじろ見てたから」

ごめん、俺も見てたけど。流石にそこまで自白するのは自爆行為かと押し黙るも今更か。なんせ彼女のように打算なき正義のヒーローの隣に、同じく清廉潔白な身で立てる要素など俺にはほとんど残っていまい。

あーもう俺ほんとダサい。ぐんぐん落ち込む気持ちにため息が出る。けれどその時、薄着になった俺のシャツをちょんと引かれる感覚がした。ぐるり、首を回せば、俺の裾を摘まんだまま、桃色の唇をちょっと開き、言葉に迷うように閉じる名字さんの姿。

視線がゆっくり泳いで数秒、再び俺を真っ直ぐ見つめた王子様は、いやに真面目くさった顔で言った。

「でも私、彼氏いないから問題ないよ」
「……へ」

間抜けに零れた感嘆詞、本日何度目かの沈黙。蒼く透き通っていた彼女の頬に、ほんの少し赤みが戻ったのは偶然か必然か。
答えはゆるり、真面目な相好を崩し、ちょっと気恥ずかしそうに笑った彼女の姿から察する通りでいいらしい。

151219

野波様に愛を込めて。

prev / next

[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -