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声を掛けるか掛けまいかで悩む間に見慣れた姿は雑踏に紛れ消えようとする。この機会を逃したらもう二度と、彼には会えない。そんな気がして千鶴は声を張り上げた。

「待って、下さい」

勇気を振り絞って声を掛けたはいいが、それは彼の耳に届くにしてはあまりにも小さすぎる。自分の佇む場所から彼まで距離があるのも原因かもしれない。千鶴は意を決し再び口を開いた。

「私あなたときちんと話せていません…!」

その切なる呟きは彼に果たして届いたのか。先程は取り巻く雑踏らに邪魔され聞こえなかったみたいだが今はちゃんと聞こえたようだ。暫しの間を置き訝しそうに切れ長の眉を顰め辺りを見回す。静謐な水面に似た双眸に桃色を捉え彼にしては珍しく目を見開いている。

「…何故ここに?」

彼の声を聞くのはおよそ二ヶ月ぶりだろうか。自分の姿をしっかりとその瞳に映してくれている事実に千鶴は思わず涙しそうになった。が、堪えて斎藤の問いかけに返答する。

「この街の旅館に住み込みで働かせて貰っているんです」

「そうか」

素っ気ない反応でも千鶴にとっては何事にも代え難いくらい嬉しかった。斎藤は僅か顔色を曇らせる。そんな斎藤の様子が気にかかったのか首を傾ける千鶴。

「会津は戦が終わり混乱の最中にいる。そういった状況の中であんた一人ここに逗留するのは危険だ」

淡々とした口調だが自分のことを心配してくれている斎藤に千鶴は声を詰まらせた。

「斎藤さんのいない二ヶ月は私にとって空虚な日々でしかありませんでした」

血を吐くような裂帛なる情が込められているその台詞に斎藤は、ぴくりと眉を跳ね上げさせた。それはまるで溢れ出るなにかを押さえつけるようにも識れる。

「俺はあんたに何もしてやれない。だからこれ以上、構うな」

突き放すような斎藤のそれに若干、傷ついたのか千鶴は唇を強く噛み締め反論を口にしようとする。だがそれすらも斎藤の有無を云わさぬ眼差しに封じ込められて。

「何もしてくれなくていいんです。ただお側にいるだけで私は幸せですから」

必死さを孕みどこか痛々しげにも感じられる彼女の言葉。斎藤は深くため息を吐き瞑目する。

「何回言っても分からないなら勝手にしろ」

説得するのを諦めたのか斎藤は険しい顔つきのまま千鶴を見遣り、やがて背を向けた。

「いつかお会い出来る日を心待ちにしています。どうか御武運を」

自分に背を向け歩き出そうとする斎藤目掛けて千鶴は叫ぶ。斎藤はそれに応えずただ前を見据え目指すべき道へ歩を進めるのだった。




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