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暁降
広い厚い胸板に包帯を巻くのも手慣れたもので、毎度ながら上手に巻けたと伊作は自然と口を綻ばせた。
「本当に君は忍者に向いてない」
突然にも聞き慣れた台詞に言い慣れた返事を返そうと顔を上げる。
向き合ったその目には常と違う色が伺えた。
「…? どうかしましたか?」
「いや。ただ少し考えていてね、」
そう言って雑渡は低い声を詰まらせた。
間近から外された視線を追って伊作は包帯を巻く手を止め言葉の続きを待つ。
じり、と灯が揺れる音がわかるほど静かで長い時間に思えた。
「私はあの夜、あの時に君だと気付いたから退いた」
静かに戻された視線と合うと同時に大きな手が首を撫でた。太刀を思わせる冷たさは幾千もの死線を潜ってきた証なのだろう。
自分に当てた刃を、他人には数え切れず轢いてきた手の冷たさ。
「相手が私じゃなかったら、君はきっと死んでいた」
今日の雑渡はいやに饒舌だ。
爛れた唇は心なしか震えている様に見えたが、伊作はそれでも淡々と紡がれる言葉に耳を傾けた。
「敵から目を逸らしてはいけない。忍ならずとも、闘いの場ではそうでないとすぐに首をとられる」
つ、と斬る様な仕草で首をなぞった手は頬を掠めて髪に絡んだ。
「知っているだろう」
「知っています。でも」
命を捨てる覚悟はあった。
今生きているからそれで良いなどと結果で語れるほど軽佻ではない。恩を返されたといえ生かされた身だ。
言い訳だなんだと言われても、どうしても忍として真っ当しなければならなかった。
「乱太郎を無事に走らせる事が、あの夜の僕の忍務でしたから」
走る背中を見て安心してしまいました、と伊作は苦笑する。
雑渡は一つ溜息を吐いて、憂愁の色を湛える目を細めて笑った。蜜色の髪が指の間を擦り抜けていく。
「やっぱり向いてないね」
「どんなに向いてなくても、僕だって一応忍者なんですよ」
「忍者のたまご、だろう」
「…卒業して、一人前になれるよう頑張ります」
「あぁ、まず卒業からだね」
何年かかるかな、といつもの調子で茶化す雑渡に、伊作はふふと笑いながら包帯を巻く手を進めた。
先程途中になってしまった胸に触れると、冷たい手とは違う雑渡の熱を感じて安堵する。鼓動の聞こえる距離は酷く心地良かった。
「その時を楽しみにしているよ」
できるなら、自分が卒業するまでこの距離が変わらないでほしい。
そう切に願うのを、雑渡は見透かした様にまた笑った。
(夜が明ける)