? 登場人物 ¿

メリー・ゴーラ





嫌なものはしまっちゃう話。








 嫌なもの。見たくないもの。

 全部この箱にしまっちゃうの。

 そうすればほら。また笑っていられるでしょう。










 陽気なな音楽が聞こえる。目の前を走っていた女の子が、小石に躓いて転びそうになる。
 咄嗟に手を伸ばしたけど、それも虚しく女の子は地面に顔面から突っ込む。そこで気付いた。ああ、これは夢なんだと。
「遊園地の夢なんて、いつぶりかしら」
 夢、と呼ぶにはあまりに奇妙な感覚ではあるけども。思考もハッキリしているし、身体も思い通りに動く。
 こういうの、なんて言ったっけ。確か、前に夢の話をした時にロキが言っていたような気がする。
「め……メイセキム、だったかしら」
 まぁ、そんなことはどうでもいいのだ。せっかく自由に動ける不思議な夢なのだから、色々見て回るのも面白そう。
「いっ……たぁ……」
 足元を確認せずに歩き出したのが悪かったのか、何かを踏んでしまったらしい。足の裏に痛みが走る。そこで覚える違和感。
 夢なのに痛みを感じる。いや、違う。もっと強烈な違和感。
「足の裏が……痛い?」
 普段の自分の脚ではほとんどありえないことだ。脚の先についているはずの蹄で何かを踏んだところで、痛みなど感じたことはない。
 ゆっくりと足元を見てみる。そこにあるはずのものは無く、代わりに無いはずのものがあった。
「……わぁ」
 白い陶器のような細くて、柔らかそうな足。
 見慣れた馬の脚はそこに無く、ワンピースから覗いていたのは紛れもなく人間の足。
「すごーい、本物の足だ! 夢だからかな? わ、すべすべだー」
 その場でしゃがみこんで夢中でぺたぺたとその足を触った。人目なんて気にしない。だって夢だもの。
 ふと、目の前を赤色が過ぎる。自然と目がそれを追った。
 ふわふわと揺れる、赤い風船。同じようにふわふわ揺れている、フリルの施された赤いワンピース。
「次は何に乗りたい?」
「あのねえ、あれ! お馬さん!」
 仲良さそうに手を繋ぐ親子。はしゃいでいる幼い女の子は、中央にある大きなメリーゴーランドを指さした。
 気付いたら、その親子を追っていた。止めなくちゃ、あの子を。
 あのメリーゴーランドに乗ったらダメなの。ダメ。
 私はあれを知っている。私は、あれに乗っていたのだから。
 乗ったらダメと叫んでも、女の子には届かない。こういう時ばかり、夢っていうのは都合悪く働くらしい。
 お願い、乗らないで。それに乗ったら、私は……。
 音楽が流れて、メリーゴーランドが動き出す。音楽に混じる、ギィギィという嫌な音。
 この先の展開を、私は知っている。だって体験した、あの日。この場所で。
「次の音で馬が止まる……」
 呟いたら、ちょうど回っていた馬が急停止した。乗っていた子どもたちが投げ出される。その上に、降ってきたのは鉄骨や瓦礫。
 楽しげな音楽と、悲鳴と、泣き叫ぶ声が入り交じる。聞いていられなくて、耳を塞いだ。
「……た、す……け……」
 声が聞こえて、顔を上げる。目の前に女の子がいた。赤いワンピースを別な赤色に濡らして、こちらに向けて手を伸ばしている。
「たすけ、て……パパ……マ、マ……」
 伸ばされた手を掴もうと女の子に駆け寄る。色んなものを踏んで足が痛かったけど、そんなの気にしていられなかった。
 でも、掴もうとしたその手はするりと私の手をすり抜けてしまう。
「……どうして……」
 その場に座ったまま、誰に言っているのかもわからないけど、言葉を投げた。
 この記憶は、しまっていたはず。いくつも鍵をかけて、開かないようにして。
 心の奥の、ずっと奥にある、私の箱に。
「嫌だなぁ……私ってばまだあの魔女にやられたの、気にしてるのかな……」
 忘れようと思ってたのになぁ。
 背中に何かを投げつけられた。拾ってみると、それは小さな箱だった。
『もうやめなよ』
 声をかけられる。聞き覚えのある声。いや、いつも聞いている声。
「メリー……」
『いつまで見ないふりしてるの。嫌なことは全部しまっちゃって。もういっぱいじゃない』
 馬の脚をした、10歳くらいの少女。その足に、ほんの少し入った赤い切れ目。
 ああ、そうだ。あれは、ママに脚を切られそうになった、あの夜の私。
『人間の足なんか嫌い』
 そう言いながら、目の前のメリーは私に箱を投げ続ける。私がしまい込んだ、忘れたかった記憶。
 そう、この頃の私は人間の足が嫌いだった。羨ましかったから。
『……でも自分の足が一番嫌い』
 箱を投げる手を止め、彼女はぽつりと呟いた。
 嫌いだと言い続けながら、ノコギリを手に取った。
『パパは私の脚を綺麗だと思っていなかった』
 足元に落ちていた小さな木の箱を、彼女がノコギリで叩き割った。あれは、私がこっそりパパの部屋に入った時の記憶。
 後ですごく叱られた。思えば、この時からパパは私を見なくなったような気がする。
『見たんでしょう、メリー。パパの書いたレポート。キメラの研究。その被検体がメリーだって』
 ……わかってた。でも、認めるのが嫌だった。パパに愛されてないとわかったら、きっと私は耐えられなかった。
 だからその事を忘れた。綺麗な脚だよと言ってくれたパパの言葉だけを信じていた。
「……何も見てないわ。パパは綺麗だから、この脚をつけてくれたんだもの」
『……っ。だったらどうして、今夢に出てくるのが人間の足なのよッ!!』
 彼女が叫んで、今度はノコギリを投げてきた。勢いのついたノコギリは、私の足に深々と突き刺さる。
 不思議と、激痛ではなかった。
『綺麗だと思ったことなんて一度もないくせに! 本当は、人間の足が欲しかったくせに! 自分の脚が嫌いなくせに!』
「……もう、いいの」
 もういいの。意地悪なママも、私を娘と思っていないパパも私の中にはいない。自分が嫌いで、周りを羨んでいる私もいない。
 みんなみんな、箱の中にしまってしまえばいい。しまって、忘れれば私はずっとパパとママを――。






「――……」
 視界がぼんやりしている。瞬きをすると、何かが目からこぼれた。あれ、なんで私、泣いてるんだろう?
「いつの間に寝ちゃったのかしら」
 体を起こすと、また涙がぽたぽたとこぼれた。嫌だな、泣く必要なんてないのに。こんなの、誰かに見られたらどうしよう。
 部屋を見ると、ソファでずっと本を読んでくれていた英介が居眠りをしていた。寝ていてくれて良かった。こんな顔見られたくないもの。
 布団の上から脚に触れてみると、触り慣れた感触がした。ああ、ちゃんと、馬の脚だ。少し動くとズキリとした痛みが足首のあたりから伝わってくる。
「ずっと痛いから、あんな夢を見たのかしら……」
 嫌な夢だった。記憶を掘り返されるような、そんな夢。
 胸に手を当てて目を閉じる。大丈夫。箱の蓋は開いていない。
 しまったものはこぼれていない。それなら私は大丈夫。
 



 嫌なものはしまってしまおう。
 綺麗な小箱に閉じ込めて、大きな木の箱に入れておく。
 星色の鎖を巻いて、お日様色の鍵をかけておくの。
 
 そうして心の奥の奥に隠しておく。
 誰にも見つからないように。

 そうすれば大丈夫。
 ほら、また笑えるから。





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