何十年前のものなのか分からない程に古惚けた絵巻物を広げ、東雲は退屈そうに欠伸をした。自室として使用している部屋の中央に座り込んだ彼の周りにはたくさんの本が積み上がり、絵巻物が散乱している。地獄絵図、狐の嫁入り、百鬼夜行。どの絵巻物にもおどろおどろしく妖が描かれており、見ていて気分が良くなるような代物では無かった。地獄絵図に至っては内容を言葉にするのもおぞましい。

散乱した絵巻物を一ヶ所に纏め、東雲は凝り固まった首をゆっくりと回す。背筋を伸ばせば背骨がみしみしと嫌な音をたてた。幾分か楽になった首を手のひらで擦りながら片手で本を開き、文字を追う。いくら絵巻物や本で妖を調べようとも実際に会ってみなければ妖の本質など見えない。所詮は紙の上に広がる物語だ。


例えば、この地獄絵図に描かれた鬼はまさに“異形”という言葉がよく似合う姿で罪人を追い掛け回しているが、東雲が知っている鬼は人の子に近い姿をしており、様々な武器を手に罪人を追い掛け回したりはしない。鬼とは思えないような控えめな性格で、東雲を主と呼び慕う。世の中には、堂々と悪事を働く妖も居れば、人に見付からぬようにひっそりと身を隠して生きる妖も居る。人も妖も千差万別だ。


「…お前は鬼らしくないなあ、椿鬼(つばき)」

東雲の隣に座り、畳の上に散らばった本などを片付けていた銀髪の少女は不思議そうに首を小さく傾げ、南天の色に似た赤い瞳で東雲を見つめる。銀色の髪に映える椿の髪飾りが彼女の動きと共に揺れ、東雲の中にある爛れた感情がゆらりと頭を擡げた。


「あの…鬼らしくない、とは…」

「地獄絵図の鬼とお前が同じ眷属だとは思えない」

「…絵巻物の鬼と一緒くたにするなんて酷いです、主様…」


絵巻物に描かれたおどろおどろしい鬼と同じ存在だと思われるのが余程嫌だったのか、椿鬼は怯えながら東雲に抗議する。腰に布切れ一枚を巻き付けて罪人を追い掛けるような厳つい鬼ではないけれど、椿鬼は歴とした鬼の眷属だ。角も生えているし、髪や瞳の色彩も人間のそれとは懸け離れている。姿は違えど絵巻物の中に居る鬼とは同胞だった。


「角はあるだろう、ほら」

「えっ、あっ、痛い痛い痛い!本当に痛いです!やめてくださいぬしさま!」

「残念だが俺にはお前の痛みは分からないよ、椿鬼」


生えている角を掴んだ東雲は徐々に、ゆっくりと指先へ力を込める。涙目になりつつ痛みを訴える椿鬼を眺めながら東雲はその唇に笑みを浮かべた。隙だらけというか、他人に対して無防備な表情を見せるところが鬼らしくないと思っているのだが、本人はよく分かっていないようだ。

鬼にとって角は力の源であり、第二の心臓と言っても過言ではないのだが、それを掴んで容赦無くぎりぎりと痛みを与える東雲はある意味鬼よりも鬼らしいのかもしれない。ぬしさまは鬼のようです、と呟きながら涙を浮かべる椿鬼の白い頬をむにゅっと摘まんで伸ばし、東雲は楽しそうにわらった。


「やけに伸びるなあ、お前の頬は。まるで餅みたいだね」

「ひゃめてくりゃはいぬひはま!(やめてください主様!)」

「何を言っているのか分からないよ、椿鬼」


この方は鬼ではなく本当の意味で狐だ、と思っている椿鬼の心を見透かしたように東雲は椿鬼の頬を先程よりも少し強く引っ張り、小さく首を傾げた。

「俺の顔はそんなに狐に似ているかい?」

青褪めた椿鬼が身を震わせながら首を横に振ったのは言うまでもない。