ハイキハイク | ナノ




じんぐるべーる、じんぐるべーる、すずがーなるー。今年もこの日がやって来た、とスピーカーからリピートされているクリスマスソングを聞き流しながら縁は微妙にずれたサンタ帽の端を直した。本部から支給されるクリスマスシーズン限定の、くったりと草臥れたサンタ帽は昨年と何ら変わらず縁には少し大きい。泣く子も引きつり恐怖に震える、極悪極まりない顔つきをした店員のコスプレなど一体どこに需要があるのかという疑問は早々に忘れるべきだと悟ったのはいつのことだったか、縁にはもう思い出すことが出来ない。

支給品の安っぽい仮装で接客をすることには慣れた。しかし、執拗に使い古されたせいで変色しつつある衣装をそろそろ買い替えてほしい。一介のアルバイターがゆえに届かぬであろう切なる訴えを、店内が見渡せるレジに佇んだ縁はひっそりと飲み込む。もうじき日付が変わり、24日から25日となる深夜。時折ふらりと来店するのは社会人と思わしき疲れた顔の人々や足取りの覚束ない酔っ払いばかりで、悲しいことにエナジードリンクの売れ行きは好調である。深夜と早朝のコンビニこそ現代日本の縮図だとはよく言ったものだ。昔は良かった、と語る年配者の気持ちも今は分からなくもない。もっとも、縁の言う「昔」とは明治や大正の頃を指しているのだが。

鼓膜にこびりつき離れないクリスマスソングも、残された一日を乗り切れば来年のクリスマスシーズンまで聞くことはない。あと一日の辛抱だと己を宥めている縁の耳に、来店を告げる電子音が響いた。いらっしゃいませと接客の基本とも言える挨拶を慣れた口振りで陳ずる己の目前を通りすぎ、ずらりと並んだ薄いプリペイドカードを手に取った女性客の姿を視界の隅に見捉えた縁はその人物が常連のひとりであると気付く。外の冷気を引き連れ入店した女性客のコートにはうっすらと淡い雪が彩りを添え、暖かく保たれた店内の空気に輪郭をゆるゆると溶かされていた。どうやら、今年はホワイトクリスマスになるらしい。交通の麻痺が起きない程度の降雪量であってほしいという人々の願いは果たして聞き入れられるのだろうか。

どこのコンビニでもありがちな話だが、プリペイドカードを購入する客は合わせて菓子などを購入する場合が多い。縁の知る限り、先ほど入店した女性客もそのうちのひとりだ。しかし今日はクリスマスイブである。昨今、使い道に困らぬ前払い制のプリペイドカードを贈り物に選ぶことも少なくない。プレゼント用ならば簡易の梱包をとレジの下に据えられた紙袋の在庫を確認した縁の元へすたすたと歩み寄り、プリペイドカードを差し出した女性客は視線を滑らせ、レジの横に佇んだ保温ケースを指差す。

「フライドチキンを一つお願いします」

「か、かしこまりました」

そのプリペイドカードはプレゼントではないのだろうかーーと紙幣を取り出す女性客から目線をずらしながら縁は適温に保たれたフライドチキンを包んだ。いや、待て。もしかすると、自分に対するクリスマスプレゼントなのかもしれない。店員たるもの、存在しうるあらゆる可能性を考慮するべきだ。他者へのプレゼントであろうと決め付けていた自分が何よりも恥ずかしい。

未熟にも程がある己を恥じつつ、いつものように会計を済ませ、数十円の釣りをレシートとともに渡し、無駄に伸びた背を丸めて頭を垂れる。ありがとうございました。店のロゴが印刷されたビニール袋を手に取ったその人は縁を見つめた後、それまで何の感情も窺えなかった唇に淡雪のごとき柔らかな笑みを浮かべた。

「お仕事、頑張ってくださいね」

「うえっ?」

思わず顔を上げた縁が間の抜けた声を発すると同時に女性客は踵を返し、自動ドアの先へ消えようとしていた。薄い雪を伴い夜の帳に消える背中を呆然と眺め、縁はぱちぱちと幾度かの瞬きを繰り返す。お仕事、頑張ってくださいね。掛けられた言葉の意味を緩い思考回路を以て解読した縁はふと我が手を見下ろした。ケーキの予約票やスキャナーに触れ続けた手は乾燥が引き起こす干上がった川底を思わせる細かな皹が入り、まさしくそれは労働を知る者の手であった。

女性客が見ていたのはこの手であったのか、それとも。じんわりと胸に広がる労いという名のクリスマスプレゼントをじっと噛み締め、縁は知らず知らずのうちに曲がっていた背をしゃんと伸ばし、ガラスを隔てた先に降る雪を緑色の目で追った。