トーキョー・ゲーム | ナノ


店内が見渡せるカウンターの端、一番くじが入った箱と賞品がずらりと並んだコーナーに最も近いレジへ立ち、縁は壁に掛けられた時計を一瞥した。午後六時を過ぎた秒針から視線を逸らしながら普段と何ら変わらない無表情を取り繕う。かちこちと進む秒針の音は今月末にリリースされるシングル、吸血姫ゲルダの新曲の宣伝に掻き消されている。半ば強制的に脳へ記憶されつつある歌詞を払拭しつつ、雪が視界の隅でちらつく正面の入り口を眺めた。

勘違いだと言われてしまえばそれまでの話だが、縁がレジへ立つ時間帯を見計らうようにして来店する人物がひとり、居る。曜日によって変動はあるものの、ほぼ毎日来店し続ける人物がひとり、確かに居るのだ。

縁の二番目の妹とあまり変わらない背格好の、学生と思わしきその客はCDの新譜コーナーをうろつく訳でもなければ小説のコーナーを覗く訳でもなく来店すると真っ直ぐにレジまで進み、「一番くじ、出来ますか」と縁に話し掛けるのだった。そしてくじを引き賞品を受け取り、最後に一度だけ縁の顔を見つめて帰る。それがF賞であろうがG賞であろうが顔色一つ変えることはなかった。

現在縁が働いている店舗では所謂癒し系という分野に振り分けられるのだろうか、何とも言えず可愛らしい外見のキャラクターが根強い人気となっているアニメの一番くじを取り扱っていた。店内用の広告、POPを書く為に原作を読んだこともあるが自費で買おうと思える程度には興味を引く内容であった。あのお客様はこのキャラクターが好きなのか、と納得したことも記憶に新しい。

明日の朝方まで雪は降りやまないというネットのウェザーニュースを思い出し、そういえば洗濯物を干しっぱなしにしていた、と僅かに沸き上がる後悔に胸を痛めていた時である。カウンターの前に佇む人影に気付き、はっ、と顔を上げる。レジの前に立っていたその人物は、縁が秘かに一番くじの人と呼んでいる、連日くじを引いて帰る客であった。

一番くじを用意しなければ。

今日こそ、まだ出ていない賞が出たら良いのだが――意識すると同時に動いた縁の体を制止するように静かに差し出された文庫本に縁は視線を落とした。小さな爪を彩る青。つるりと耀く表面はエナメルにも似ていて、智慧を連想させる色が映える指だと思った。千切れても再生する化物じみた指ではない、それは生きている者の指だった。

目に見えぬ何かに促され、意識を上方に向ける。文庫本の表紙に刻まれたタイトルは嗤う悪魔。先週末に露草書房から新装丁で出版されたものだった。有栖川幹が好きなのだろうか。いやしかし、一番くじ。一番くじはどうするのだろう。押し売りをするつもりはない。引くかどうか、その選択は客である彼女に委ねられている。驚愕と躊躇が入り交じる表情で文庫本を裏返し、バーコードスキャナーで符号を読み取りながら縁はポイントカードと千円札を置くその細い指を見つめた。

「あ、あの、ブックカバーは、お、お付けますか」

「はい、お願いします」

お付けますか、って何だ。お付け致しますか、と言うべきではないのか。日本語を話せ。自分自身に野次を飛ばしたくなる衝動を宥めつつ紙を折り、文庫本の表紙に掛けていく。釣り銭と共にポイントカードとレシート、文庫本が入ったビニール袋を渡し、一礼する。

「ありがとうございました」

普段と何ら変わらない様子でじっ、と縁を見つめた後、その客は「ありがとうございます」と呟いてくるりと踵を返す。爪の先が細い青の軌跡を描いているように見えた。華奢な背中を見送りながら、取り残された一番くじに目を遣る。一番くじ、引かなかった。形容し難い感情に苛まれる縁を置いて、今日も日本の夜は更けていく。