女王とその伴侶が眠る陵として存在する「聖域」の中心、初代女王に因んで名付けられた殿堂――春宮殿(とうぐうでん)にて即位の儀は執り行われる。先代もしくは血縁関係にある人物の血液を落とした御神酒を黒の盃にて飲み干すことにより血縁という名の紲を受け継ぐのだと、それが初代の御代より続いている日本の頂点に立つ「神」の代替わりであるのだと説明する祖父を思い出しながら青桐は添加物の塊とも言えるであろう赤に染まったドーナツをぼんやりと見つめた。

週明けに行われる青桐の即位の儀は没後二百年を越えてもなお女王の規範として人々に愛される不知火や、不変の世に罅を入れ文明開化の基盤を築いた氷の女王と同じく己の血を盃に溶かして行う。次期女王ではなく、女王としての生活が待っている。週明けには確実に訪れるであろう事実に仄青い吐息を吐いた。

女王の一挙一動には責任という岩よりも重く海よりも深い揺るぎなき重荷が伸し掛かるものだ。次期女王であれば許されていたことが許されず、評価は支持に直結する。外出の際は側近及びシークレットサービスが同行し、厳重なる規制や検問が行われ、駅の薄汚れた階段を駆け上がり一般人に紛れて発車寸前の満員電車の隙間に体を捩じ込むなどという暴挙に出ることはほぼ不可能となる。それもまた、日本の頂点に座する女王の仕事であると早々に割り切るしかないのだろう。

「何だよ、辛気臭ェ面だな」

勝手知ったる幼馴染みの自室、とでも言えば良いのか――まるで我が家のようにのんびりと生成色のソファーへ身を預けた樒は底無しの深海で塗り固めた視線を無色透明の混合気体へ馴染ませ、黒のアーガイルが施されたロイヤルパープルのドーナツに躊躇いなく囓り付いた。二つのマグカップとドーナツショップの箱が並ぶガラステーブルを挟んだ向かい側、彼は人体に悪影響を及ぼしかねない紫を咀嚼しつつ、アンジェリカの名を持つドーナツを片手に気難しい表情を浮かべる青桐へ飾り気の無い言葉を投げ掛ける。

「……いや、何もない」

「へえ」

樒が物珍しさに惹かれ持参したドーナツは技術大国であるフィルドヨンカの英雄をイメージしているらしく、どれを取ってもフィルドヨンカらしさが窺える色合いであった。店名のロゴが印刷された長方形の箱に我が物顔で列を成すドーナツの一群をちらりと目視し、手元のやけに赤いドーナツを口へ運ぶ。生地の間には赤のクリームと黒のアラザン、表面には薔薇の花びらを模した赤く薄いチョコレートが散っていた。咀嚼するうちにクリームと生地が混ざり、糖分が脳をダイレクトに刺激する。ラズベリーなのかクランベリーなのか、とにかく苺に似た果実のフレーバーと人工的な甘さが殴り合っているような代物だった。

「凄まじいな……」

「不味くはねえだろ、甘いけど」

「フィルドヨンカの味がする」

塩昆布もしくは柴漬けが欲しい。頭蓋骨の下にある柔らかい組織の隅々にまで染み渡りそうな糖分の濃さに若干胃もたれを覚えつつ、湯気の消え失せたインスタントコーヒーでわざとらしい果実の香りを押し流す。背景の一部と化したテレビの液晶画面に映し出される世界情勢の羅列を眺め、その先に広がる無機の情報に思考を浸した。女王が鬼籍に入ってもなお世界はくるくると円環し、その動きを止めることはなかった。日本国民にとって女王は神である。人の姿を取り、ぞわぞわと這い上がるあえやかな花の末期を孕みながら恩寵と等しき愛を与える神である。しかし世界にとって女王は歴史に名を残すだけの、代えが利く存在でしかない。跪拝され、ぼろぼろと崩れゆく手に縋られる女王が平等に扱われるのは世界の手のひらの上だけだ。だからこそ、それで良いのだと思う。世界は、そうでなくてはいけない。

「女王になるんだな、青桐」

冬の海を彷彿とさせる冷えた宝玉の青が真っ直ぐに青桐を射抜く。憐憫の色も侮蔑の色も含まれない純粋なる思考によって吐き出された言葉は半紙に落ちた絵の具の如くじんわりと滲み、最も柔く脆い場所へ染み渡るような気がした。お前にだけは知られたくなかったんだよと言えば、彼はどんな顔をするのだろう。私がよく知るお前は笑ってくれるだろうか。温いインスタントコーヒーの表面に映る己の顔はぐにゃりと歪んでいた。波紋が作られた所為か、それとも。無頓着ゆえに罅割れた淡い唇をひらき、青桐は藍色の焦点を瑠璃色へ合わせ、すいと絡め取る。

「ああ、私が女王だ」

自分の発声器官から溢れたものであるとは思えないほどに重く押し殺した声だった。光すら受け付けない黒い髪の下、一際鮮やかな深みの青に降る睫毛の影を追う。失望のような、それでいて形無き安堵を帯びているような、長い間近くに在った青桐すら見たことのない表情を浮かべた幼馴染みは指先に残る砂糖を紙ナプキンで拭き取り、寂しくなるな、と呟いた。袖口から覗く球体関節を彷彿とさせる骨張った真白の手首には昨年の誕生日に青桐が贈った腕時計がしっくりと馴染んでいる。

「そうか」

「ああ」

罪悪感に苛まれる理由は無い。幼馴染みは幼馴染みであり、自分は自分である。身内同然に育っていてもお互いの歩む道は違う。伸びた影法師は重ならず、時を経る毎に遠ざかり、心臓がその役割を終えるまで歩みを止めることはない。循環し続ける世界のように、色褪せた歯車のように、脆弱たる少女の細い骨がいつしか大人を象るように。じわりじわりと肺から迫り上がり喉元を侵食し締め付ける疼痛に含まれた喪失感を飲み込みながら、彼のなかにある「青桐」を裏切ったのは間違いなく「女王」だと思った。