聳え立つ細い煙突の先、くすんだ白煙が鋭い北風に流されて無機質な重い冬空に溶けていく。母の瞳の色にも似た空を鮮やかな青へ映し、青桐は乾いた白い頬にはらはらと涙を溢した。華奢な祖父の手を握り、空白の棺が火に焼かれ灰と化してゆくさまを見上げる。気紛れに頭を撫でてくれた手のひら、慣れ親しんだ煙草の香り、ゆったりと細められる藍色の瞳。どこにも居ない父を思い出せば思い出す程にそれは青桐の喉を強く強く締め上げた。

声にすらならない悲しみだけがうっすらと冬の匂いに混ざって肺へ染み渡る。これを心臓の一部をもぎ取られたような痛みと表現するならば、身体から分離した心臓の一部は何処へ行ったのだろう。傷口から流れ出した血は何の色素を宿しているのだろう。

娘にさえ笑顔の欠片も見せなかった、魔女の異名を持つ女王が唯一愛したのは渡り鳥のように酷く気儘なひとだった。声も届かぬ洞窟の奥に垂れ下がる鋭い氷柱のような、いっそおぞましい程に透き通ったクリスタルのような、生命を持たない美しさに彩られた彼女の指先を薄紅に染めるそのひとだけを彼女は愛し、彼と過ごす時間が永遠に続きますようにと願った。

けれども、世界の終わりは想像以上に呆気無く訪れるものだ。女王が愛した世界の最後、それはまるで椿の散り際にも似ていた。すべては美しいまま、何の前触れもなく花びらを支える萼ごと落ち、優しいものだけで埋め尽くした箱庭は絶望と悲愴に染まる。最愛はするりと彼女の手を離し、主の居ない形ばかりの葬儀は淡々と進む。


「あの人は帰ってきます、ちゃんと生きているんです。あの人は私を置いて行ったりしない」

先代に肩を支えられながら身を崩し、か細い手で涙に濡れたかんばせを覆う母の姿を見つめ、青桐は静かに視線を逸らす。体温を奪う冷たい風に艶やかな黒髪が靡き、哀悼の黒を持った喪服はどこまでも深い絶望を帯びていた。黒い雲取りの綴織の帯が、痛ましい嗚咽が、幼い青桐のぼやける意識に焼き付いて離れない。


「お父様を忘れたくないなら、これから先ずっと覚えていたいと願うなら、悲しみを捨てなさい。お前がお父様を愛しているなら、その記憶を上書きしようとするものを殺しなさい」


記憶を手元へ置いておきたいが為に祖父は涙を流さなくなったのだと言う。悲しみが感情を薄めてしまうなら、内側を乱してしまうなら、いっそのこと捨ててしまえば良い。いつしかぽっかりと空いた穴は塞がり、記憶は自分だけの物になる。そっと窺うように見上げた祖父の頬には一筋の涙も流れてはいなかった。婿が死してなお表情を変えない祖父を薄情だと思う者も居るだろう。けれど、青桐は祖父を薄情であるとは決して思わなかった。

祖父の記憶の一頁目には誰がいるのだろう。祖父が忘れたくないと望んだものは何だったのか、問い掛けてはならないような気がした。

「お祖父さま」

「何?」

「私は父さんに似ているのか?」

空気に吹き動かされた青桐の前髪から覗く藍と青の瞳を見下ろし、祖父と呼ぶには些か不自然すぎる程に若い青年は懐かしそうに紫紺を伏せる。

「お前はユエに似てるよ、青桐」

女王の血を、気高き櫻里の血を引く女は見送ることに慣れなければいけない。犠牲の上に据えられた玉座に腰を下ろし、足元に縋る民へ平等なる恩寵を分け与え、「わたしの可愛い我が子」と美しい慈愛を浮かべながら手を差し伸べる――それが女王という名の神だ。いつか自分が座ることになるであろうその椅子は女の血と同じ色で拵えられているに違いない。

冬を越した鳥が翼を広げ追憶の春へ向かって飛び去るように、ふらりと姿を消したそのひとの帰りを待ちながら青桐は母の跡目を継ぐ為に生きていく。

祖父が記憶の一頁目に忘れたくない誰かを刻んでいるように、自分はそのひとを一頁目に刻もう。そう誓った十歳の冬、箱庭は透き通ったうつくしさだけを湛えていた。