行く水 | ナノ


雨傘‐1

深雪は走っていた。


足が地面につくたびに、コツッという音が鳴る。

白い息がつかれては、流れて消えていく。


ストラップが揺れる鞄から携帯を取り出し、開いてみれば午後5時。彼が帰るかどうか微妙な時間だった。


頼むから間に合って…!


深雪は足に力を入れて、地面を蹴った。




11日土曜日。深雪は友人と買い物をしていた。


今季のトレンドカラーはピンクブラウン。だから、深雪とその友人もあれやこれやと店を回って、何点かその色の物を買った。

深雪はその容貌にたがわず、流行チェックには余念がない最近の女子高生だ。よく雑誌に付箋を付けては目当ての物を買いに走っている。

今日もその内の2点ほどは購入出来たようだ。

戦利品もばっちり手に入れた後はほっこり顔でマジバへ直行。ファッション話や恋愛話に花を咲かせて時間を過ごした。

一般的な女子高生の休日。深雪は快適な休みを送っていた。


…のだが、どうやら彼女は夢中になりすぎてしまったらしい。


気が付いた時に慌てて時計を見れば4時半。本当は4時には秀徳高校へ向かうはずだったのに、30分もオーバーしてしまったのだ。




だから今、かなり急いで秀徳高校へ向かっている。

ヒールのついたショートブーツはあまり走りやすいものではないが、それでも精一杯走っていた。


ヒール音を遠くに聞き、彼女は緑間に思いを巡らせた。


もし今日会えなかったら嫌だな。

毎日会って話さないと気が済まない。

…何の話をしよう。

やっぱり最初はおは朝占いの話からかな。今日のラッキーアイテム、植物図鑑もばっちり持ってきているし。

よし。まずこの話をしよう。あとは今日あったことも話したい。


だから、頼むから間に合って!





願いながら走って10分、とうとう校門前に辿りついた。


立ち止まって息を整えつつ中を窺う。

すると、10メートルほど離れた場所に彼がいた。携帯を耳に当てて誰かと話しているようだ。

深雪の目が輝く。この時ばかりは疲れていたことも忘れてしまった。


これで今日も彼の声が聞ける。彼と会話出来る。


瞬時に胸を躍らせた。



だけど、そんな喜びはすぐに消えた。


だって見てしまったから。


特別な人にしか見せないその表情を。










「…お前、どういうつもりだ」

「どうって…いつもやってることじゃない」

「人の電話中に邪魔をするとはどういう了見だと聞いている」

緑間の腕を掴んでいた深雪はそっと手を離す。

「…別に、何も…」

俯いて彼の視線から逃れる。


真太郎君、さっきと全然違う顔してる。


そんな顔見たくない。

さっきはその一心で、彼の腕を掴んで明るく話しかけた。電話の相手に聞かせるように。


あの表情を消したかった。彼女じゃなくて自分に向けて欲しいと願った。

だけど、自分に向けられるのは。


深雪の手はかすかに震えていた。


「迷惑なのだよ」

一言残して、緑間は深雪の横を通り過ぎた。


「…っ」

深雪は立ちすくんでしまった。

怒りが真っ直ぐ自分に向けられたのだ。心臓の辺りがぎゅうっと苦しくなる。


「まっ…待ってっ」

少し間を空けてから、深雪は声を振り絞って緑間に呼びかけた。

それから、いつもと同じように走ってついて行く。


後ろをついてくる深雪に緑間は何も言わなかった。彼女には一瞥もくれない。

深雪の目には横顔だが、憮然とした表情の緑間が映っていた。


「…」


あたしは、彼のこういう表情ばかり見ているね。



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